37 エピローグ~バートン診療所のある日の出来事~
隣国との国境沿いにある小さな町ポルカには、若夫婦の営む小さな診療所がある。仲睦まじい2人の間には、昨年の冬、待望の第一子であるジョシュアが生まれた。
ジョシュアがまもなく1歳を迎える、ある冬の日のことだった。
「――ジョシュ、お利巧さんね。もうすぐお姉ちゃんが帰って来るからね」
ジョシュアは大好きな母親の声で目を覚ました。もっと毛布にくるまっていたかったような気もしたけれど、聞きなれない「お姉ちゃん」という言葉に興味が引かれ、昼寝の誘惑を断ち切ることにしたのだ。
この家で子供は自分だけだということにジョシュアは気付いていた。お姉ちゃん、という言葉が指す意味はよく分からない。ママやパパ、ばあばやじいじとはどうやら違うらしい。きっと何か特別な役割を持っているのだと思った。
ジョシュアがベッドから下ろされ、いつもの定位置である母親の膝の上に乗せてもらうと、図った様なタイミングでドアベルが鳴った。お客様だ。
父親がお客様を出迎えるために満面の笑みで階下に降りていった。ジョシュアの住む家は、玄関が1階にあってリビングやダイニングが2階にあるのだ。
小刻みに揺れる母の膝が、母がそのお客様をとてもとても楽しみにしていることが伝わってきた。まだ半分寝ぼけ眼だったジョシュアも、その膝のリズムが楽しくなってきて、きゃいきゃいと声を上げて笑った。
お姉ちゃん。なんて愉快なお客様だろう。
「ただいま、サラさん!」
鈴の鳴るような軽やかな女の子の声が、母の名を呼んだ。
声の主、リビングに入ってきた栗色の髪の女の人は、目にいっぱい涙を浮かべていた。
「アシュリー! ……おかえりなさい!」
母もまた、声を震わせながらその女の人の名前を呼んだ。
膝に乗せていたジョシュアを抱き上げ、アシュリーに近付く。
母がアシュリーをジョシュアごと抱きしめた。ジョシュアは窒息しそうになりながらも、じいっとアシュリーを見上げた。
ジョシュアの頬に触れた栗色の髪はふわふわとして雲のように柔らかで、アシュリーの白い滑らかな肌は人形のようだった。いいや、顔の造形だって人形のようだ。涙を浮かべた大きな薄い青色の瞳も形の良い薄ピンク色の唇も、ジョシュアが今まで会ったどんな女の子よりも可愛らしい。
「……ジョシュア。大きくなったね」
その大きな瞳に自分が映されるほどじいっと見つめ返され、ジョシュアは思わず驚いて母の方にしがみついてしまった。
「ジョシュったら、アシュリーに久しぶりに会うから、ビックリしちゃったのね」
「そうですよね。もう1年近く会えてなかったから。驚かせてごめんね、ジョシュア」
「ジョシュ。あなたのお姉ちゃんよ。あなたが生まれた時、一緒に居てくれたのよ」
お姉ちゃん。
目の前の動くお人形が噂のお姉ちゃんだと知り、ジョシュアは驚きで目を見張った。
でも今度は、お姉ちゃんの後ろからやってきた人物に目が釘付けになる。
「え!? もしかして……ウィルくん!?」
「――ご無沙汰しています、サラさん」
月の女神様だ。
ジョシュアは口をあんぐりと開けて呆けたようにウィルを見上げた。
ついこの間、教会でもらった太陽の神様と月の女神様の絵本に描いてあったとおりの姿で、そこに立っていた。
「あら。良いじゃない、その髪。イメチェンしたの?」
母が月の女神様の綺麗な銀髪を指して、朗らかに笑った。
彼は意表を突かれた顔をして、それからアシュリーと顔を見合わせて笑い、「そんなところです」と呟いた。
「ほらね。気にしなくても大丈夫って、言ったでしょ?」
「……だね」
2人が小さな声でやり取りをしているのがジョシュアにだけは聞こえていた。
とても親密そうな雰囲気だった。
2人のあとに父が遅れて入ってきた。それに気付いたアシュリーが、少しだけ頬を赤らめながら父と母を前にして言った。
「サラさん、ビルさん。えっと、一応紹介させて。こちら、ウィルフレッド・フィッツバーグ様。……恋人なの」
「コイビト」の意味がジョシュアにはよく分からなかったけれど、父も母もとても嬉しそうで、お姉ちゃんも月の女神様もとても幸せそうで、そうするとジョシュア自身もなんだか楽しい気分になってきた。
母の真似をして両手を打ち鳴らしてみると、皆が驚いてまた笑顔になった。つられてジョシュアも笑った。
国境沿いの町ポルカにある小さな診療所は、その日、夜遅くまで楽しい笑い声が絶えなかった。
この冬初めての雪がポルカに舞い降りていく様子を月が優しく見守っていた。
これにて完結です。
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