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33 闘いのあと



 目を開けると、見慣れない天井が飛び込んできた。

 ここはどこか、疑問が頭に浮かぶその前に、目の前によく見知った人物が登場した。いつもはお日様のように眩しい笑顔をたたえている彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

「ベティ……?」

「アシュリー! アシュリー、何ともない? 痛いところ、ない?」


 矢継ぎ早に繰り出されるわたしの健康状態へのベティの質問に、まるであの時のウィルみたいだと既視感を抱いたところで、はっと完全に目が覚める。


「ウィルさん……ウィルさんは?」

「大丈夫、何ともないよ。アシュリーをここまで運んでくれたの」

「よかっ……た」

「アシュリーは何ともないんだね……いきなり人の心配するくらいだし」

「うん……わたしはただの魔力切れだから……」


 ウィルの無事を聞き、全身の緊張が一気に緩む。緩みついでに涙腺も緩んだようだ。じわりと視界が滲む。ベティと穏やかに会話できるということは、危機はもう脱したんだ。

 


 落ち着いたところで、上体を起こしながら周囲を見回してみた。

 わたしが横になっているベッドの周囲には衝立が設置されていて様子がよく見えないが、部屋の広さから推測するにあと1、2台は同じようなベッドが置いてあるのだろう。

 様子をうかがうわたしに気付いたベティが、ここは魔術師団の本部棟にある救護室だと教えてくれた。

 本当はスタンレー伯爵家に送りたかったそうだけれど、今日の出来事について直接聴取がしたいと言った団長の命で、この部屋に寝かされていたそうだ。不特定多数が出入りできるこの部屋に1人で寝かすわけにもいかず、こうしてベティが付き添ってくれていたらしい。


 ベティの話を聞きながら、ふと気絶してしまう前の出来事を彼女の顔を見て思い出す。

 

「……そうだ。ありがとう、ベティ。前に教えてくれたでしょう? 魔力を人から人へ渡す効率的な方法。あのことを思い出せたおかげでウィルさんに応急処置が――」

「あー! あの……ね、アシュリー。あたし、謝らないといけないことがあって、ね」

「ん?」


 言いにくそうに口元をモゴモゴするなんてベティらしくない。

 疑問符を浮かべながら返事をすると、ためらいつつもベティが口を開いた。


「それ、冗談だったの……」

「…………ん?」


 ベティの口から伝えられた衝撃の真実によって、しばし脳内が思考停止したのち、羞恥心が勢いよく爆散したのだった。


 魔力を渡すのに口からでも手からでも効率は変わらない?

 経口での魔力譲渡は恋人同士がするもので、更に言うと媚薬効果まである?

 なん……! なんってことを……! わたし、ただの痴女じゃない……!


「終わった……社会的に死んだ……」

「大丈夫だよ、アシュリー! ウィルフレッド様にも隊長にも、あたしがアシュリーに間違ったことを吹き込んだんだって説明してるんだから。むしろ問題は、完全に(たが)が外れてがっついちゃったあちらさんなんだけど……」

「ただでさえクリス司教の罠に簡単にかかっちゃってウィルさんを危ない目に合わせたのに……どうしよう、もう口きいてもらえなかったら……」

「もう、アシュリー! あたしの話、聞いてるー!?」


 膝を抱えて羞恥の渦に飲み込まれているわたしの耳には、ベティの言葉なんてまったく入ってくるわけもなく。

 つい最近特別な感情を抱いていると気付いた相手に対して、応急処置だ人工呼吸だと勘違いしたまま自分からキスしてしまうなんて……どこに穴を掘って身を隠せばいいんだろう……。いよいよウィルの顔をまともに見れなくなってしまったじゃないか……。


「おーい。入ってもいいかー?」

 

 衝立の向こう側から不意に声がかけられ、わたしもベティも騒いでいた声を押さえ、顔を見合わせる。

 どうぞ、とベティが返事をすると、顔をのぞかせたのは魔術師団の団長であるジェイコブだった。遠慮しつつベッドに向かってくる団長の後ろには、アレクセイの姿も見えた。

 

 大柄で威圧感のある団長は、ともすれば恐がられてしまう相貌をしているけれど、物腰が柔らかで表情に人柄が出てしまっている。王宮や議会での仕事も多い団長とは普段からあまり会話をすることはないが、彼特有の親しみやすい笑顔や話し方のおかげで、魔術師団という大きな組織のトップだというのに気負いなく話すことができる。

 

 団長が現れると、申し合わせていたかのようにベティが立ち上がった。

 わたしに軽く手を振ったベティは、そのまま救護室を出て行った。


「悪いな、本当はすぐにでも伯爵邸に帰してやりたかったんだが……具合はどうだ? アシュリー」

「少しだけ体が重いですが、問題ありません。今日のことについての事情聴取があるんですよね」


 先ほどまで羞恥のあまり穴を掘りたい気分だったのは脇に押しやり、頑張って平静を装い答えた。


「――あなたにはクリスのことで聞き取りをしなければならない事柄が多くあるのですが、その前に……」


 アレクセイはいつも通りの無表情でこちらに視線を送っていたが、その瞳には心配と憐憫が透けて見えている。


「メイナードから聞いている。――すまなかった」

「え?」

「ウィルの馬鹿が、アシュリーの同意もなく経口での魔力摂取をしたんだろう。そんな無体な真似をして、挙句に君を魔力切れで失神させるなんざ……」

「えっ……や、あの――」

「正式にあの色ボケ馬鹿を強制わいせつ罪で訴えることもできるぞ」

「訴え……って、ええ!?」


 畳みかける団長の言葉に、事態が思わぬ方向へ向かっていきそうに思えて、慌てて首を横に振る。

 このままではウィルが犯罪者になってしまう……!

