21 夜会②
一体何人目になろうか、ご挨拶を受けて同じことを答える流れを一通り終えて、笑顔のまま固まってしまいそうな表情筋をこねくり回したい衝動に駆られてしまう。
「少し休もう」
すぐ耳元でウィルの囁き声が聞こえて、笑顔のまま盛大に頷いた。
夜会の会場である王宮広間は、昼間の任命式の厳かな空気から一転、色鮮やかな装飾と集まった紳士淑女の煌びやかな装いで、大変華やかになっていた。
ウィルから事前に聞かされていた“任務”がなければ、ただ楽しむというのは気後れしてできなかったかもしれない。
休息用に用意されているソファに腰掛け、少しばかり肩の力を抜くと、目の前にすいとグラスを差し出された。
「お酒じゃないよ」
小さくお礼を言いつつ、ウィルから琥珀色の液体が入ったグラスを受け取る。
成人してから全くと言っていいほどお酒を口にしたことがないわたしに合わせて、アルコール成分の入っていない飲み物を用意してくれたみたいだ。すぐ隣に座ったウィルにちらと目を向けると、長い足を組みながらグラスを傾ける様がやけにしっくりしていて、感嘆の声が漏れそうになる。
とってもスマートにあれこれお世話をしてくれているウィルは、華やかな会場の中でも一際目立っていた。
ただでさえ外見だけでもキラキラしているのに、一つ一つの所作が洗練されていて、よそ行きの笑みや声音が恐ろしいほどの美しさと色気を放っている。
会場中のご令嬢方の熱い視線を一身に受けているというのに、本人は全く気にしていない様子だ。彼にとってはいつものこと、なんだそうだ。常に彼が側についているわたしにとっては、とても平常心ではいられないんですけど。
「さっき挨拶に来た御仁で、大体の押さえておきたい人物は終わりだよ。お疲れ様」
「はひ……良かった。流石に疲れました」
任務完了の言葉に一気に力が抜ける。ほとんど会話らしい会話などしてはいないが、それでも初対面の目上の方々に失礼のないようにと気を張っていたのだ。
「今夜の最低限やるべきことは終わったんだ。ここからはいくらでも楽しめばいいさ。もうすぐダンスの時間も始まるけど……僕と踊る?」
「……また、からかってます?」
にやりと意地悪そうな笑みを浮かべたウィルに手を取られ、また指の腹でするりと撫でられる。
もう動じないぞ。さりげなく手を引きはがし、ジト目で意地悪な師匠を睨んだ。
「ウィルさんと踊ったら、何人ものご令嬢に刺されそうですね」
「女性の嫉妬って、恐いよねえ」
あなたが愛嬌を振りまくからでしょう、と返したい衝動をぐっとこらえる。
王宮に着いてからというもの、わたしにぴたりと張り付き一度も離れなかったウィルだったけれど、たまに顔見知りのご令嬢に声をかけられれば愛想よくにこやかに会話したり、ふと目が合ったご令嬢にもご丁寧に笑いかけて黄色い声を上げさせたりしていたのだ。
別に、だからどうというわけでもない。ただなんとなく、いい気持ちがしない。それだけだ。
「……なんですか」
「いいや、なんにも」
「うそです。いまニヤニヤしてました」
「ああ、つい口元が緩んじゃったよ。君があんまりにも分かりやすいからさ」
ウィルの言葉の意味が分からず首を傾げていると、いいよ気にしないでと笑いをこらえるように言われてしまい、うやむやのまま何も言えなくなってしまった。
グラスに入った液体で喉を潤し、隣に座るウィルを横目でうかがう。まだ口元を緩ませてニヤついている横顔が目に入り、改めて思う。社交用のよそいきの笑みより、自然に笑っている時のウィルの方が良いなと。
……『良い』って、なんだろう。
「ウィルフレッド・フィッツバーグ様」
わたしたちがまたダンスを踊る踊らないで押し問答をしている最中、突然声をかけられる。
声の主に同時に目を向けると、王宮のお仕着せを着た若い男性がにこやかな笑みを浮かべて立っていた。
「皇太子殿下がお呼びでございます。……どうぞ」
「……殿下が?」
訝し気に呟いたウィルは、会場内に目を向ける。
「いらっしゃらないようだが」
「別室でお待ちでございます。ご内密に……ということですので、どうぞお一人で」
夜会が始まって早々にご挨拶に向かった殿下を思い返す。
あの時は特に変わったことはなく、殿下とウィルも気安い雰囲気はなく、あくまで皇太子殿下と魔術師団の一団員という関係性での会話しかしていなかった。
「本当に殿下が一人で来いと言ったのか?」
ウィルがその男性に念押しで確認をしていることにはたと気付き、慌てて立ち上がる。
「ウィルさん、わたしは大丈夫ですから。殿下をお待たせしてはいけません。早く行ってきてください」
