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27 雨男の賭け



 馬車の窓を打つ雨音に気付き、顔を上げると、王都では数日ぶりとなる雨が降り始めていた。

 とことんクリス司教というのは雨男なのだと得心する。彼を訪ねてベティと一緒にロンバルディア教会へ赴いた日も雨だった。今日、彼を訪ねるのはわたし1人だけれど。


 無意識に左腕の腕輪に手で触れる。すっかり癖になってしまったその仕草を目に入れ、この腕輪を作ってくれた人たちの会話を思い出し、胸がつきりと痛んだ。

 今頃、ウィルのもとにベティが送ってくれたはずの手紙が届いている頃だろうか。今日の訓練は行けない、と。

 

 訓練棟を飛び出したあと、目的もなくふらふらと歩いていた時に、勤務中のベティにばったり遭遇したのだ。

 きっとひどい顔をしていたのだろう。すぐさま人気のない本部棟の裏の中庭まで連れて行かれ、勤務そっちのけで話を聞いてくれた。ベティがどんな表情でわたしの話を聞いたかは正直覚えていない。「今日はもう帰りなよ」という気遣わし気な彼女の言葉で、もう一つの大切な用件を思い出した。

 

 クリス司教は、もう明朝には王都を発ってしまう。

 その前にウィルを狙う黒幕の情報を聞いておかないと。


 分かっている。本当は、ぐちゃぐちゃとした自分の感情なんて綺麗に蓋をしておいて、きちんとウィルにクリス司教からの手紙の内容を伝えてから動かないといけない、と。

 わたしは自信がないんだ。

 ウィルに向ける気持ちを悟られないようにするなんて、絶対に無理だ。

 それでも知られたくない。困らせたくない。今まで通りの師弟関係のままでいい。でも、今の不安定な情緒のわたしでは取り繕えない。

 きっと明日には普通の顔をして、今まで通りに振る舞えるはずだ。うん、きっと。


 窓を打つ雨の音が更に激しくなったところで、馬車が止まった。

 


 

「――私は、雨男なんですよ」

 

 以前も訪れた応接室で、目の前に座ったクリス司教は微笑を浮かべながら言った。

 やっぱりそうなんですね、とは不躾に答えられない雰囲気だったので、曖昧に頷くだけにしておく。

 彼は夜会で再会した時よりも、少しやつれたように思えた。

 

「人生において、ここぞという勝負時に限って雨が降るんです」

「……今日は勝負時なんですか?」

「ええ、あなたが私の手紙に応じてくれるかどうか、一か八かの賭けでした。賭けは私の勝ちだ。あなたは来てくれた。――お一人で来られるとは思いませんでしたが……ウィルフレッド・フィッツバーグ様があなたを一人で行動させるとは驚きました」

「あー……、彼は多忙で。伝えそびれました。……問題ありますか?」

「――いいえ」

 

 クリス司教は、私の返答に目を細めて穏やかに微笑んだ。当事者を連れて来なかったことで何かまずかったかなと不安に思ったが、クリスの反応に一息つく。

 

 扉をノックする音が響き、紺色の修道服を纏った男性がティーセットなどを用意した盆を持って入室してきた。おもむろに立ち上がったクリス司教は、その盆を男性から受け取ると、しばらく部屋に誰も入れないように指示をしているようだった。

 

 今からあの手紙に書かれていた情報がもたらされるんだろうか。そんな予測が立てられ、思わず背筋を伸ばしてしまう。

 クリス司教が手ずから入れてくれた紅茶入りのカップが前に置かれた。

 

「まずはお茶でもいかがですか。――ああ、そうだ。このクッキーは孤児院の子供たちが作ったそうですよ。あなたが訪ねてくるかもしれないと聞いて、今日焼いたそうですよ」

「まあ、そうなんですね」

 

 春先に訪ねた孤児院の子供達を思い出し、そのクッキーを手にとる。一生懸命作ってくれたんだろう、少し形が歪な五角形の星がこんがり焼かれている。クスリと口元を緩めながら一口大のクッキーを口に入れる。

 

「ん……?」

 

 不思議な味だった。

 砂糖の甘さの後に薬品のような苦味がほんのり舌をかすめ、微かな違和感に口元を押さえる。

 

「どうかされましたか?」

 

 クリス司教の心配する声が聞こえ、慌てて「何でもないです」と首を振る。

 子供たちが作ったんだから、きっと慣れないお菓子作りで分量を間違えたんだろう。

 口の中に残る違和感を流すように、目の前のカップを持ち上げお茶で流し込んだ。

 

 そのまま、手にしていたカップをソーサーに戻す動作をしようとしたら、突然、視界がぐにゃりと歪んだ。

 普段なら音を立てない動作なのに、盛大に食器の音を鳴らしてしまう。それどころか、手からカップが滑り落ちていき、床へ吸い込まれていく光景をただ眺めていた。

 

「え……な……っ」

「不用意ですよ、アシュリー様。政敵が入れた茶や出した菓子を、何の疑いもなく口に入れるなんて。……お人よしが過ぎますね」

 

 体中の力が抜けていく。

 瞼が重い。

 座った状態を保てずに、ソファの背もたれに徐々に上体を倒れさせていく。


 何が起きているのかまったく理解できなかった。

 ただ、目の前で突然崩れ落ちていく来客に眉ひとつ動かさず、穏やかな笑みのままのクリス司教が異様に映った。


「さあ、あの男をこちらにご招待しましょうか。その腕輪を発動させれば、あなたの現在位置が把握されるようになっているのでしょう?」


 狭まっていく視界が捉えたのは、薄く笑みを浮かべながら右手に風魔法の攻撃準備をするクリス司教の姿だった。


 消えていく意識の中、微かに左腕の腕輪の熱を感じ、その次の瞬間には、わたしの意識は闇の中へと落ちていった。



いつもありがとうございます。

いよいよ最終章です。最後までお付き合いくださいませ。

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