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31 破壊の呪文

更新再開しました〜。



 目を覚ましたその瞬間に、とても会いたくて、でも会いたくない人の顔が飛び込んできた。

 雲一つない晴れた空のような瞳には、切羽詰まった焦りの暗雲が立ち込めている。こんなにも余裕のない表情をあらわにしたウィルなんて、見たことがない。


 矢継ぎ早に繰り出される彼の問診に慌てて答えたわたしは、何故目の前の2人が睨み合っているのかすらすぐには理解できていなかった。ここは戦いの場なのだ、とようやく理解した時には、既に目の前のウィルが攻撃を受けていたのだ。



「魔力がないだと……っ」

「ええ。どうです? 貴方のお得意の魔術は何も発動しないのでは?」

「……っ」

 

 ウィルは苦しそうに肩で息をしていた。

 彼が何も攻撃を繰り出さないということは、クリス司教の質問に図らずも答えていることになる。

 ……先ほどの黒い靄が、ウィルの魔力を奪っていっているということなのだろうか。


 行き着いた結論に愕然として、目の前のウィルの背中を見つめた。

 すると、わたしの目では追えない速さで動き出したウィルが、いつの間にかクリス司教の胸倉をわしづかみにしていて、一発、二発と殴り飛ばした。


「魔術を封じれば俺を殺せるとでも思ったか。そんなやわな鍛え方はしていないんだよ……っ」


 仕上げとばかりに長い足を振り回す。ウィルの振り上げられた右足によって、クリス司教の体は反対側の壁まで飛ばされてしまった。なすすべもなく飛ばされたクリス司教の体が壁にぶち当たり、部屋全体を揺らすほどの衝撃と爆音が鳴る。無意識に身が竦んだ。

 ウィルの魔術師団員相手の荒っぽい特訓を何度も見学していなかったら、卒倒していただろう。

 

「アシュリー、逃げろ……っ」

 

 肩で息をしながら、ウィルが振り返らず言った。

 魔力が奪われていく体は本来、気を失うほど力が抜けていくものだ。いくらウィルと言えども、簡単に体が動くわけではないはずだ。

 

「今の俺は、君を、守れない……っ。魔術師団から救援が来るはずだ……っ、頼む、それまであいつから……っ」


 でも。

 口をついて出そうになった言葉を、すんでのところで飲み込んだ。足手まといにしかならないわたしがここに居てはいけない。わずかに残っていた冷静さをかき集め、竦んでいた足を奮い立たせる。

 数歩先にある応接室の扉へと急いで走った。

 ドアノブに手を置いたその瞬間、ひやりとした冷気を感じ、思わず手を引っ込める。すると、みるみるうちに目の前の扉が凍り付いていったのだ。


「逃がしませんよ」


 蹴り飛ばされたはずのクリス司教がすぐ側に立っていた。口の端から一筋の赤い血が流れ落ちてきて、無造作にそれを拭いながら口角を上げた。


「あやうく意識を失うところでした……流石は最強の魔術師様だ。肉弾戦では勝ち目はなさそうですね」


 おもむろに片手をウィルに向けたクリス司教は、無数の風の刃を巻き起こした。特別訓練で何度か見たことのある、風魔法の攻撃だ。

 呪文すら唱えず魔術を展開するクリス司教の姿に、驚いて息を飲む。戦闘訓練を日頃からしている魔術師団員ならまだしも、司教のクリスが何故ここまでの魔術を――。

 風の刃は、無情にもウィルの体を何ヶ所も切り裂いていった。切り口から鮮血が滲み出し、床に滴り落ちていく。結界も転移の魔術も使えない今のウィルでは、全てを避けきれなかったようだ。


「ウィルさん……っ!」


 喉の奥から絞り出した声は、情けなく震えていた。

 以前、ポルカの路地裏でわたしをかばって背中を刺されたウィルの光景が蘇る。


 あの時のわたしは、力の使い方も分からず、がむしゃらに魔力を叩きつけた結果、自分が失神してしまった。けれど、今はあの時のわたしとは違う。

 逡巡する間もなく、体は勝手にウィルの元へと駆け出していた。

 今のわたしならできる。何度も何度も訓練したんだから。


治癒(ヒール)!」


 戦闘の最中だ。1つ1つの傷を見ながら治癒をしていたら(らち)が明かない。体全体の傷を治癒するイメージで、呪文を唱える。必要な魔力だけを流す。治癒が終わった瞬間の、魔力の流れの変化を見逃さない。――全部、ウィルが教えてくれた。

 金色の光の粒がウィルの体を包んだ。特に目立っていた左腕の裂傷が塞がっていく。手応えを感じ、ホッと安堵したのも束の間。荒い息で膝をついていたウィルが、突然その場に倒れ込んだのだ。


「ウィルさんっ!? なんで……っ!」

 

