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Eyes  作者: 有端 燃
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第一話

 高牧Dメッセで起きた爆発・銃撃事件の被害者を高牧総合医療センターが受け入れてから一週間、今は二人ともICUで治療を続けている。それぞれ担当医がついているが、彼らをまとめているのが外科部長の一ノ瀬(いちのせ)(たかし)だった。

 外来の診察や通常の手術を日中に終わらせ、事務処理や会議などの雑務を済ませると午後七時を回っていたが、ICUにいる二人の今後の治療方針に考えを巡らせていた。

 二人共未だ意識はない。しかし二十代の患者は後遺症は残るかもしれないが、処置が早く適切だったため一命を取り留めている。一番の懸念は化学熱傷による角膜の損傷だが、早期にドナーが現れれば移植手術で失明は免れるだろう。頭蓋骨の線状骨折は手術しなくても大体骨融合するし、脳内出血は半年もすれば自然に吸収されるレベルだった。肺や肝臓にダメージは見受けられたが、手術が必要なほどではない。肋骨や肩甲骨の骨折は二ヶ月もすれば骨融合する。もっとも、意識が戻らないことには脳へのダメージがどの程度及んでいるかなんとも言えない。

 問題は三十代の患者だった。爆発の衝撃を背後から受けており、爆発物の破片や九ミリ口径の拳銃弾を三発被弾していた。内臓の損傷や出血によるダメージが激しく、一ノ瀬の見立てでは一週間から十日持つかどうか。出血性ショックで搬送前に亡くなっていても不思議では無いレベルだった。職業は警察官らしく、現在もICUの入る棟は常に制服警官がついている。ただ一ノ瀬の聞いた話では、負傷した警察官は加害者の可能性もあるらしい。制服警官の役割は、警護ではなく監視かもしれないと思っていた。


 そろそろ帰ろうかとナースセンターや当直医に連絡し、カップに残ったコーヒーを飲み干した一ノ瀬に、当直の看護師から内線電話が入った。

「帰りがけに申し訳ございません。ICUの患者さん、警察官のほうですが、妹さんがお見えになって先生と少し話したいと仰っています。どうされますか?」

 少し考えたが、いつ亡くなってもおかしくはない状態だ。今のうちに状況を説明しておいた方が気持ちの準備ができるかもしれない。

「構いません。通してください」

 看護師に案内されてきたのは、やつれた表情の若い娘だった。まだ二十代だろうが、疲れきっているのか生気が失せている。

「兄がお世話になっております。妹の甲斐有希子(かいゆきこ)と申します。こんな時間に申し訳ございません。ずっと警察の聴取を受けていたものですから」

 深々と頭を下げる有希子に椅子を勧めると、一ノ瀬はレントゲンやCT、MRIの画像を見せた。

「兄の容態はどうでしょうか?」

「率直に言って、非常に危険な状態です。搬送された時には心肺停止で、しかも出血が非常に多く内臓にもダメージを受けていました。できる限りの延命処置は続けていますが、持って一週間かと思います。申し訳ございません」

 状態を説明する一ノ瀬の言葉はほとんど耳に入っていないようだった。

「兄と一緒に搬送された方がいたと聞いていますが、そちらの方は助かるのでしょうか? 両目に怪我を負っているとニュースで見ましたが」

「申し訳ございませんが、医師にも守秘義務がありまして、そういった個別の質問にはお答えできないのです」

 一度言葉を切った一ノ瀬だったが、有希子の落胆ぶりが気の毒になり小声で続けた。

「一般論ですが薬品や洗浄剤による化学熱傷は、角膜移植をすれば瞳が再生する可能性はあります。損傷が深い位置まで達するなど通常の角膜移植よりは難しい面もあって、可能性は良くて五分五分程度ですがね。ここにもそんな患者さんが搬送されているかもしれませんが、お兄さん以外の患者さんの容態は安定していると聞いています」

 有希子の表情が僅かに明るく、しかしすぐに思い詰めたようになった。

「兄の角膜を、その方に移植できないでしょうか?」

 一瞬面食らった一ノ瀬だったが、すぐに平静に戻った。

「角膜移植は全てアイバンクを通して、名簿順に行っているはずです。米国など海外からの角膜を使う場合は保険が適用されず、自己負担になるため多少順番は早くなりますが。お兄さんがアイバンクに登録しているのであれば、待っている患者さんに移植されると思います。あくまで善意のボランティアですから、ドナーの方から誰々にという指定は例え家族間でもできません」

「そこを何とかできませんか? 兄はアイバンクに登録はしていませんし、もう長くは持たないのですよね。私にとって家族は兄だけなんです。亡くなって灰になってしまうのなら、せめて瞳だけでも残して同じ世界を見せたいですし、兄のせいで怪我をされた方がいるのでしたら、その方に光を返したいんです。それが無理なら提供は諦めます」

 有希子は引かなかった。確かに角膜を早急に必要としている患者と、数日以内には亡くなると思われる患者が隣り合ったICUに入っている。手術の準備も含め、効率は抜群に良いだろう。しかも化学熱傷は、角膜表面だけを移植する他の手術に比べて難易度が高い。臓器に比べれば適合率は大きな問題にはならないが、それでも拒絶反応の可能性は比較的大きく、感染症の割合も高い。事前に準備ができるのであれば成功率は上がるはずだ。また、新鮮な角膜の方が望ましいのは過去のデータが証明している。

 眼科部長は同じ大学出身の後輩だった。多少の融通は利く。一ノ瀬の脳内で、悪魔が囁いた。

「重度の化学熱傷患者に対する角膜移植法と術後の定着に関する研究のために、もしかしたらあなたとお兄さんに協力をお願いするかも知れません。今言えるのは、これだけです」

 医師としては完全にグレーゾーンを越えているのを自覚しながら一ノ瀬は言った。

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