9 新たな任務
ひどく凡庸な少女だ。
それが、目の前で驚いた顔をして突っ立っている噂の『聖女』に対して、ウィルフレッドが抱いた率直な感想だった。
きちんと仕立てられた若草色のワンピースを纏った彼女は、この夏に成人したばかりとはいえ、平均的な身長の割には痩せ気味なのか、とても成人した女性には見えない幼さだった。
路地裏のバーを出た後、早朝から立っている市場を巡りながら行った「診療所のアン」という少女についての情報収集は、つい先ほど終えている。
事前に仕入れた情報との違和感から、人違いの可能性も考慮に入れつつ口を開いた。
「君が、あの診療所を手伝っているアンっていう子?」
「……そう、ですけど……」
まるで、自分よりも大きな動物にひと睨みされた小動物のように、アンはその小さな肩を更に小さくすぼめ、両手を握りしめていた。不信感と不安が入り混じった瞳が、遠慮がちにこちらを見上げてくる。
警戒されないよう、できる限り柔和に見えるよう微笑を浮かべる仮面を被る。
自分の顔の良さを十二分に理解しているウィルフレッドは、いつものように優しく声をかけながら笑いかけでもしてやれば、若い女の子などすぐにすり寄ってくるだろうと予測していた。
「あの……?」
彼を前にしても、彼女の表情は変わらず強張ったまま、不信感のかたまりのような表情で見上げてくるだけだった。
おや、と思わぬ反応に肩透かしを食らう。
「思っていたのと反応違うけど……まあ、いいや。君に聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと……ですか?」
「『ポルカの聖女』って、君のことなの?」
件の単語を出した途端、少女の肩がびくりと動いた。
その反応を注意深く観察しながら、ウィルフレッドは更に言葉を続ける。
「僕、王都から来たんだよ。王都でそんな噂を聞いてね。さっき市場で買い物してたら、同じような噂を聞いたんだ。みんな親切だよね。尋ねたら詳しく教えてくれたよ。『ポルカの聖女』と呼ばれているのは君のことだってことも、夏の初めの積荷の事故のことも」
ウィルフレッドが言葉を重ねるたびに、アンの顔色は真っ青になっていった。
これは当たりだなと、話しながら次第に距離を詰めていく。そんなウィルフレッドから逃げるように、アンはジリジリと足を後退させていく。
「ああ、ごめんごめん。そんなに恐がらないで。僕は変な人じゃないから。ほらほら、見て、これ」
明らかに警戒して距離を取ろうとしているアンに向かって、おもむろに胸元の金色のバッジを示す。
「魔術師団の団員バッジ。王都じゃあ人気の職業なんだよ? 身分も補償されるし給料も良いしで、女の子達はみんな、魔術師団の男を結婚相手につかまえようと必死――」
「さ!」
「さ……?」
「さようなら!」
「ええっ、ちょっ……」
ウィルフレッドの話を遮るように、アンは勢いよく頭を下げ、彼の脇をすり抜けるように走り去って行った。
若草色のワンピースの後ろ姿が町の中心部に向かって石畳を駆け抜け、通りを曲がってその姿が見えなくなるまで、ウィルフレッドは唖然としながらそれを見送った。
「なんだ……あのガキ」
相手は年若い少女だと油断していた。
寝不足とアンの予想外の反応で頭痛が出てきた。こめかみをぐりぐりと人差し指でほぐしながらやり過ごす。
もう少しカマをかけてみたかったのだが、ここで彼女を追いかけて深追いしても、良い結果にはならなさそうだ。と、いうか。あの反応を見る限りほぼ確定でいいだろう。
「――とりあえず、戻って寝るか」
昨夜の魔獣討伐から夜中の聞き込み、早朝の市場での聞き込みも含めて数時間、流石のウィルフレッドも睡眠不足の限界が見えてきた。
早く任務を終えて王都に帰りたい一心で取り組んでいたが、とりあえず寝よう。そうしよう。ウィルフレッドはエルム小隊がキャンプを張っている峠の中腹まで戻ることにしたのだった。
「――おい! ウィル!」
ようやくありつけた至福の時だったというのに。睡眠を脅かす大音声に、ウィルフレッドは寝袋の中で縮こまる。
エルム小隊のキャンプ地に戻り、他の隊員が自分の攻撃で焼け野原になった戦場の後片付けをしている中で、テントで仮眠を取り始めたのはつい先ほどのように感じる。そこをエルムの大声で叩き起こされたのだ。
「ええ……なんすか……さっき寝たばっかりなのに……」
「何を悠長なこと言ってんだ! 急いで起きろ、お前に団長から直接通信が入ってんだよ!」
団長からの直接の通信。それがエルムを焦らせていることに思い当たり、はあとため息をつく。
一兵卒に団長が直々に通信を入れるなんて、特別な任務を受けていると思われても仕方がないじゃないか。アレクセイに代わりに連絡させればいいのに……などと内心で文句を言いながら、ウィルフレッドは寝ぼけ眼で目を擦りながら寝袋から起き上がる。
遠隔地との音声でのやり取りができる魔道具は、動力に魔力が必要なため市中には出回っていない。しかも高額で希少なため、魔術師団でも数機しかない。今回、王都から離れた地での討伐部隊だったため、キャンプ地に携行しているのだ。
その通信機の前に座り、周囲に人の気配がないことを確認してから、その受信機を手に取る。
