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Eyes  作者: 有端 燃
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第二話

 柊木(ひいらぎ)一斗(かずと)は悪夢の中を漂っていた。一年前から時おり見る悪夢。何度も見ているので、これは夢だということも、夢が最後まで行かないと目覚めないのも分かっている。

 二人の中年男が駅の隣り合ったキーレスコインロッカーをタッチパネルで解錠、スーツケースを持ち出していた。顔はぼんやりしていて分からない。すぐに場面が変わり、今度はラッシュアワーのトイレの個室が空くのを待つ男。すぐに入れ替わり別の男が入るが、やはり顔はぼやけている。二人とも同じデパートの紙袋を提げていた。

 夢は続き、高牧周辺と思われる繁華街と黒塗りの車。派手なスーツの集団と、対照的なダークスーツの男たち、町工場。どこかの施設の会議室と響く怒号。そして最後は高牧市の総合施設、Dメッセ高牧と思われるトイレだった。刺激臭と銃声、空気が膨れ上がるような爆発音と衝撃。庇うように誰かを突き飛ばした直後の焼けるような痛み。

「……ぅあ!」

 一斗は自ら発した悲鳴で目を覚ますと、大きく肩で息をした。脂汗でTシャツがぐっしょりと濡れて気持ちが悪い。特にトイレのシーンはリアルで、何回見ても慣れることはなかった。そして何より不思議なのが、自分で見ている夢なのに、夢の主は自分ではないと感じることだ。記憶を失ってはいるが、間違いない自信がある。そして夢に自分が出てきているとしたら、最後に突き飛ばされた()()だと思っていた。

 ベッドの枕元に置いたリモコンで照明を点けキッチンまでよろめくように歩く。水を一杯飲むと汗で濡れたTシャツを脱ぎ捨て、クローゼットから出したTシャツに着替えた。瞳の保護のため、強化ポリカーボネートレンズの素通しメガネを掛ける。

 目覚まし時計の表示は午前五時過ぎ、四月とはいえ群馬県の早朝はまだ肌寒い。マグカップにインスタントコーヒーをスプーン二杯、スティックシュガーを一本。電気ケトルで沸かしたお湯と牛乳を入れかき混ぜる。この夢を見た後はいつも目が冴えてしまう。二度寝を諦めスマートフォンのラジオアプリを立ち上げると、ワイヤレスイヤホンを右耳にだけ挿し朝のニュースを聴きながらコーヒーを飲んだ。


 一斗は、二年前から自分自身に関する記憶を失っていた。機器操作や国内外の政治や経済、地理などは覚えているが、自分に関することは名前や家族すら思い出せない。

 自分が柊木一斗だということは、両親と名乗る五十歳くらいの男女から聞いたあと、住民票と運転免許証で確かめた。記憶が無いのは、二年前に高牧Dメッセで起きた爆発・銃撃事件に巻き込まれ頭部を強打したためと聞いている。

 当時一斗は地元の大学三年生で、事件はトイレ清掃のアルバイト中に起きた。二週間意識不明で生死を彷徨いながらも生還し、爆発で飛び散った業務用のアルカリ性洗浄剤での化学熱傷による角膜の損傷は、治療実績の少なさからくる移植技術向上と経過観察の研究目的で優先的にドナーからの提供を受けられたらしい。

 内臓の損傷や骨折、脳内出血などはリハビリも含め十か月ほどで回復したが、記憶は戻らなかった。脳神経内科と心療内科の診察で、事件による外傷とストレスから来る解離性健忘症と診断されている。

 その後も移植した角膜の定着や幹細胞の再生、視力回復の経過観察と研究データ取得のため入院は一年以上に及んだ。

 処分に関して家族や本人の了承が取れるまで病院で保管していた、搬送時に身に着けていた作業服や靴なども目にしたが、一斗自身生きているのが不思議なほどの損傷を受けていた。

 退院後半年は自宅から通院し、その後、一斗を心の底から心配してくれているのを実感している両親を説得、一年後の復学を約束し、事件前に借りていたアパートでの独り暮らしを再開している。事件から一年半もの間、両親がアパートを解約しなかったのは、一斗がいつでも元の生活に戻れることを信じていたからだという。この点に関しては、両親の愛情と経済力に感謝するほかは無かった。


 自宅にいた期間とアパートに戻ってから半年は、とにかく目に負担を掛けないことを優先していた。テレビは必要な時だけ、パソコンは開きもしなかった。スマートフォンは通話とラジオアプリくらいしか使っていない。日常生活で目を強打しないのはもちろん、無意識に目を掻いたりしないよう眠るときは保護用のアイマスクを着用していた。

 そしてようやく先月になって、担当医から目への衝撃に気をつけ毎日の点眼をすれば、日常生活に戻っても大丈夫との診断をもらった。

 悪夢に関しても相談し心療内科での治療を続けていたが、解離性健忘症の影響でフラッシュバックのような状態を起こしているのではないかとのことだった。

 二年前の事件ではトリアージで黒とされ、搬送も治療も受けられずにその後現場で死亡が確認された者が一人。一斗達とは別の病院に搬送され、その後亡くなった警察官が一名。一斗と共に高牧総合医療センターへ搬送された一人も同じ高牧署の警察官だったが、意識が戻ることなく死亡し、生き残ったのは一斗だけだ。

 あの日何があったかを自分で確かめ、悪夢の正体を突き止める。自分を突き飛ばしてくれた人のことも知りたい。そのために自由が利く一人暮らしに戻りたかった。そして、それが光を戻してくれたドナーへの責務であり、記憶を取り戻す唯一の手段だと感じていた。

 自分はそのために選ばれ、そして生かされたのかもしれない。

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