22 夜会③
――まずは、私の身の上を聞いていただけますか。ええ、実はね、私は『孤児』なのですよ。ロンバルディア教会の教区で母と2人、なんとか暮らしていたんですがね。ああ、父親はどこの誰か分からないのですよ。死んだのか、生きてどこにいるのかも知りません。母はついぞ口にしませんでしたからね。女性1人だけでも生きていくのは難しい平民の社会で、母は幼子を抱えてかなりの無理をしたのでしょう。ついに病にかかり、その病を治療する金もなく死にました……呆気なく。私が6歳の頃でした。
初秋の夜のからりとした風が、二の腕と頬をなぞりながら通り過ぎていった。その風がすぐ横で愁いを帯びた表情を浮かべるクリス司教の祭服を揺らす様を見つめながら、否応なく同情と親近感を抱いてしまっていた。――わたしも、6歳だった。
「母が死に、行き場を失った私を唯一受け入れてくれたのは教会の門だけでした。教会の孤児院は、寝食だけではなく学びも与えてくれました。そこで教皇猊下に目をかけてもらい、今の私があるのです」
穏やかな笑みでそう締めくくったクリス司教は、バルコニーから外に向けていた視線をわたしに移した。
「孤児院の子供たちには、私のように病で親を亡くした者も多いのです。同じ境遇の子供たちを見ていると、親の病さえ治っていればこの子らは親元で成長することができただろうと口惜しく思う時があるのですよ」
「そうですね……わたしも母が病がちでしたので、お気持ちは分かります」
いつもベッドの上で儚げに笑みを浮かべていた母を思い出す。思えば、わたしが魔力を発現させたきっかけは、母の病を良くしたいという思いからだったのだ。
「アシュリー・スタンレー様」
クリス司教が一歩こちらに踏み出した。ウィルに良く似た青い瞳が真っ直ぐ射抜くようにわたしを見据えた。
「教会に所属し、あなたの治癒魔法を民のために使っていただけないでしょうか。」
「教会に……?」
「魔術師団の団員である限り、あなたは魔術師団の任務のためにしかその力を使うことはできないでしょう。使い道はせいぜい、戦闘後の団員の治癒でしょうか。……その能力は、たったそれだけに限定していいものではないはずだ」
眉根を寄せた真剣な表情のクリス司教を見つめながら、わたしはようやく、先ほどの彼の『独占』の言葉の意味を理解した。
確かにクリス司教の言う通りだ。わたしは現状、魔術師団の団員であり、この能力を使う機会はあくまで任務の中でだろう。正式に任命された後のわたしの所属は、引き続き団長室付けのままになっていて、治癒魔法が必要な時だけ現場に呼び出されることになっている。
入団してから今日まで、治癒魔法の習得に躍起になっていて真剣に考えてこなかった。これがわたしのやりたいことだった?