「ウィルフレッドです。代わりました」
「ウィルお前……早速やらかしてくれたようだな……」
「はあ? 何のことです?」
「とぼけるな! エルムから今朝報告を聞いているぞ! お前の火力全開の攻撃で、峠の森が一部焼け野原になったってな!」
ジェイコブの野太い声が通信機のスピーカーからガンガンに発せられ、思わずウィルフレッドは手元のボリュームのつまみを操作し最小まで落とす。あの男のお説教を起き抜けに聞きたくはない。
「おぉい! 聞いてんのか!」
「はいはい、聞いてますよ。それより団長、わざわざお説教しに通信飛ばしてるんじゃないでしょ?」
ウィルフレッドの言葉にジェイコブの勢いが若干削がれたのを感じ取り、ボリュームを元に戻す。
「あー、あれだ。お前に任せた追加任務のことだ」
「彼女なら今朝会ってきましたよ」
「は……もう本人に接触したのか? まさかとは思うが……妙なことしてないだろうな」
「妙なことってなんですか。相手はガキですよ。しかも僕のことを不審者かなんかと勘違いして、話の途中で逃げられちゃいましたし」
「お前が? 女に逃げられたのか?」
「だから女じゃなくてガキですって」
心底驚いたような声音でジェイコブが反応するので、ウィルフレッドは少しばかりイラつきながら、それに返事をする。
「ポルカの聖女。積荷の事故。あの辺の言葉に反応して青ざめていたし、明らかに挙動不審でしたよ。それに僕が魔術師団の団員だと明かした途端、血相変えて逃げ出しました。これ、もう確定で良いんじゃないですか? やましいことがあるから逃げるんでしょう」
「ふぅん……」
寝不足で痛む頭をグリグリとこめかみのあたりを押しながら、ウィルフレッドは団長であるジェイコブの返答を待った。もともと「こどものおつかい」のような任務だ。もういいぞという返答を予想していた、が。
「――ウィル、しばらくポルカに滞在しろ」
「はっ!?」
予想外の言葉に、右手に握りしめていた受信機を取り落としそうになる。
「どういうことですか? 僕には近付いてほしくないとかなんとか、言っていたじゃないですか!」
「まだお前の代わりに派遣できる団員がいないんだ。今日の接触で警戒して別の場所に逃亡されたら困る。誰かが見張っておく必要がある。それに、相手にされなかったんだろう? お前にご執心するようなお嬢さんじゃないってことだな。それとも顔も変えて接触したのか?」
「いや……変えたのは髪の色だけです」
「なんだ。お前のツラを見てコロッといくような子じゃないんなら、安心だな」
「人の顔を呪いの顔面みたいに言わないでくださいよ」
「女関係に限れば似たようなもんだろ」
反論しようと口を開きかけるも、今までに出席したパーティーや王都の街中での出来事を思い出し、そのまま口を閉じる。
容姿端麗眉目秀麗なこの男は、任務に有用であれば自分の顔面も躊躇いなく利用するが、女性に黄色い声を上げられて素直に喜べるほど純粋でもない。
「――それで、僕は次に何をすれば良いんです?」
「当初と同じだ。治癒魔法士かどうかを探る。それだけだ。もし可能なら少しは仲良くなっとけ」
「あのガキと?」
「まあ、まずは『不審者』の認識を改めてもらうところから始めるんだな。――年頃の娘は手強いぞ。俺の娘なんて、もう俺には抱っこをさせてくれなくなって……」
「娘さん、まだ6歳でしょ」
自分の娘を引き合いに出してきたジェイコブに、思わず呆れた声を出してしまう。ガキだガキだと散々並べ立てたが、流石に6歳の子供と成人した彼女を同列に扱うのは、彼女に可哀想な気がする。
……それにしても。ジェイコブの態度に僅かな違和感を抱いたウィルフレッドは、確証はないが1つの可能性を口にした。
「僕を王都から遠ざけて何を企んでるんです? どうせ、あのクソジジイが絡んでるんでしょう」
ウィルフレッドの言葉に、しばらく返事はなかった。少し拗ねたような言い方になってしまったかと後悔を始めたところで、ジェイコブからの返事が聞こえた。
「流石に察しがいいな。『僕を仲間外れにしないでよ』なんて、ガキっぽいことまでは言わねえのか?」
ウィルフレッドは押し黙った。今何か言葉を発せば、この兄貴分気取りの男に心中を察せられそうだ。
「冬の初め頃までには戻す。それまでに『ポルカの聖女』と仲良くなっとけ」
「御意。団長命令なら仕方ないですね。彼女と『良い仲』にでもなっときます」
「おぉおおい待て待て! 俺はそこまで言ってな――」
何やら向こうで叫んでいるようだったが、ウィルフレッドは構わず通信を切った。
通信を切ると、外ではまだ隊員達が作業をしているのか、男たちの話し声が薄っすらと聞こえてくる。通信用の薄暗いテントの中で、まだ座ったまま、ウィルフレッドはそれをただ漫然と聞いていた。
ジェイコブやバランティーニは何かを画策している。自分を王都から遠ざけてまで。
二人の企みには薄々感づけたとしても、結局のところ何も明かされないままの状態は、ウィルフレッドをひどく苛立たせていた。
魔術ではこの国の誰にも負ける気はしない。それなのに、肝心な時に何も伝えられず、遠ざけられている現状は、自分がまだまだ頼りない若造だということを嫌でも自覚させられる。それが歯がゆかった。