 

「ご……誤解です、団長! 誤った知識を元に、わたしからしたんです。むしろわたしの方が訴えられるべきというか……」


 わたしの言葉に団長とアレクセイが顔を合わせ頷き合う。

 それから二人で呆れたような笑みを向けて言った。


「ウィルが訴えるわけありませんよ。都合の良い夢だと喜んで、暴走していたのは彼の方なんですから」

「ま、念のための確認、裏取りだ。あいつが嘘をついているとは思わないが、君に関しては冷静でいられなくなる青臭いガキだからな。今回のことは、お互い不問にするということでいいか?」


 団長の問いかけに力強く頷く。

 良かった。これでわたしもウィルも犯罪者にならずに済んだ。

 ホッと胸を撫で下ろしたところで、「本題だ」と団長の言葉が聞こえてきて、また姿勢を正した。


「教会での事件は既にウィルから詳細は聞いている。アシュリーからも報告してくれるか」

「はい。……まずは、今回の件はわたしが誰にも相談することなく独断で動いてしまったために起きてしまいました。……申し訳ございません。事の起こりは、今朝、クリス司教からわたし宛に届いた書簡で――」


 それからわたしは、団長とアレクセイに対して、クリスからの書簡の内容、教会でのクリスとのやり取り、腕輪の自爆装置機能によりクリスを戦闘不能にした経緯について、可能な限り詳細に説明をした。

 どうやらウィルは、クリスから古代魔術をかけられてからの記憶が曖昧になっていたそうで、ウィルの説明では不確かだった部分をわたしの説明で補えたようだった。


「――なるほどな。あの男にしては、今回の計画があまりにも行き当たりばったりで杜撰(ずさん)過ぎると思っていたが、やけっぱちになっていたんだろうな。どうせ消される運命ならやりたいようにやった、というところか」


 団長が腕組みをしながら思考を巡らせるようにつぶやく。

 その様子を伺いつつ、ずっと気になっていたことを口にした。


「あの、クリス司教は……今、どこに? 無事なのでしょうか」

「ええ、今は牢に繋いでいます。こちらが全く知らない魔術を繰り出されてはかないませんので、魔力を無効化する罪人用の牢に入れていますが、念のため監視もつけている状態です。……とはいえ、未だに気を失ったままです。命に別状はないようですが」

「もしかして、わたしの腕輪の破壊力のせい、でしょうか……?」

「どちらかと言えば、製作者のエリック・ノーサンに責任があるのでは……? あの腕輪に仕込まれていたのは対ウィル用の自爆装置だったようで、むしろよく死ななかったな、などと言っていましたよ」

「? はぁ……」


 なぜに自爆装置がウィル対策になっていたのかは謎だったけれど、ひとまずクリスの無事を聞いて一安心する。わたしもウィルもとんでもない目に遭わされてはしまったが、やはり人一人の命を奪いたくはなかったのだ。

 

「結局、あの方のやりたかったこととはなんだったんでしょうか」

 

 ウィルの命と引き換えにわたしの協力を要求してきた彼を思い出し、ぽつりとつぶやく。

 

「最初はウィルさんへの殺意が強くて標的はウィルさんだったのかと思ったら、最終的にはわたしの治癒魔法の能力を手に入れて教皇猊下の失脚を狙うような発言もしていましたし……」

「うーん……まあ、本人に聴取したところで本当のところを語ってくれるわけがないからな。正確なところは分からん。だが、どちらも根っこの部分は同じだと思うぞ。……クリスにとって、ウィルはあり得たかもしれない自分の姿だったんだろうな」

「ウィルさんが……?」

 

 そう言って、団長はウィルから聞いたというクリスの生い立ちについて話してくれた。

 魔術を使う機会なんてない教会の司教がなぜあんなにも魔術を巧みに操っていたのか、謎が解けた。

 

「あの男にとってある意味不幸だったのは、魔術学院という教会や孤児院以外の居場所を知ってしまったことなのかもしれないな。独学で古語をマスターし、古代の魔術書を読み解いて廃れた魔術を再現する、なんてのは並大抵の才じゃねえ。それこそ教皇猊下が関わっていなければ、魔術師団の研究部に是非欲しい人材だったな」


 団長の言葉に、アレクセイも同意するように頷いた。

 基本的な古語は学院でも必修科目になっているそうだが、学生のうちに習得する者なんていないらしい。ましてや、古代の魔術を復元するなんて、もしも魔術師団の研究部がそんな成果を上げれば表彰ものだとアレクセイが付け加えた。

 

 教皇猊下に睨まれながらも魔術師団やバランティーニ侯爵によって守られたウィルと、かたや、孤児で後ろ盾のない守られなかったクリス司教。

 飲み込んできた嫉妬や羨望、恨みが今回の左遷で一気に噴出したんだろうか。

 勝手に引き合いに出されて勝手に恨まれているウィルにとっては、ただのとばっちりだけれど。

 

「彼が若くして教皇猊下の腹心にまで上り詰めることができたのは、本人の優秀さも去ることながら、駒としての便利さでしょう。幼い頃から教会のために働くことを刷り込まれ、孤児ゆえに面倒な縁故者もいない。使い勝手の良い、いつでも切り捨てることのできる駒ですよ」

「……駒」


 言葉にすると、何とも言いようのない虚しさが襲ってきた。

 教会のために働くことを刷り込まれた駒。

 本当にそうだったんだろうか。あの夜会でのバルコニーで彼が語った内容も全て、わたしという治癒魔法士を教会陣営に取り込むためだけの方便だったんだろうか。


 思考の海に沈んでいたわたしに、団長がおもむろに話しかけてきた。


「アシュリー。ところで、治癒魔法士として1つ頼みたい仕事があるんだが――」



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