「戸惑わせてしまったようですね」
ろくに返事もできずに視線を彷徨わせていると、クリス司教の穏やかな声が頭上から聞こえてきた。
見上げると、先ほどまでの真剣な表情から一転、柔らかな笑みを浮かべたクリス司教が話し始めた。
「大昔の治癒魔法士は、魔術師団だけではなく教会に所属した者もいたようですよ」
「そうなんですか?」
「ええ、教会内部に伝わる古文書にそのような記述がございました」
歴代の治癒魔法士は全て魔術師団に所属するのだと思っていたが、クリス司教曰く、それはここ100年くらいの歴史らしい。彼は教会内部で古文書の整理を担当しているそうで、業務中にその記述を見つけたそうだ。
「その記述を見つけて以来、いつか私と志を同じくする治癒魔法士と出会えれば……などと夢想していました。――あの教会の事件で治癒魔法の痕跡を見つけた時、この方ならばと思ったのです。恐らく治癒魔法を公然と使えない状況だったにも関わらず、それでも怪我人を放っておくことができなかった治癒魔法士ならば、私と同じ志を抱いてくれるだろうと」
「……志というのは、民のために治癒魔法を使う、ということでしょうか」
クリス司教は深く頷いた。その瞳には一片の疚しさも曇りも見えない。彼の真意であることが嫌でも伝わってきた。
魔術師団ではなく教会に所属するかなんて、今ここで決断できるような誘いではない。
かと言って、あっさりこの場でお断りする気にもなれないほど、クリス司教の言葉の熱は明らかにわたしの感情に火を灯した。この小さな火をどうしたものか。
相変わらず返事に窮していたその時、会場に通じる出入り口をふさいでいた帳の向こう側から、複数人の話し声が漏れてきた。
どれも男性の声だろうか。
同じように視線を向けたクリス司教は、何かに気づいたようにおもむろに帳に近づき、向こう側へと姿を消した。かと思えば、数秒後に戻ってきて、わたしに遠慮がちに問いかけてきたのだ。
「アシュリー様。もしよろしければ、あなたに引き合わせたい方がいらっしゃるのですが……」
「もったいぶるな、クリス。――ああ、貴女がアシュリー・スタンレー嬢か」
クリス司教の言葉を遮りバルコニーに現れた壮年の男性は、ふくよかな体型に人好きのするにこやかな笑みを浮かべていた。
思わず息を飲む。
威厳とともにその男性が纏っている祭服は、最高位の聖職者のみが身につけることのできる白色だったからだ。
「教皇猊下……! お、お初にお目にかかります」
慌てて膝を折りお辞儀をする。
教皇猊下はこの国では王族に次ぐ尊い位の方だ。
本来なら、伯爵家とはいえ一介の魔術師団員が直接会話できるような方ではない。
「クリスから話は聞いている。こやつがここまでしつこく言い募ってくる治癒魔法士とは、一体どのような者かと思っていたが……このように清廉な御令嬢とは」
「も、もったいないお言葉で……」
「それで? 我が元に参る心づもりは整ったのかな」
人懐っこく細めた目が妖しく光っている様が伝わり、一気に体を強張らせる。
ここで答えるなんてできるわけがない。しかし断るにしても、不敬と捉えられないような答えなど分かる訳がない。なんと答えたら良いか分からず、焦りで汗が吹き出してくる。
「猊下、先ほどお話したばかりなのです。まだお答えは難しいかと」
答えに窮していたわたしに、クリス司教が助け舟を出してくれたが、彼の言葉に気分を害したように教皇猊下が答えた。
「ふん、魔術師団のような国の要とふんぞり返っておる連中と迷っているというのか。由々しき事態だな。あそこにはアレがいるだろう。もう治癒魔法士は必要ないではないか。我らに譲れば良いものを」
「猊下。そのような言い方では誤解を生みますよ」
「お前は固くてつまらんぞ、クリス。……アシュリー嬢、別室に饗応の準備ができているのだ。共に参ろうぞ。我らのことを良く知ってもらわねばな」
「あの、申し訳ございません。連れを待っておりますので、別室に行くことは……」
「まあ、そうつれないことを言うものではない。行くぞ」
流石にこの場を離れることは断ろうと勇気を出すも、教皇に遮られてしまう。続けて、有無を言わさない物言いで移動するよう言われ、手を伸ばされた。
無理やり連れて行かれる――。
危機感と焦燥で強張る体を懸命に動かそうとするのに、言うことを聞いてくれない。
