24 夜会⑤
「さて、アシュリー。帰る前にやり残したことがひとつあったよね?」
「やり残したこと……?」
おもむろに立ち上がったウィルは、意味深な笑みを浮かべながらわたしの正面まで来て、片膝を地面につけると恭しい仕草で右手を差し出した。
「アシュリー・スタンレー嬢。君の初めてのダンスを共に踊る権利を、僕にくれないだろうか」
いつだったかベティに借りて読んだ、若い女の子が喜んで読んでいるのだというロマンス小説に出てきそうな一節だ。
やけに芝居がかった仕草と口調だというのに、見目麗しさだけは完全にハマってしまっているから、たちが悪い。
「……またからかっているんですか?」
「いいや。ただ僕が君と踊りたいだけだよ、言葉通り。せっかくの初めての夜会なのに、踊らないなんてもったいない。それに、ここなら誰にも見られないから、君が懸念していた女性からの嫉妬も買わないだろう?」
「それはそうかも知れませんけど……いやいや、わたし本当にダンスは無理なんですって!」
「大丈夫だよ。僕がリードするから。ほら」
ウィルの「大丈夫」は魔法の言葉だ。どんなに途方もないことだってなんとかなるような気がしてきて、背中を押されてしまう。
まるで、悪い顔をした月の女神様に洗脳されたように、わたしはおそるおそるその麗しの手に自分のそれを重ねてしまった。
満足そうに笑うウィルに誘導されるがまま立ち上がり、片手を彼の腕に乗せると、背中に回されたウィルの腕にぐいと引き寄せられる。さっきバルコニーで抱きしめられた感覚が蘇り、びくんと心臓も体も震えてしまった。密着した部分から心臓の音が伝わってしまいそうだ。
恥ずかしい。……平常心、平常心。
ほのかに明かりが漏れている夜会会場の音楽が、遠くから聞こえてきた。どうやら会場でも、今まさにダンスの時間が訪れているようだった。
王宮の広間のような煌びやかな照明ではないけれど、わずかな外灯の明りと月明りが、わたしの拙いダンスとウィルの完璧なリードを照らしていた。
この超人さんは、本当に何をさせてもお上手だ。
「十分踊れているよ、アシュリー。上手、上手」
「ありがとう、ございます……っ」
ステップを思い出しながらのダンスはやっぱり大変で、ウィルのリードがあっても、いつ転げてもおかしくない状態だ。
「ちょっと手伝おうかな」
ウィルがごく軽いノリでつぶやいたかと思うと、背中に感じるウィルの手だけではなく、腕や下肢になんとなく暖かい空気のようなものが纏わりついている気配を感じた。
おや、と思った瞬間、ステップを間違えそうになり慌てて修正する。急な修正に通常なら転んでしまいそうなものだけど、不思議と体のバランスが保たれ、むしろ足の動きがスムーズになっていく気すらする。
……これって、もしかして。
「ウィルさん……? 風魔法使ってます……?」
「おー、正解」
半信半疑で尋ねてみると、やっぱり。一体どこの世界に、ダンスの相手の補助のために魔術を使う人がいるというのだろうか。この人くらいだ。
規格外の発想に半ば呆れながらも、そこにウィルらしさを感じ、吹き出しながらもお礼を伝える。
強引なようでいて優しいのだ。
失敗しても大丈夫だと、こうして支えてくれている。
この数か月間、彼がしてくれた魔術訓練と同じだ。
決して出来の良い弟子ではなかったはずだ。与えられた課題は何度も失敗したし、言いつけを破ったことだってある。そのたびに辛辣なことを言われたり呆れられたり……それでも一度だって見捨てられなかった。
何度でも言ってくれた。大丈夫、ちゃんとできるようになる、と。信じて、支えてくれた。
でも、もうそれも終わりなんだ。
今日の任命式で正式に一人前の治癒魔法士となったわたしは、魔術師団の任務で引っ張りだこのウィルを、魔術の先生にすることはできなくなる。きっと、こうして一緒に過ごすことも少なくなるんだろう。