「いや、君を一人にするわけには――」
「いいから、行ってきてくださいって。いざとなればちゃんとコレも身に着けてますから、ね」
わたしを一人にしていくことに渋るウィルに、大丈夫だと今夜も肌身離さず身に着けている腕輪を見せる。
「……すぐ戻るから。このままここに居るんだよ」
一拍だけ逡巡したウィルは、眉根をぎゅぎゅっと寄せながらそれだけ呟くと、足早に男性と共に離れていった。
その後ろ姿を見送りながら、途端に心細くなってしまう。先ほどまで魅力的に映っていた煌びやかな夜会会場も、突然遠い喧騒に感じてしまう。場違いなような気がして、手にしたグラスを握りしめる。グラスの中はとっくに空っぽだ。
足元に視線を落としてしまっていたわたしは、次第に近づいてくる足音に気付く。休憩のために誰かがソファに座りに来たのだろうか。席を譲ろうと立ち上がりながら顔を上げると、意外な人物がこちらをまっすぐと見つめていた。
「こんばんは。アシュリー・スタンレー様」
「……クリス司教様」
にこやかな笑みを浮かべたロンバルディア教会のクリス司教が、ほんの目の前に立っていた。繊細な刺繍が施された紺色の祭服を纏っている。彼もまた、今夜の夜会に招待されたということだろうか。
最後にクリス司教と会話をした内容をふいに思い出し、無意識に左腕の腕輪に手をやる。
いま話しかけられたのは、きっと偶然ではない。ウィルの命を脅かす黒幕の部下が、一体何の用なのか。
「ご無沙汰しています。一度、教会に来られて以来ですね。あなたとはまたお話をしたいと願っていたのですが」
「……あの時は、急に帰ってしまってすみませんでした」
「いいえ、こちらこそ。私も逸る気持ちを抑えきれずに、少々……礼を失してしまったと反省していたのです。あなたが治癒魔法の使い手なのではないかと思い、どうしてもご相談したいことがありましてね」
そこでわたしははたと首を傾げた。
以前話した時の彼とはずいぶんと受ける印象が違う。探られるような目はそこにはなく、ただ単に言葉通りに困っている様子が伝わってくる。
「教会での殺人未遂事件の際に、落とされていたハンカチから魔力の残滓を感じ取ることができた時、確信したのです。あの被害者の方の傷がごく僅かだった理由は、治癒魔法が使われていたのだと。あなたに直接確認をしたかったのですが、明らかに回答が難しい様子でしたので、あの日は詳細までお話しできませんでしたが……」
「任命式までは、治癒魔法のことを魔術師団の外部には知らせないようにしておりましたので……」
「そうでしょうね。その力はとても強力です。万人を引き寄せる魅力的な能力だ。……だからこそ私は、魔術師団だけで独占すべきではないと考えているのですよ」
「独占、ですか?」
思いがけない言葉を投げかけられ、そのまま言葉をなぞる。
クリス司教に目を向けると、彼は周囲に目を配り、眉尻を下げながら申し訳なさそうに続けた。
「……場所を変えませんか? 別室に移動して詳しくお話をしたいのですが」
「それは……困ります。少し席を外しているのですが、連れがまもなく戻りますので……」
「――では、すぐそこのバルコニーに移動するのはいかがでしょうか。あまり我々の会話を聞かれたくないのです。なにしろ私は、『あなたのお連れ様の政敵の部下』、ですから。そちらの陣営に与するようになったと、疑われたくはないのですよ」
クリス司教が示したバルコニーに目を向ける。
今わたしたちが立っているところからはほんの数歩程度離れているところに、ベルベットの帳が半分ほど下ろされた状態の出入り口が見えた。確かにあの場所なら、何かあってもすぐここに戻れるし、バルコニーでの会話も勝手に聞かれにくい。
ウィルの言葉を思い出す。ここに居ろと確かに言われた。彼の言いつけを守り、クリス司教の誘いを断る方が良いに決まっている。
「どうか、私の話を聞いていただけないでしょうか。治癒魔法士のあなたに、助けていただきたいのです」
返事に窮したわたしに、クリス司教は畳みかけるように言い募った。
わたしを害するという隠れた目的があったとしても、この左腕の腕輪がある限り攻撃は効かないはずだ。
それよりも、助けてと言われたのだ。
わたしが治癒魔法を学びたい、治癒魔法士になりたいと思った理由を鑑みれば、わが身可愛さにクリス司教を拒むことなんて、できるわけがない。
是と答えたわたしは、促されるまま会場を離れ、ベルベットの帳の向こう側に足を向けたのだった。
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