 治癒魔法はうまく作動したはずだ。傷はもうない。

 想定していたものとは異なる結果を前に混乱するわたしに、クリス司教が穏やかな笑みを浮かべながら声をかけた。


「あなたの治癒魔法は完璧でしたよ、アシュリー様。ただ……残念ながら、魔力切れには何の意味もなさないのです」

「魔力……切れ……?」

「体内を巡る魔力が欠乏した時、人の体は防衛本能で意識を失います。魔力を使えない状態にし、生命を維持するための最低限の魔力を体内に残すのですよ。……では、意識を保ったまま強制的に魔力を奪われた者は、どうなると思いますか?」


 唇が震えた。

 予想する答えが脳裏をよぎり、否定したくてもクリスの様子が全てを肯定している。

 

「死ぬのですよ」


 ――わたしのせいだ。

 何故、ウィルがこの場所に現れたのかは分からない。

 でも、きっと、わたしがクリス司教に1人で会いに来なければ、こんなことにはならなかったはずだ。

 絶望するわたしを尻目に、クリス司教は心底嬉しそうな声色で笑い出した。


「惜しかったですね……ウィルフレッド・フィッツバーグ。貴方は出会い頭に私を攻撃し、無力化しなければいけなかった。そうすればこのように無様な醜態を晒す必要もなかったのに……。私など取るに足らぬ存在だと油断したのでしょう。……いや、何かを飲まされたアシュリー様を助けるために、何もできなかったのでしょうかね」


 クリスの言葉が、絶望の淵で佇むわたしを更に深い深い谷底へと突き落としていく。

 彼の淹れた紅茶を飲んですぐ、意識を失ったのだ。目を閉じる間際に攻撃を受けた。腕輪が発動して……そして、ウィルを呼び出した。

 最初から全部、罠だったんだ。そんな罠にまんまと掛かってしまった愚かなわたしのせいで――。


「――君のせいじゃ、ない……」

 

 囁くようなウィルの声が耳に届き、弾かれたように彼の顔を覗き込む。

 ほとんど焦点のあっていない彼の瞳が、青く揺らめいていた。

 

「俺が、自分の、やりたいように、やっただけ……っ。君に、早く、謝りたくて……」

「ウィルさん……?」

「傷つけて、ごめんな……」

「え……?」

「心にも、ないことを言って……君を、傷つけた……っ。大切、なのは……っ、『治癒魔法士』だからじゃ、ないんだ……っ、アシュリー……っ」


 ウィルの言葉を遮るように、乾いた拍手の音が鳴り響いた。

 音の主は、風の刃で切り裂かれたソファに優雅に腰掛け、高みの見物と言わんばかりに悠々と足を組んでいた。


「想い合う二人の最期の会話……涙が出ますね。――アシュリー様、1つ提案があります。彼の魔力を奪い続ける魔術は、術者である私なら止めることができますよ。……あなたと引き換えに」

「わたしに……何を望むんですか」

「アシュリー……! ダメだ、聞くな……!」


 悪魔のような笑みを浮かべるクリス司教に向かい、立ち上がった。

 ウィルの止める声が聞こえてきたけれど、なりふりかまってなどいられない。


「私と組みましょう、アシュリー様。聖女の称号に相応しい見目と能力を持つあなたが私と組めば、今の教皇を引きずりおろすことだってできます。あの権力欲に塗れた俗物を」

「あなたは教皇猊下の部下では……」

「部下()()()よ、昨日までは。教皇猊下の不興を買った私は、あっさりと切り捨てられ、僻地の教区へと追いやられることになったのです。……それだけではありません。不都合なことも知っている私は、恐らくどこかのタイミングで消される予定なのでしょう」

「……そんな」

「さあ。……まずは、あなたの身を縛るその腕輪を外してしまいましょう」

「……縛る?」


 わたしの身を唯一守る術である腕輪を指し、予想外の言葉を投げかけられる。戸惑いながらも腕輪を腕ごと握りこむ。


「その腕輪は枷ですよ、アシュリー様。言ったでしょう。あなたの能力は、魔術師団で独占していい力ではないと。さあ、私と共にありましょう。……あなたの大切な方は、もう虫の息ですよ」

「――っ!」

「ダメだ……っ、アシュリー……っ、そんなのは、君が選んだ道じゃない……っ!」


 ウィルの悲痛な叫びが耳にこだました。

 治癒魔法の能力を受け入れて、魔術を学びたいと魔術師団に入ることを選んだのはわたしだ。自由に生きてほしいと願ったお母様との約束とは少し違うけれど。自分で選んだ道を進むことは、自由に生きていることだと、肯定してくれたウィルの笑顔が脳裏をよぎった。

 ……ごめんなさい。お母様。ウィルさん。

 自分で選んだ道を進むことよりも、もっと大切な人ができてしまった。失いたくない存在が。


 ――「もしも君が、いま選んでいる道ではない別の道を選びたいと思った時、……

 

