6 ポルカの聖女
本話は主人公周りから少々離れます。
王都・ロマンディアはこの国のちょうど中心に位置する大都市だ。王族の住まう王城、政治の中心である貴族院、国の経済を担う商店の本社機能もこの街に集結しており、まさしく政治経済の中心となっている。
国の防衛や治安を担う魔術師団の本部棟もまた、この王都にあった。
西のはずれ、木々に囲まれた広大な敷地内には、国中の魔力を有する子女が学ぶ王立魔術学院が建ち、その目と鼻の先に魔術師団本部がある。
2つの尖塔がそびえる6階建ての石造りの建物は、見るからに堅牢な外観だ。魔術で成り立つこの国の頂点に立つ組織である魔術師団に喧嘩を売る無謀な者などいないが、邪な思いを抱いていない者でも、この堅牢な建物を見上げると誰しもが身をすくめるという。
その本部棟の最上階に、魔術師団長の執務室がある。
「――ポルカ? どこだ、それは」
「北方の田舎町ですよ。ほら、ちょうど今、隣国との境にある峠で魔獣の出現が増えたとかで、エルム小隊が討伐に向かってる町です」
「ああ、そういえばそんな報告があったな」
執務室内の一番大きな窓を背景に執務椅子に腰掛けた男、現・魔術師団長であるジェイコブ・アルスターは、補佐のアレクセイからの報告を聞いていた。
「それで、その、なんだ? その『ポルカの聖女』ってのは」
無造作に伸ばした無精髭を無意識にいじりながら、ジェイコブはアレクセイに尋ねた。
「夏の盛りくらいからですかね。王都の民衆の間で噂になっているんですよ。ポルカという町に突如現れた少女が、事故で重体になった女性をその聖なる力で助けたってね」
「聖なる力……『治癒魔法』か?」
「一般人は治癒魔法なんて知りませんから、本当のことは分かりませんよ。ただ、一人が言い始めたのではなく、何人かのポルカからやってきた商人が口々に言っているそうですからね。ただの噂と断じても良いものか……」
市中を巡回中の団員からの報告を団長まで上げるかどうかは、補佐であるアレクセイが判断している。
有象無象の事象全てを報告したところで、全てに対処はできない。大体は彼のところまでで処理をしているが、この噂についてはそのままにしてはいけないような予感がしていたのだ。
なにしろ、もしも噂が本当ならば、彼らは治癒魔法士を新たに手に入れられる可能性が出てくるのだ。
王国の宝とも呼ばれる治癒魔法士は、数十年に一度現れる逸材だ。国家の防衛を担う魔術師団として、是が非でも手に入れたい人材といえる。
「もしもを考えれば誰かを調査に派遣したいところだが……今は諜報部が全員出払っているんだよなあ」
「そこで団長、提案なんですが――」
「失礼します」
2人の会話を遮るように、執務室の扉をノックする音が響き、1人の男性が入室した。
彼は、絹糸のように繊細な銀髪を揺らし一礼すると、すらりとした長い両足を揃え、右拳を左胸に当てた。
「ウィルフレッド・フィッツバーグ、参上しました」
「ああ、ウィル、来たか――」
ジェイコブは入室してきたウィルフレッドに声をかけようとして、思わず声を失ってしまう。その隣でアレクセイもまた、珍しく呆気に取られた顔をして彼の顔面を凝視していた。
「お前、その顔……どうしたんだ?」
「ああ、これですか?」
ウィルフレッドは何食わぬ顔でその左頬に手を当てた。彫刻のように端正な彼の容姿に不釣り合いな大きな赤いアザが頬に浮かんでいた。
「ちょうど今朝ね、打たれたんです。誰だっけ……名前、忘れちゃった。一晩過ごしただけで僕の恋人気取りしちゃう女の子でね、もう可笑しくておかしくて……それを率直に伝えたら、バシッと」
なかなか良い跡がついたでしょ?と、ウィルフレッドは左頬を撫でた。彼の表情はあくまでにこやかな微笑をたたえていて、その様子に対峙していた主従二人は揃って同じ顔をしてしまっていた。
「やだなあ、お二人とも。顔に『ドン引き』って書いてありますよ?」
「お前……お前って奴は……なんでこんなに性格悪く育ってしまったんだ……どこで道を踏み外した……!」
「魔術師団の偉大な諸先輩方に仕事のストレス解消方法を教えてやると酒場に連れて行かれたあの夜ですかね」
