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23 夜会④



 激しい怒りで目の前が真っ赤になるというのは、比喩でもなんでもないことを初めて知った。

 教皇やクリス司教が、いきなり噛みついてきた一魔術師団員の小娘に対して、どれほど呆れているのかなんて知る訳ない。分かる気もない。

 わたしはただ、ウィルが傷つけられているのを黙って見過ごせないだけだ。誰よりも強いこの人が、物理的に傷つくことなんてないだろうけれど、心は別だ。


「ウィルフレッド・フィッツバーグは脅威でも災厄でもありません。ただ魔術が好きで少し顔が良いだけの、ただの魔術師です。――そりゃ、何人か女性を泣かせていますけど……災厄と言われるほどではありませんから!」

「……アシュリー」

 

 背後でウィルが呆れたように声をかけてくるのが聞こえた。

 制するように肩に手を置かれたが、まだわたしは言いたりていないのだ。

 

「それから、先ほどのお誘いですけれど……クリス司教様の志はご立派ですが、はっきりすっぱりお断りいたします。ウィルさんは、袋小路で迷っていたわたしを助けてくれた恩人です。そんな方を侮辱するような方の下へは参りません」


 言いたいことを全て言い切ったわたしは、そのまま教皇とクリス司教を睨み続けていると、苦々しい顔で「なるほど」と呟いた教皇は、吐き捨てるように言った。


「既に毒された後か。――毒は不要だ。どんなに有用でもな」


 もはや悪役面を隠しもしなくなった教皇は、冷めた目でわたしを睨みつけた。

 こんな小娘一人に噛み付かれたところで、痛くも痒くもないと言いたげに、ふんと鼻を鳴らした彼は、クリス司教を引き連れて足早にバルコニーから去っていった。

 おととい来やがれ、とはこういった場面で使うのだろうか。

 

 渦巻いていた怒りの炎を落ちつかせるように、ふぅ……と1つ大きく息をつき、振り返った。


「わたしは『毒』なんですって、ウィルさん」

 

 我を忘れて怒り狂ったことがなんだか気恥ずかしく、ウィルの顔を見れない。

 彼の首元のタイをチラチラ見ながら、照れ隠しで言葉を続けた。

 

「これで教皇猊下の嫌いな人リストに、わたしも仲間入りですね。お揃いじゃないですか」

「……うん」

 

 ウィルの小さな囁き声が聞こえたかと思うと、ふわりと彼の香りが鼻腔をくすぐった。気付けば、その長い両腕ですっぽりと抱きすくめられてしまっていた。

 

「君って、ほんと、無茶する……」

「えっ、あの、あぅ……っ」

 

 背中に感じるウィルの両手の感触と、押さえつけられる胸板の頑丈さと、聞こえてくる鼓動の早さと、爽やかな柑橘類のような彼の香りと……五感を激しく揺さぶるような衝撃が次々と襲ってきて、頭がクラクラしてしまう。

 

「少しだけだから、アシュリー。……少しだけ」

 

 囁かれるウィルの声があんまりにも小さく、頼りなくて、わたしは離れようともがいていた両手を動かせなくなってしまった。


 わたしは少しでも、彼の心を守れただろうか。

 幼い頃、お化けを怖がって泣いていたライアンにしてあげたように、ウィルの背中を優しくさする。大きな背中が小さな男の子のように感じた。

 もう大丈夫。あなたは1人じゃない。1人で傷つかなくても良いんだよ。

 この思いが少しでも伝わるように、手のひらに熱を込めた。

 ところが、わたしの手が2往復もしないうちに、勢いよくウィルが体を離した。彼は信じられないものを見たかのように目を丸くさせ、愕然とした口調で言い放ったのだ。

 

「おい、君の警戒心はどこへ行った」

「はい……?」

「男に抱きつかれて抵抗もせずに、何をやってんだって聞いてるんだよ!」

「だっ……抱きついてきたのはウィルさんのほうじゃないですかっ!」

 

 自分のことを棚に上げたあまりの言い草に、どんどん紅潮してくる頬を押さえながら反論する。

 ちらりとウィルを睨み上げると、彼は彼で口元を大きな手で覆い隠していて、その手でも隠し切れないぐらい、耳まで赤くなっていることに気付く。

 華麗なる女性遍歴を誇る彼にしては意外な反応に、一気に毒気を抜かれる。あのウィルが照れている?