唐突に行き着いた思考に、胸がきゅうと搾られた。
「アシュリー、ちょっとだけ力抜いてね」
「……え、――!」
一言声をかけてきたウィルが、突然両手でわたしの腰を掴んだ。かと思うと、拙いステップを踏んでいたわたしの両足がふわりと浮き上がる。
これは、男性が女性を持ち上げるというダンス上級者の技じゃないか。そんな高難度の技が超初心者のわたしにできるわけがない。
なんて無茶なことをするんだろう。鼻歌でも歌いそうなほどご機嫌のウィルに制止の声を上げるけど、当然この人は聞く耳なんて持たない。
あわあわと焦ってバランスを崩した体が、重力に従って落ちていくのを予想し、身構えた。
「あ、れ……?」
いつまで経っても落ちない自分の体に驚いて呆けた声を出していると、ウィルが弾かれたように笑いだす。
「どう? アシュリー! 空を飛んでいるみたいだろう?」
そうか。ウィルの腕力だけではなく風魔法の補助があるから、わたしの体はいつまで経っても浮いたままなんだ。
そのままウィルはたっぷり一回転はステップを踏んで、わたしがつまづいてこけないように、ゆっくりとした動作で下ろしてくれた。
地に足が着いたところで、深く息を吐く。驚きすぎて一気に体温が上がり、鼓動も早くなる。落ち着かせるように何度か深呼吸をした。
「君の夢。これで全部叶った?」
ひどく優しい声でウィルが言った。
途端に思い出す。そういえばポルカで、一度だけウィルに話したことがあった。「魔法で空を飛んでみたかった」と。
「ウィルさん、覚えていたんですか……?」
「うん、もちろん。大切に思っている人の言葉だから、ね」
ウィルはそう言って、切なそうに目を細めた。
彼の繊細な指が頬をなぞる感覚がした。
その瞬間、水瓶に溜まりに溜まった水が一気にあふれ出していくようだった。突如として発生した感情の激流に飲み込まれながら、わたしはようやく気付く。
ケイトの言った通りだ。恋は頭で考えるんじゃない。気付いたら落ちている。
わたしはいつから落ちていたんだろう……ウィルに。
何も言葉を返せずにただ頬を染めて混乱するわたしを尻目に、ウィルはいつもの調子でからかうように笑う。
「どうしちゃったの、アシュリー。驚かせすぎたかなあ、そんな顔しちゃってさ。くく……っ、まるで、僕のことが好きすぎて困っているみたいだよ?」
彼の言葉に弾かれたように顔を上げる。ばちりと目が合った。一気に頬に熱が集まってくるのが分かる。
心臓の音が鳴りやまない。ウィルから目を逸らせない。ああ、隠し事のできない自分が恨めしい。
ウィルの口の形が「なんちゃって」と動いたところで、動きが止まった。
「……まいったな。そんな顔で見ないでよ。……期待しちゃうじゃないか」
困ったように眉尻を下げ、拗ねたような口調でそっぽを向いたウィルは、暗がりの中でよく見えないけれど、わたしと同じように頬を染めているように見えた。
どんな反応をすればいいのか分からず、言葉にならない声をもごもごと呟く。
きたい。きたいって、どういう意味だっけ。きたいしちゃうって、どういう意味?
完全に頭のネジが一本抜けてしまったようで、きちんとした思考ができなくなっている。きたいという字が頭の中をぐーるぐると回り始めた。
会話すらできなくなってしまったわたしに呆れたのか、ウィルは「もう帰ろう」と言うとわたしの手を取った。
「3日後。最後の魔術訓練が終わったら、話があるから。……逃げるなよ」
「ひゃ、ひゃい……っ」
強烈な色香を真正面から浴びせられたわたし、よく失神もせずに返事ができた。偉い。
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ようやく恋愛モノっぽくなってきました(〃ω〃)
最後までお付き合いよろしくお願いします!