「くっそ、どこのどいつだ……!」
「――ウィル、とにかくそのアザは今すぐ治癒しなさい。団の風紀が乱れる」
「はいはい、分かりましたよ」
アレクセイに指摘されたウィルフレッドは、左手をアザの上にかざした。金色の光が手のひらから一瞬溢れると、次の瞬間には彼の左頬のアザは綺麗さっぱり消えていた。ウィルフレッドは現役の魔術師団員で唯一の治癒魔法士なのだ。
「これでいいでしょう? ――それで、ご用件はなんですか? これでも僕は忙しいんですよ」
「忙しいだと? お前が任務をサボって市中の酒場やら賭博場やらに出入りしているのは知っているんだぞ!」
「サボるだなんて人聞きの悪い。市中見回りの範疇ですよ。それに、ちゃんと魔獣討伐の任務はこなしてるじゃないですか」
「魔術師団員の仕事は討伐だけではない!」
「僕以上に魔獣討伐を速やかに行える人材がいるんです? 他の団員の数倍の働きはしていると思いますけど? 特別手当をくれる訳でもないくせに。適材適所ですよ」
「ぐぬ……ああ言えばこう言う……」
もとより口の立つウィルフレッドにジェイコブが勝てる勝算などないのだ。アレクセイは二人のやり取りを呆れた目で見ていた。
魔術師団のトップである団長のジェイコブとこの春に入団したばかりのウィルフレッドは、ウィルフレッドが5歳の頃に魔術師団に預けられた時から、兄弟のように過ごしてきた関係性だ。普段は互いに一線を引いて団長と一団員として接しているが、馴染みの者だけの空間ではこうしてじゃれ合いのような口喧嘩をすることがある。
「団長、それぐらいに。いつまで経っても本題に入れません」
「けっ」
およそ大の大人とは思えないような盛大な舌打ちをして、ジェイコブはむすっとした顔で腕組みをしながら押し黙った。
「ウィル、あなたに魔獣討伐の任を命じます。場所は北方の町ポルカの北東に位置する隣国との境です。エルム小隊が既に派遣されていますが、戦果は芳しくない様子。応援に行ってください」
「御意」
アレクセイの言葉に、ウィルは右拳を左胸に当てた。
それならお安い御用だ、とでも言いたげな自信に満ちた表情を浮かべる。
「――それと、もう1つ」
アレクセイはジェイコブに目配せをした。その視線を受け、ジェイコブは合点がいく。
「なるほどな。そりゃ名案だ。よし、許可する」
「ありがとうございます、団長」
「一体なんなんです?」
「ウィル、あなたに極秘の追加任務を命じます」
二人のやり取りを怪訝そうな眼差しで眺めていたウィルフレッドに対して、アレクセイは簡潔に「ポルカの聖女」の噂を説明した。
「はあ? なんで僕が? 諜報部の仕事でしょう」
「ちょうど同じ方向じゃねえか。頼んだぞ、ウィル」
「そんな極秘任務を子供のおつかいみたいについでのように出さないでください。僕は魔獣を始末したらとっとと戻りますからね」
「我がまま言うな、ガキかお前は。これは仕事だぞ、仕事!」
「だからちゃんと魔獣は始末しますよ! ポルカだかなんだか知りませんけど、そんな片田舎に何日も潜伏してたら退屈で干からびます。僕のような優秀な人材を干からびさせるなんて、国家の損失ですよ、団長様」
「何を生意気な……!」
またぞろ兄弟分たちの口喧嘩が始まる予感がしたアレクセイは、何気ない風を装いつぶやいた。
「――そういえば団長。そろそろバランティーニ侯爵が来られる時間では?」
起死回生の一発だった。
まだまだごねそうな雰囲気を醸し出していたウィルフレッドは、「バランティーニ侯爵」の一言が出ると、途端に態度を翻した。
「極秘任務、承りました。治癒魔法士かどうか探って、未登録の野良猫だったら首輪つけて引っ張ってくればいいんでしょう?」
不承不承、ウィルは頷いた。その端正な容姿には明らかに「面倒だ」と書いてある。
「治癒魔法士は貴重な人材だ。くれぐれも、くれぐれも、丁重に扱えよ。対応間違えてよその国に逃してみろ、それこそ国家の大損失だ。分かってるな?」
「そんな重要な役目を僕のような新人に任せないでくださいよ……」
