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5 ここで働かせてください!


 驚くほど爽やかな朝だった。

 昨日まで町を覆っていた不穏な雰囲気は鳴りをひそめ、常に旅装の者であふれている国境沿いのこの町には珍しく、静かな朝を迎えていた。以前より懸念されていた魔獣の増加に伴う国境を越える乗合馬車の運休が正式に決まり、落ち着きを取り戻したのもあるのだろう。


 バートン診療所の小さな病室で目を覚ましたアシュリーは、しかし、まだそのことを知らなかった。

 窓から差し込む朝日の眩しさに自然と目覚めた彼女は、まず、寝起きの頭をフル回転させながら、昨日までの出来事を反芻していた。

 


 王都にある実家の屋敷を飛び出したのは、数日前のことだ。

 この夏で成人を迎えるアシュリーに、父親が縁談を準備しているらしいという話を弟のライアンから聞かされた。良縁ならまだしも、随分と年の離れた男性の後添えに、という話だったらしい。


 アシュリーの魔力や治癒魔法の能力は彼女の死んだ母親しか知らず、彼女は優秀な魔術師の家系に生まれた、魔力のない「出来損ない」の娘だと周囲からは見なされていた。

 とはいえ、幼い頃に母親を亡くしたライアンにとっては母親代わりの大切な姉であり、小さな頃からのお世話係のリリィをはじめとした使用人たちにとっては、アシュリーは大切なお嬢様だった。

 しかし、彼女の父親は違った。

 母が亡くなる前も亡くなったあとも、父と親子らしい会話などしたことがなかった。仕事に忙殺されているのか、はたまた愛人でも囲っているのか、朝も夜も父と顔を合わせることはなく、ごく稀に顔を合わせれば、ひどく冷たい視線を浴びせられた。

 なるほど、魔力のない「出来損ない」には興味がないのだろうとアシュリーは子供ながらにそう受け止めていた。


 そんな父だったからこそ、縁談の話は腑に落ちた。

 魔力のない娘を娶ってくれる家などない。さっさと厄介払いができるようにそのような縁談を用意したのだろう。


 アシュリーは決断した。

 今こそ、母の遺した言いつけに従い、「自由に生きる」ために行動する時なのだと。


 ライアンから縁談の話を聞かされたその日の夜半、アシュリーは誰にも行き先を告げず、王都から離れる乗合馬車に飛び乗ったのだった。手持ちの宝石やドレスを少しずつ換金して準備したわずかな路銀と、最低限の荷物しか持ち出さなかった。


 それから数日、馬車を乗り継ぎ、宿に泊まりながら、ようやく昨日、国境沿いの町ポルカに到着した。そして昨日のうちに国を出られるはずだったのだが……。


「――どうしよう」


 大きなため息と共に、途方に暮れたアシュリーの声が小さな病室に漏れた。


「国境越える馬車、止まっちゃったのかな……。しかも、魔力まで解放しちゃった……」


 昨日、積荷に潰されて瀕死状態だった女性を助けるために魔力を解放したことは、後悔していない。それで人一人の命を救えたのだ。

 しかし、「解放」できても「封印」はできないのだ。しかも、多くの人に見られてしまった。王国に自分の存在が見つかってしまえば、きっと父親の元に戻されてしまう。そんなことになってしまえば、母の思いを踏みにじってしまうことになる。


 アシュリーがベッドの上で頭を抱えていると、コンコンとノックの音が鳴った。小さく返事をすると、ゆっくりと扉が開かれ、昨日の夜に言葉を交わしたサラが部屋に入ってきた。


「おはよう。気分はどう?」

「おはようございます。しっかり休ませていただいたので、今朝は随分と体が軽いです」

「そう。それは良かった。食欲はどうかな? そろそろ何か食べた方がいいよ。朝食持ってくるわね」

「すみません、何から何まで……ありがとうございます」


 昨日の夜、ジムの追及からタイミング良く助けてもらい、優しくかばってくれたサラの前では、自然と肩の力が抜け、強張っていた体も緩んだ気がした。


「あ、あの」

「ん? 何?」


 いったん部屋の外に出ようと後ろ姿を向けたサラの背中に、思い切って声をかける。


「国境を越える馬車は、どうなったんでしょうか。昨日、本当は乗る予定だったんですけど、乗れなくて。昨日、もしかしたら止まるかもしれないって聞いたんですが……」

「あぁ……あのね、昨日が最後の便だったみたいなの」

「え……」

「隣国との境に峠があるでしょ? あの周辺で魔獣に遭遇して襲われる旅行者が最近増加していてね。お国に討伐の依頼はしているみたいだから、王都から魔術師団を派遣してもらって、討伐が終われば再開はすると思うけど。まあ、数ヶ月はかかるかな」


 サラの言葉を聞きながら、次第に血の気が引いていくのを感じた。


「どうしよう……」

「いったん、家に戻る?」

「家には、戻れないんです。……事情があって」

「事情、ね」

「数ヶ月も宿に泊まるようなお金もないし……」


 ここが診療所の病室のベッドの上であることも頭から抜け落ち、アシュリーは不安の渦の中で頭を抱えていた。

 ここで諦めて一旦王都に帰ってしまえば、父に警戒され、もう二度と家出をすることはできなくなるだろう。ポルカ以外の町から国境を越える選択肢もない。ポルカは王都から一番近い国境の町だ。今から別の町に移動する路銀すらない。八方ふさがりの状態に、アシュリーは途方に暮れてしまっていた。


「ねえ。行くところがないんなら、ここでしばらく働かない?」


 完全に自分の世界に没入していたアシュリーを、サラの言葉が現実に引き戻した。

 アシュリーは目を丸くしてサラを見る。


「ほら、私、今お腹に赤ちゃんがいるでしょう? まだ目立たないんだけどさ、たまに体調悪くて動けない日とかあったり、もっとお腹が大きくなったら動きづらくなっちゃうからさ。診療所の雑用とか家の手伝いとか、住み込みで働いてくれそうな子をちょうど探していたの。ね、どうかな?」


 巧妙に真意を隠しながら、サラは明るく語りかけた。

 彼女の思惑通り、アシュリーはその瞳をガラス玉のようにキラキラさせながら驚き、そして同時に喜びに湧いた。

 隣国行きの馬車が復活するまでの当面の滞在場所と働き口が、幸運にも目の前に転がり込んできたのだ。アシュリーは一も二もなく、間髪入れずに答えた。


「ぜひ! ここで働かせてください!」


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