 唐突に、何ヶ月か前に一度だけ目にした文字が、ふと脳裏に蘇った。

 あれは……そうだ、この腕輪をもらった時にエリックから渡された紙に書いてあった。


 ――「もしも君が、いま選んでいる道ではない別の道を選びたいと思った時、この腕輪は破壊するように。未練たらしい男が泣いて縋ってきたら、破壊の呪文を唱えながら投げつけたらいい。足止めくらいはできるよ。破壊の呪文は――」

 

 唐突に思い浮かんだ考えに、我ながら身震いする。

 一か八かの賭けだ。

 もし、ウィルの魔力を奪っている魔術を無効化する条件が、わたしの予想通りなら――。


 腕輪の留め具を片手で外し、祈るように一度握りしめた。

 決死の覚悟で腕輪を外すわたしの表情に、クリス司教は全てがうまくいったと確信し、微笑んだ。その顔面に、やけっぱちになりながら腕輪を放り投げる。彼が両手でそれを受け止めたことを確認し、()()()()()を叫んだ。


破壊(デストールク)!」


 魔術はイメージだと、師匠が言っていた。

 クリス司教は死なせない。気絶させるだけ。強く念じながら呪文を唱えた。腕輪にはわたしの魔力が登録されている。きっと、わたしの思い描いた通りの結果になるはずだ。

 通常、魔術は術者の意識がなくなれば効果は消える。古代魔術であっても、基本的な発動条件は同じはずだ。それに、ウィルに蹴り飛ばされたクリス司教が言っていた。()()()()()()()()()()()()()()、と。


 わたしの呪文に反応した腕輪は、カッと金色の強い光を放った。爆音と共に、突風が噴き上げてくる。たまらず、ウィルの体の上に覆い被さるように顔を伏せた。

 

 自分の息遣い、心臓の音がやけに冴え渡って聞こえてくる。

 うまくいったのだろうか。

 爆風がおさまった頃、ざわつく心を鎮めつつ顔を上げた。


 クリス司教が立っていた場所には、バラバラに散らばった腕輪の欠片が見えた。吹き飛ばされたのだろう、奥の壁に背中を預けるように横たわる人影が見える。動く様子は……見えない。


「うっ……」

「……ウィルさん!」


 すぐ側で横たわるウィルの唇から、微かな呻き声が漏れた。

 目線を向けたまさにその時、先ほどウィルを襲った黒い(もや)が彼の体から少しずつ立ち昇っていく光景が目に映る。完全に靄が消えた直後、ウィルの体は糸が切れた人形のように力を失った。

 

「ウィルさ……っ、ウィルさん……!」


 手が震える。急いでウィルの口元に耳を近づけた。僅かだけれど息がある。

 黒い靄が消えていった様子から、魔力を奪う魔術は無効化されたはずだ。

 閉じた睫毛はぴくりとも動かない。まるで精巧に作られた人形のようで、端正なウィルの容姿が更に作り物めいて映る。

 たまらず、震える手で頬に触れた。指先に感じた冷たさに、恐怖が襲ってくる。

 ……間に合わなかったのだろうか。


 ウィルの冷たい手を両手で握りしめ、全身の魔力を注ぎ込むように送り始めた。

 ――ああ、まるで手ごたえがない。

 干からびた広大な海にたった1人きりバケツで水を入れているかのような心地になる。当然だ。ウィルの魔力量と、それでもなお気を失ってしまうほどの欠乏状態を考えれば、命を維持するための魔力はどれほど必要になるのだろうか。

 本当にこのやり方でいいの? ウィルは助かるの?

 襲い来る不安に視界が滲んだ。


 考えろ。……考えろ。

 なんのために治癒魔法の力を受け入れたの。なんのために王都に戻ってきたの。

 わたしの知識不足や力不足のせいで、大切な人につらい思いをさせたくないから、だからこの何か月間も、魔術を基礎から覚えて何度も訓練したじゃないか。

 脳内に納められた無数の魔術の知識を片っ端からさらっていく。何か、あるはずだ。何か……。

 

 ――「ねえ、もしかしてコレも知らない? 魔力を人から人へ渡すのに一番効率的な方法」 


 頭の一番奥の部屋で、ベティの言葉を見つけた。からかうように唇に指を当てたベティの笑顔が蘇る。


「……人工呼吸」

 

 震える声で呟いた。

 いや、迷っている暇なんてない。


「ウィルさん、ごめんなさい。目が覚めたら怒っていいから……だから、お願い、目を覚まして――」


 初めて直に触れたウィルの唇は恐ろしく冷たく、柔らかな感触だった。



腕輪の自爆機能については9話を、ベティの入れ知恵については3話をご参照ください〜。


最終回まであと6話くらい、最後までお付き合いよろしくお願いします!

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