金縛りにあったようだ。まずい。
そう思った瞬間、左腕が一瞬熱くなった。
「危ない!」
クリス司教が焦ったように叫び、わたしに向けて伸ばしていた教皇の腕を両手で抱えるように体を張って止めた。その瞬間、風がわたしを中心に放射線状に吹き出し、その風に煽られるようにクリス司教が少し足元をふらつかせた。
護りの腕輪が発動したのだ。
一拍置いてそのことに気付き、無意識に腕輪に手をやる。
目を丸くさせながらわたしを凝視する教皇とクリス司教に気付いた。
「今のは、あなたが……?」
「どういうつもりだ! この私に攻撃するとは……っ!」
「も、申し訳ありません……!」
先ほどまでの親しみが混じった仮面は剥がれ、教皇は威圧的な態度を隠すことなく糾弾の声を上げてきた。身分がはるかに高い方からの叱責に、震え始めた体を腕で抑えながら謝罪の言葉を絞り出す。
どうしよう、どうしよう。怒らせてしまった。どうしたらいいの。助けて――っ
一瞬の瞬きののちに、目の前に影ができた。
見覚えのある背中だ。
「こんばんは、教皇猊下。こんな所でお会いできるとは思いませんでしたよ。……私の連れが何か失礼を?」
――ウィルさん。
喉の奥が詰まって言葉にならない声が漏れる。
心の底で願った相手が目の前に現れた。長身のウィルの背中がすっぽりとわたしの視界を覆い隠し、つい先ほどまで向けられていた激しい視線を防いでくれている。
「貴様か。よくも私の前に平然と現れたものだな。……死にぞこないが」
「私のような罪深き者にすら二柱の神のご加護があるのでしょう、慈悲深いものですね。……それで、彼女に御用がおありなのですか」
「……貴様に説明する義理などない」
「生憎、今夜は私が彼女のパートナーと護衛を兼ねているのですよ。彼女の意思を無視し、無断で触れようとすれば発動する護身用の魔道具も与えております。皇太子殿下からの命でね」
ウィルの背中越しに、教皇とウィルのやり取りが漏れ聞こえてくる。
教皇はウィルへの嫌悪感を隠しもしないようだ。声から怨念がにじみ出てくるかのようだ。
一方のウィルは、あくまで上位の者として対応しているようで、言葉の端々に鋭利な切っ先を突き付けているかのようだった。
「――ああ。もしかして、彼女の護身用の魔道具に攻撃されてしまいましたか。いやあしかし、おっかしいなあ。猊下ともあろうお方が、彼女のような若い女性に無理やり触れようとするなんてことがあるわけがない。そうするとこの魔道具の誤作動ですねえ。申し訳ございません。この魔道具の製作には私も加わっておりますので、すぐにお調べいたします!」
ウィルは芝居じみた長台詞を回しながら、わたしの左腕を取った。
腕輪を確認するふりをしながら、安心させるように左手を握ってくれる。
「もうよい」
教皇の静かな声が響いた。
「何もなかった」
「――さようでございますか」
彼の表情が見えなくても、その声音からにやりとほくそ笑むウィルの表情が浮かんできた。
わたしの護りの腕輪が攻撃したことでこちらが不利にならないよう、相手の言質を取ってくれたのだ。
「生意気な小僧が……よくもここまで増長したものだ。貴様はやはり早々に『排除』すべきだった。お前こそが我が国の脅威だ。災厄だ」
教皇が憎々し気に吐き捨てた怨念入り混じった言葉に、心臓を掴まれる。同時に、まだ握ってくれたままのウィルの手が、ぴくりとほんの僅かに反応したことに気付く。
その瞬間、わたしの頭の中で、今までの人生で感じたことのない真っ赤な怒りの炎が巻き上がっていった。
排除。
脅威。
災厄。
放たれた言葉をひとつひとつ挙げ連ねていく。
ポルカで襲われた時、ウィルは「命を狙われるのは初めてじゃない。自分の存在を許せない連中がいる」と語っていた。諦めと絶望の表情で。
存在を否定され続けた彼は、だから、自分を傷つけることに無頓着なのだ。
そうだ。この人物が、ウィルにあんな思いをさせているそもそもの元凶じゃないか。
許せない……許せない。
「――今の言葉、撤回してください」
気付けば、わたしは目を吊り上げて、目の前の白色の祭服をまとった国教会の最高権力者に啖呵を切っていたのだ。
ああ、わたしの悪い癖がついに発動。
頭に血が上ると見境がなくなっちゃう……。




