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26 思い上がりの勘違い



 スタンレー伯爵家で熱を出したわたしは、たっぷり一晩眠りこけた。そしてなんとか気力体力を回復させたのが、夜会から3日後の朝だった。そう、つまり、ベティ曰く決戦の日だ。

 

 ライアンやリリィからは、体調がまだ優れないなら訓練を延期してもらった方が良いなどと言われたけれど、これ以上悶々として過ごすのも限界なのだ。ウィルの話がわたしにとって良いものだろうと悪いものだろうと、とにかくハッキリさせたい。


 

 気合いを入れて伯爵邸を出発しようと自室を出ようとした、正にその時だった。

 一通の封書が届いた。アシュリー・スタンレー宛に届いているらしい。

 

 リリィから手渡されたその封書は、一目見てすぐ分かるほど、上質な封筒が使用されていた。表には上品な筆致で書かれた「アシュリー・スタンレー様」の宛名。見慣れたウィルの筆跡ではない。裏返してみても、差出人の名前はなかった。

 

「一体誰からだろう……」

 

 首を傾げるわたしに、リリィが何気なく言葉を発した。

 

「教会のどなたかからではないでしょうか。その封書を持ってこられたのは、紺色の修道服を着た方だったそうですよ」

 

 彼女の言葉に弾かれたように顔を上げる。

 教会関係者で面識のある人物といえば、先日の夜会で喧嘩別れした人たちしか思い浮かばない。一体今更、何の用事だと言うんだろうか。訝しみながらも、封を開けた。


『――先日は大変なご無礼を重ねてしまい、申し訳ございませんでした。もう一度、あなた様と直にお話をしたい事柄がございますので、失礼を承知でペンを走らせております。――教皇猊下のご不興を買った私は、このたび、ロンバルディア教区の司教の任を解かれることとなり、明朝、王都を離れることとなりました。――』


 手紙の差出人はクリス司教だった。

 司教を辞めさせられる。手紙の文言を目で追いかけながら、あのバルコニーで夢を語っていた彼を思い出す。

 きっと、教皇の不興を買った遠因はわたしの反抗的な態度なのだろう。そう思うと、彼に申し訳ない気持ちが出てきてしまう。


『――これから先、私が日の目を見ることはないでしょう。その前に、あなたの()()()()の命を狙う者について、お伝えしておきたいのです』


 お連れ様。明言はされていないけれど、十中八九、ウィルを指している。

 教皇の腹心の部下といえるべき人が持っている、ウィルの命を狙う暗殺者の情報。それを教えるという。

 信じてもいいのだろうか。もしも罠だったら……。いや、この手紙を読む限りでは、既に教皇から切り捨てられているようにも読める。

 手紙の文面をにらみながら低く唸り始めたわたしに、リリィが首を傾げながら声をかけてきた。

 

「……なんでもないの」

 

 軽く首を振ったわたしは、受け取った手紙を封筒に戻し、内ポケットに収納した。

 ここで1人で悩んでいても仕方ない。ウィルに相談してからにしよう。

 気を取り直し、今度こそ屋敷を出発した。



 

 訓練棟に入ると、いつものウィル専用の訓練室の扉が見えてきて、急激に緊張し始めた。

 あの扉を開けたら、もうわたしとウィルの2人きりになってしまう。一体全体、今までどうやって彼と密室で2人だけの訓練を受けてこれたのだろう。数日前の自分が信じられない。

 落ち着かせるように一旦立ち止まり、スーハ―スーハ―と少し早めの深呼吸をする。駄目だ全然落ち着かない。

 

 内ポケットに手をやり、馬車の中でも読んでいた手紙に思考を移してみる。ウィルはそんなの放っとけなどと言いそうだけれど、わたしはできることなら話を聞いておきたいと思ってしまう。ウィルの命を狙う黒幕の存在が分かれば、もう彼が襲われることだってないのだから。

 ……それに。

 脳裏には、いつの間にか手の届かないところに行ってしまっていた父の姿がチラついていた。話したいと思った時には、相手が遠くに行ってしまっていることだってあるんだ。あとで後悔はしたくない。

 とはいえ、勝手に話を聞きに行ったらまた怒られそうだから、ちゃんと相談はしよう。この間も釘を差されてしまったし。

 

 ――「悪いけど、僕だって冷静でいられないよ、君が傷付けられたら」

 

 ふいに、王宮の庭園で真剣な表情で言われた言葉を思い出す。途端に、頬に熱が集まり始めた。

 ああ、せっかく、ちょっと冷静になれそうだったのに!

 また、頭の中をウィルの甘い表情や言葉がぐるぐる回り始め、「やっぱりウィルさんはわたしのこと……」などとありもしないことを考え始めてしまった。ここが魔術師団の訓練棟の廊下ではなくて自分の部屋だったら、思いっきり叫び出したいところなのに!

 叫び出す代わりに頭を思いっ切り横に振り、もうどうにでもなれという気持ちで、足早に訓練室へと足を向けた。


「それで、結局ウィルくんはアシュリーちゃんのこと、どう思ってるの?」


 ウィルの訓練室の扉が珍しく少し開いていた。その僅かな隙間からエリックの声が聞こえてきて、思わず足が止まる。なにせ、今まさにわたしの頭の中を占めている疑問が投げかけられているのだ。

 金縛りにあったように動けなくなったわたしは、ウィルの返事を無意識に待っていた。心臓が早鐘のように打ち付ける音が、やけに耳につく。


「大切だよ。当然さ。()()()()()()()()なんだから」

 

 予想通りの答え……の、はず。

 わたし自身がずっと認識していたことじゃないか。

 ウィルがわたしの面倒を見てくれるのも守ってくれるのも、わたしが治癒魔法の能力を持っているから、彼が魔術師団に誘ったから、指導係だからだと。

 大事にされているから特別な関係という訳でもないと。分かっていた……はずなのに。

 

 綺麗に積み上がった崩れることのない足場に立っていると思っていた。その足場がガラガラと呆気なく崩れていくようで、わたしはそれを見つめることしかできない。

 

 うまく息が吸えない。苦しい。

 ……ああ、そうか。

 わたしはずっと、ウィルに、治癒魔法士としてではなく、ただのアシュリーとして見ていてほしかったのだ。

 ……なんていう、思い上がり。


 

 羞恥心と居たたまれなさがこみ上げてきて、もうその場に立っていることはできなくなっていた。

 今、こんな精神状態でウィルと顔を合わせるなんて、無理だ。

 訓練の約束を記憶から押しやり、わたしは踵を返してその場を駆け出していた。



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