 

「――っ、とにかくこの場を離れよう」

 珍しく余裕のないウィルにまたもや肩を抱きこまれ、「ひゃっ」と変な声を上げているうちに、あっという間に周囲の景色は一変していた。




 石畳の上に着地したかと思うと、一瞬にしてウィルが体を離した。

 見渡すと、まず大きな噴水が目に入り、それから僅かな外灯と、少し離れた所に夜会会場の広間の明りが漏れているのが見えた。どうやら、夜会会場に面している王宮の庭園に転移したようだ。

 あっという間に離れていったウィルの姿は、すぐ側のベンチにあった。綺麗に撫でつけられていた夜会仕様の銀髪が乱れるのも気にせず、頭を抱えて大きな大きなため息をついていた。

 

「ウィルさん……?」

「ああ、こっちにおいで、アシュリー」

 

 遠慮がちに声をかけると、ウィルはこちらに振り向き手招きをした。

 言われるがまま彼の隣に腰かけると、もういつものウィルに戻ってしまったようで、頬の赤みは見えなかった。少し残念だ。

 

「さっきはごめん……いきなり。気が動転してた」

「……ウィルさんが?」

「そりゃあね。殿下の呼び出しだからと君と離れたのに『なんのことだ』と言われ、焦って戻ってみたら君はアイツらに絡まれてるし、最後にはあの禿げ頭に突っかかっていくし……心臓がいくつあっても足りないよ、もう」

「あぅ……ごめんなさい。ほいほい付いて行ってしまいました……」

「いいんだ、君を一人にした僕が悪い。殿下の呼び出しを偽装したのはどうせアイツらだろう。僕のいない状況を作り、君と接触し言葉巧みに勧誘する。いかにもあの頭の回るクリスが考えそうなことだ。彼にとって誤算だったのは、禿げ頭と君がやり合ってしまったことだろうさ。――まあ、誰にも予想はつかないことだろうけど」

 

 去り際、痛切な表情を浮かべていたクリス司教を思い出す。

 彼の話に心を動かされたのは事実だ。でも、あの勧誘にまつわるお話も全て、計算していたことなのだろうか。アレクセイにかつて言われた、『ただ穏やかなだけでは若くして司教にはなれない』という言葉を思い出していた。

 ふとウィルがこちらに振り向き、にやりと悪戯っぽく笑みを浮かべる。

 

「教皇猊下に真っ向から反抗する者なんて、よほどの物知らずか命知らずだよ。傑作だったなあ、あの禿げ頭の怒った面」

「どうせ、物知らずで命知らずですよ。というかウィルさん。さっきから禿げ頭なんて……仮にも教皇猊下ですよ」

「『国の脅威』や『災厄』呼ばわりよりはマシさ」

「……それもそうかも」

 

 妙に説得力のあるウィルの言葉に、思わず説得されて頷いてしまう。わたしなんて『毒』呼ばわりだ。

 

「聞いたんだろう、アレクから」

「え?」

「団長も侯爵様も、僕の命を狙ってくる輩の黒幕が教皇だと思ってるって」


 おもむろに尋ねてきたウィルの言葉に、遠慮がちに頷く。本人のいないところで噂話のように話していたことに、少しだけ気まずくなっているわたしとは違い、ウィルはまったく気にしていないようだった。


「でも、僕は違うと思う。みな『忖度』しているだけさ」

「忖度?」

「そう。教会という一大勢力の頂点に立つあの人に気に入られるために、彼が声高に敵視している僕を狙っているだけで、実際のところあの人は何一つ動いてはいないよ。魔術の扱いを知らない子供の頃だったらどうか分からないけど、今や王国の戦力になっている僕を排除する利点なんて彼にはない。ただ振り上げた拳をどうしようもなくて、無様にも喚いているだけさ」

 

 呆れたように話すウィルの横顔を追いながら、思いの外彼が冷静であることに安堵する。

 黒幕ではなかったとしても、あんなに敵意を剥き出しにされれば嫌な気持ちになって当然だろうに。

 

「生まれた時からあの聖職者の皮を被った権力者に睨まれて、よくここまで生きてこられたよ。今も昔も、あの人の意見に真っ向から反対できる人はいないんだ。公爵家(じっか)ですらね。侯爵様が魔術師団を盾に庇護してくれなかったら、今の僕はない」

 

 侯爵様の偉大さを改めて噛みしめ、大きく頷いた。そんなわたしを見て、ウィルは肩をすくめながら続けた。

 

「――まあ、そうやって素直に思えるようになったのも、最近のことなんだけどね」

「そうなんですか?」

「うん、アシュリーとビル先生やサラさんのおかげなんだよ」

 

 思いがけないところで登場した名前に、驚いて目を見張った。

 

「血の繋がりがなくても隠し事があっても、互いを慈しみ信頼し合っている君たちを見ていたら、そういう関係もありうるのかと思ったんだ。もしかしたら僕も、侯爵家の人たちや魔術師団で出会った人たちと同じような関係を作れているんじゃないかって」


