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30 貴方と私の違い ≪ウィル視点≫

前話からの続き。今度はウィル視点。



 強い憤りで荒くなっていた息を暫し落ち着かせるように、深く深く息を吐きだした。まるで自分自身の感情が、制御不能の魔獣のように感じる。荒れ狂う内なる魔獣を抑え込み、ロンバルディア教会の扉を見上げた。

 常に開かれているはずの教会の扉は、今は固く閉ざされていた。常とは異なる様子に、訪れた人々は首を傾げながら引き返している。

 ……破壊するか。

 暴れだしたいと疼く魔獣に引っ張られるように、右手に魔力が集まっていく。

 その時、扉が開いた。顔を出した男は紺色の修道服を着ていた。僕の姿を見つけ、にこりと微笑む。


「お待ちしておりました。ウィルフレッド・フィッツバーグ様」


 一切の邪気がない表情で「こちらへどうぞ」と促され、困惑に眉をひそめる。

 僕はどうやら、招かれざる客ではないらしい。


 

 

 アシュリーに手を出したクリスや教会を許すつもりはなかった。抵抗する者は徹底的に潰し、王都での国教会の中心地であるこの教会を、全くの更地に変えてしまってもよいとさえ思っていた。かつて彼女に忠告した通り、全面戦争だ。

 ところがどうだろう。現れた男は機嫌良く僕を出迎え、クリスから失礼のないよう丁重にご案内するように言われている、などと言う。

 次第に頭が冷えてきた。

 護りの腕輪が発動したということは、少なくともアシュリーに攻撃は当たっていないはずだ。彼女やクリスの元に連れて行くというのなら、従った方が早い。

 

 ……アシュリー。

 喉の奥で彼女の名を呼んだ。吐き出せない思いと共に、大きなため息が漏れた。

 数刻前のベティの言葉が甦る。

 僕の知らないところで傷ついてほしくないと思っていたはずが、僕自身がアシュリーを傷つけてしまった、なんて。今ほど自分自身を憎いと思ったことなどない。

 地面にめり込むほど頭を下げれば、彼女は許してくれるだろうか。僕の思いを、真意を、信じてくれるだろうか。


「この奥の部屋でお待ちです」


 不意にかけられた声で我に返る。

 敵陣のど真ん中で恋煩いにふけている場合じゃない。一呼吸おき、その扉を開けた。


「――っ! アシュリー!」


 最初に目に飛び込んできたのは、応接室のソファで半身を横たわらせたアシュリーの姿だった。完全に脱力した姿に、閉じた目。想定外の様子に目を見張る。

 アシュリーの真正面に座っていた男は、こちらに顔を向けながらにこやかに話しかけた。


「ウィルフレッド様。お早いお着きで。――さあ、彼女の隣にどうぞ」


 突発的に、その男をズタズタに切り裂きたい衝動が湧き起こる。反射的に左足を踏み込む。と、そこで男の顔に浮かぶ静けさを感じ取り、衝動を抑えた。

 

 この静けさには見覚えがある。自分の命を既に諦めている者だけが持つものだ。そしてそういう者は、他者を巻き込むことに何の躊躇も持たない。

 僕1人の身ならまだしも、アシュリーの置かれた状況すら分からないままで無茶はできない。

 警戒は続けたまま、彼女の横たわるソファへと向かった。


 クリスの視線を警戒しながら、アシュリーの様子を検分していく。

 脈も息も安定している。目立った外傷はない。……何かを飲まされたか。

 彼女の右手を取り、少しずつ魔力を流していく。もしも何かの毒を飲まされたのなら、魔力が不安定になっているはずだ。


「……思っていたより冷静ですね。出会い頭に切り裂かれるかと想像していましたよ」


 やけに落ち着いた声でクリスが喋り始めた。そちらに目をくれるでもなく返す。


「僕がその気になればいつでもできることだ。あんたは首の皮一枚で繋がっている」

「ふふっ……そうですか。では、貴方様の慈悲が続く内にお話をしてしまいましょう。私のお話の後に、アシュリー様に飲ませた毒をお伝えします」


 クリスの言葉に眉根を寄せた。僕が攻撃しない理由を的確に理解しているようだ。

 魔力を流すことで毒の中和は一時的にできる。だが、何を飲まされたかが分からなければ、完全に解毒することはできない。この男の口から吐かせる必要がある。既に生きることを諦めているこの男から。……心中のつもりか。

 黙り込んだ僕の様子にクリスは意図が通じたと確信したのか、薄ら笑いを浮かべながら口を開いた。


「――私は6歳の頃に母を病で亡くしましてね。教会の孤児院で育ちました。使い勝手の良い頭脳だったようで、幼い頃から教会の益になるよう勉学を叩き込まれ……幸か不幸か、10歳の頃に魔力が発現したのです。教会の孤児院で育つ孤児と言えど、魔力があれば魔術学院に通わねばなりません。当時、ロンバルディア教会の司教だった現在の教皇猊下は、それはそれは不服そうでしたが、国に逆らえるわけもありません。私は一時、教会という家であり枷でもある存在から離れることとなりました」