「そんなことは百も承知だ。治癒魔法士か否か、もしそうなら登録されているのか否か、その確認だけでいい。お前に女を近づけさせたらロクなことが起きないからな」
「分かっていただけているようで安心しました」
これで全て用事は終わったとでも言いたげに、ウィルフレッドは急いで退出の挨拶を述べようとしていた。
そこに、ノックの音と共に一人の老人が現れる。
「やあ、ジェイコブ。話は終わったかね?」
豊かな白髪を緩く流し、たっぷりとした白髭を蓄えた老人は、この執務室内にいる誰よりも身長が低いにもかかわらず、誰もが平伏してしまいたくなるような存在感を放っていた。
右手に握るステッキを杖代わりに、執務室内の応接ソファに慣れた様子で座ると、フーッとひとつため息をついた。
「これは……バランティーニ侯爵! 申し訳ございません! お待たせいたしました!」
ジェイコブは慌てて立ち上がると、大きな体を勢いよく曲げ、その老人に最敬礼をした。
「わしはここで待たせてもらうからのう、話が終わったら教えてくれ」
「いいえ! もう終わっております!」
「おお、そうか。――ウィル、久しぶりじゃな。元気にやっておるか?」
老人の登場に苦虫を噛み潰したような顔をしていたウィルフレッドは、話しかけられ、更に顔を歪ませる。
「わしのところにもお前の噂は少しづつ届いてきておるが……どうも最近、羽目を外し過ぎておるようじゃのう」
「……クソジジイが。まだくたばってなかったのか」
「おうおう、くたばっていられるか。お前の育て方を間違ってしまったかと毎日毎日悔いておるんじゃぞ」
「地獄耳かよ……」
聞こえないように小さく呟いたはずの言葉を返され、ウィルフレッドは思わず大きなため息をついた。老人の言葉には答えず、すぐさまジェイコブに向き直る。
「団長、ご用件が以上ならこれで失礼致します」
「お、おう。ご苦労様」
ジェイコブが引き止める間も無く、退出の挨拶を一言伝えると、ウィルフレッドは光の速さで執務室を出て行った。
その様子をただ見守るだけだったジェイコブだったが、ハッと気を取り直し、応接ソファでアレクセイに給仕された紅茶を嗜みながら寛ぐバランティーニに駆け寄り、勢いよく頭を下げた。
「申し訳ありません。入団した以上、ウィルは俺の部下です。部下の無礼をお許しください」
「よいよい。アレのわしへの態度は昔から知っておるじゃろう。いつものことじゃ」
バランティーニは手に持ったステッキにあごを乗せ、やれやれとため息をついた。
かの老人は魔術師団の前団長であり、5歳のウィルフレッドを魔術師団で預かり育てた、彼の親代わりでもある。
「魔術学院の卒業式以来数か月ぶりの再会というのに、まったくつれないやつじゃの」
「はあ……卒業後も一度も侯爵家に帰っていないと伺いましたが」
「魔術学院へ入学する時に出て行ってから、我が邸には寄り付きもしとらんよ。成人して魔術師団に入団すれば少しは反抗期も落ち着くかと思ったが……酒に女に賭博にと絵に描いたような放蕩ぶりじゃ。国一番の魔術師じゃともてはやされているが、中身は成人したばかりの若者じゃからのう。アレがただの若者なら多少の羽目外しにも目をつぶれるんじゃが……」
先ほどまで「クソジジイ」と悪態をつけてきていたウィルフレッドに思いをやり、バランティーニは目を伏せた。それはまさしく放蕩息子の先行きを心から心配する父親の表情であった。
「ウィルが色々と飲み込みながらなんとか自分自身を保っている、その頑張りはよく理解しているつもりです。上司としては頭が痛いですが、一個人としては、あいつがああやって自暴自棄になるのも、無理はないことかと……」
「……そうじゃな。わしらにできることは、少しでもあの子に降りかかる火の粉を少なくしておくぐらいじゃ、ジェイコブ」
バランティーニは後ろに控える従者に合図を送り、本日の魔術師団団長との面会の本題となる機密文書を提出させる。文書の内容を確認するジェイコブを見据えながら、老人は重々しく口を開いた。
「ウィルの暗殺を狙う輩が出てきた」
ジェイコブもアレクセイも息を飲み、執務室内の空気が一気に張り詰めた。誰もが胸に去来したその言葉を飲み込んだ。「またか」と。