 ウィルの控えめな言葉に、同意するように何度も頷く。侯爵やアレクセイ、団長の普段の言動を見ていれば明らかだ。

 激しく頭を上下に動かすわたしの様子に、クスリと吹き出したウィルは、言葉を続けた。

 

「――結局のところ、僕は悲劇を背負った主人公の役割に埋没して、孤独だ誰も味方がいないんだと嘆いて、目の前にある築いてきた関係性を見落としていたのさ。……でも、今はもう違う」

 

 だからね、と真剣な表情でウィルがこちらに向き直る。

 

「あんな禿げ頭に何を言われても良いんだよ、もう。あの人はワーワー喚いているだけで実害はないんだから。そんなことより、今日のように無茶をして君自身に害が及んでしまう事態の方が、僕にとってはよっぽど恐ろしいんだ」

 

 ウィルの青い瞳がわたしを捉える。反論を許してはくれそうにない雰囲気だ。かと言って、はいそうですかと簡単に頷けるものでもない。

 

「………………善処します」

「なんだよ、その間は」

「だって。ウィルさんを(けな)されて冷静でいる方が難しいです。()()()()()()()()()にあんなこと言われて、怒らない方がおかしいでしょう」

「………………アシュリー。君は本当に恐ろしいやつだな」

「え?」

「ねえそれ、無自覚なの? それとも計算して言ってるの? ……いや、君のことだから本当に何ひとつ含みもなさそうだな」

 

 わたしのささやかな口答えに眉をひそめたウィルは、納得してないという不満顔を露わにしながら続けた。

 

「悪いけど、僕だって冷静でいられないよ……君が傷付けられたら。間違いなく、あいつらと全面戦争になる」

「ええっ!? なにを恐ろしいことを言ってるんですか!」

「……じゃあ、世界平和のためにも善処してよ、頼むから」

 

 ごく真顔で物騒なことを言い出すウィルに、目を剥く。そんな風に脅されてしまえば、頷くしかなくなるじゃないか。

 

 渋々と頷いたわたしの返事に満足したのか、ウィルは表情を緩めた。

 胸を撫で下ろしたウィルの動きにあわせて、撫でつけられていた彼の銀髪が一房だけ形の良い耳から零れ落ち、彼のこめかみにかかった。その銀色が月明りに照らされ、仄かに輝きを放つ。一連の完璧な美しさに目を奪われ、惚けた声が漏れる。

 

「ん? どうしたの、アシュリー」

「え……あの、ウィルさんの銀髪が綺麗だな、と」

 

 一瞬だけ、ウィルが目を見開いた。

 それからふっとまた頬を緩ませると、おもむろにわたしの髪に手を伸ばした。

 

「僕は、君の髪色の方が好きだけどなあ」

 

 ウィルはそんなことを言いながら、ゆるく巻かれたわたしの髪を一房取ると、くるくると毛先を指に巻きつけながら遊び始めた。

 

「ああ、そういえば……魔力判定の時に髪の色を変えたかったのにって騒いでいたよね」

「う……さらりと恥ずかしい黒歴史を。……ウィルさんの銀髪が綺麗だから、同じ色にしてみたいなあと憧れてたんですけど。もう叶わぬ夢です」

 

 治癒魔法以外の属性がないわたしには、逆立ちしたってできない夢だ。

 

 しょぼくれて小さなため息をついていると、そうかとウィルが呟き、巻き付けていた指から髪の毛をほどいた。

 ウィルがその手の内にあるわたしの一房の髪の毛たちを親指で何度か撫でているのが見えて、感覚は伝わらないのに、どことなく艶めかしい動作に心臓がドキリと脈打つ。すると、ウィルの手からあふれ出したごくごく小さな光の粒が、次第にわたしの髪先から全体を包んでいく。あっという間に、平凡な栗色が煌めく銀色に変化していったのだ。

 信じられない光景に息を飲む。あわあわと唇を震わせながら名を呼ぶと、ウィルは眦を下げて呟いた。


「さっき、禿げ頭から庇ってくれたお礼だよ」

 

 でももう無茶したら駄目だよ、と一本だけ釘を刺されながら、月の女神によく似た人は大層満足げに笑った。つられて、髪色をお揃いにしてもらったわたしも笑う。ふわりと胸の内に暖かな風が吹いてきたような気がした。

 

 ウィルの魔術が好きだ。

 嬉しい驚きを与えてくれて、心も浮き立たせてくれる。この人を脅威やら災厄やらと声高に中傷する人は、一体彼の何を見ているんだろうか。こんなにも純粋に、魔術を楽しそうに操るこの人の何を。



夜会のお話は次回で終わります。

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