 何の話かと思えば、突然身の上話を始めたクリスの真意が読めず、眉間の皺が更に深くなる。

 この男の略歴は以前調べたが、教会の関係者で魔術学院にまで通っていた者はこの男くらいだ。なにしろトップが魔術師団を毛嫌いしているのだから。


「学院での日々は……なんとも形容が難しい。孤児と蔑む者たちに囲まれ惨めな思いをしながらも、ただ自分の興味が赴くままに魔術を探求できる環境に歓喜する時も確かにございました。――次第に、私は大それたことを思ってしまったのです。このまま魔術の研究をしていたい、と。……自分の望みを持ってしまった」

 

 過ぎた日々を懐かしむように微笑んでいたクリスの表情が、一瞬にして闇に飲まれたかのように陰った。

 

「何を馬鹿なことを、と一笑に付されましたよ。なんのために私を生かし、学を与えたのかと。全ては教会の益になるため、次代の聖職者にするため、と」

 

 誰に言われた言葉なのか、説明されずとも容易に想像できた。彼の学院卒業時には教皇の座に君臨していたあの禿げ頭だろう。あの強欲な権力者が欲しいと望めば、どんなものも叶ったのだ。

 

「私はそこでようやく理解したのです。見返りのない善意などないことを。私が与えられた一時の自由など、儚いものだった」

 

 クリスが目の前に置かれたティーカップを手に取り、そこに残った紅茶をくいと飲み干した。

 

「私が学院を卒業する頃、1人の子供を巡って教皇猊下と先代の魔術師団団長が反目していたことをよく覚えています。……その子供は守られ、私は守られなかった。私とあの子は何が違っていたのか、ずっと頭の片隅にあったのです」

「――!」

 

 ほの暗い負の感情を宿した青い瞳が、こちらを射抜くように向けられた。

 読み間違うこともない、明らかな敵意だ。

 

「ちょうど1年前――魔術師団の任命式後の夜会で、成長したその子供を見かけました。歴代最強の魔術師と手放しの称賛を受け、あの教皇猊下ですら容易に手出しできない存在にまでなっていた。もう過ぎ去っていったはずの学生時代の焦燥をかき乱される思いでしたよ。何が我々を分けたのか。……生まれか、魔力か、才能か」

「……あんたの狙いは僕か」

「貴方の存在は、私の心の安寧を搔きまわすのです。立場も能力も当たり前の顔をして手に入れ、ようやく見つけた私の新たな望みまで奪っていき――」


 クリスの言葉は最後まで続かなかった。同じ時、僕もまたすぐ隣で僅かに反応を始めたアシュリーの様子に気を取られたのだ。

 しっかりと閉じていた瞼が次第に瞬きを始める。少しずつ可動域を増やしながら、アシュリーが小さく声を出した。

 

「あ、れ……?」

「アシュリー!」

 

 体を横にしたままの彼女に目線を合わせるようにかがみ、のぞき込む。焦点の合わない目線がだんだんと合い始め、ようやく僕の顔を認識したようで大きな声が飛び出てきた。

 

「えぇ!? ウィルさ……っ、なんで!」

「体は動かせるのか? 視界や聴覚に問題はない? 僕が分かる?」

 

 矢継ぎ早に繰り出す僕の質問に、慌てて上体を起こしたアシュリーは、「ない! なんともないです!」と大きく首を横に振った。


「もう起きてしまいましたか。アシュリー様」

 

 やけに静かな声でクリスが呟いた。

 まだ展開についていけていないアシュリーは、自分が何故今まで気を失っていたのか、何故ここに僕がいるのか、猛スピードで脳内処理をしているのだろう。しかめ面でクリスと僕の顔に交互に視線を送っている。


「毒なんて飲ませていませんよ。あなたは私の()()ではないですか」

 

 少し眠ってもらっていただけですよ、とアシュリーに笑いかけたクリスは、一転、冷えた眼差しをこちらに向けた。

 

「お喋りはおしまいです。私の心の安寧のために、貴方には死んでいただきます」

「――!」

 

 アシュリーが身を固くしたことに気付き、咄嗟に彼女を背に庇い、一瞬のちに結界の魔術を作動する。

 クリスが囁くように呪文を紡いでいるのが分かった。おかしなことに、まるで聞き覚えのない呪文だ。

 本能が警告を発した。

 彼がかざした右手から、黒い(もや)が沸き起こる。

 

 ――なんだ、これは?

 

 見たことのない魔術に目を見張り、結界の魔術に更に魔力を込める。

 そんな僕をあざ笑うかのように、黒い靄は一瞬のうちに僕の体をぬるりと覆い隠し、息を飲んだその瞬間、あとかたもなく消失した。

 まるで僕の体に染み込んだかのようだ。

 

 痛みはない。体のどこかに自覚できるような異変も起きてはいない。

 混乱しつつも、アシュリーだけでも逃がそうと転移をしようとした。

 そこで違和感に気づく。

 常に体内をかけ巡っている魔力が思い通りに動かない。両手ですくった砂が指の間からサラサラと滑り落ちていくような感覚だ。自覚した途端に、強烈な脱力感に襲われる。


「……っ! 何をした……っ」

「貴方も知らない魔術ですよ、最強の魔術師様。何しろ、禁書庫にある古代の魔術書を私が何年もかけて読み解いた末に見つけたものですから」

「何故……っ、お前が……っ」

「どうですか……()()()()()体は」


 感情の見えない青い双眸がこちらを見下ろしていた。

 魔力切れを起こす直前の、酸欠状態にも似た独特の感覚が襲ってくる。


 まずいな、と他人事のように脳内で呟く。

 歴代五指に入るレベルで、命の危機だ。



いつも読んでいただき、ありがとうございます。

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