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20 夜会①



 数か月ぶりにコルセットを締め上げられ、ぐっと潰れた声が漏れそうになるのを我慢する。魔術師団の寮に入ってからは貴族服のデイドレスすら着ることもなく、制服かラフなワンピースばかり着ていたから、しばらく慣れるのに時間がかかりそうだ。

 ひとつ息を吐いたところで、リリィの手によってどんどん着付けられていくイブニングドレスに視線を送る。

 

 晴れた夏の日の空を思わせる鮮やかな青が目に入る。薄く仕立てられた青みがかったレースが幾重にも重ねられたシンプルなドレスだ。真っ先に、ウィルの整った目元を彩る碧眼を連想して、少しこそばゆくなる。まるでパートナーみたいに合わせてしまったかのような色合いだ。今夜迎えに来てくれるのはあくまで保護者としてだろうに、なんとなく気恥ずかしい。

 

 鏡を前に居たたまれない表情をしていたわたしに気付いたのか、リリィが満面の笑みで鏡越しに声をかけてきた。

 

「とってもお似合いですよ、アシュリーお嬢様。ウィルフレッド様はドレスの見立てにも才能がおありですね」

「……え。待って、リリィ。このドレスはあなたが用意したんじゃないの?」

「あら、わたしったらうっかり。そういう設定でしたわ」

 

 明らかにわざとらしい反応に、愕然として口を開けてしまう。

 これでは、ウィルが今夜のドレスを用意したと答えたも同然じゃないか。

 

「なん……え、どういうこと? なんでウィルさんはこの色にしたの? ただの偶然……?」

「あらあら。社交の授業内容はもうお忘れになりましたか? パートナーの瞳や髪の色を纏うのは社交界では当然のルールでございますよ」

「わたしとウィルさんはパートナーじゃないよ……」

「一緒に夜会に行かれる男女をパートナーと呼ぶのでは?」

「……ダンジョ……」

 

 彼はあくまで保護者枠なんだってばー!とむず痒さに叫び出したくなる衝動を必死に抑える。

 

「こちらを身につけたら更に『完璧』でございますね。ふふ」

 

 口元を緩めたリリィが、()()の装飾品を首や耳に飾り立てていく様子を見せられ、わたしはもう何も言えなくなった。で、これは一体誰のチョイスなの?


 


 突然の夜会出席やドレスの色味といい、「ホウ・レン・ソウ」を欠いているウィルに、一言くらい文句を言ってやろうと思っていた。

 それなのに、玄関ホールで待つ彼の姿が目に入ると、伝えようと思っていた言葉が吹き飛んでしまった。

 

 迎えに出ていたライアンと言葉を交わしていたウィルは、華美な装飾のないシンプルな漆黒の衣装を身に纏い、光沢のある薄い青みがかった色のタイを締めていた。タイの色味がどことなくわたしの瞳の色に近いような気もするけれど、きっと気のせいだろう。

 普段はそのまま下ろしている絹糸のような銀髪を後ろに撫で付けていて、彫刻のように精緻な目鼻立ちがこれでもかと露わになっている。ただでさえ顔の造りの良い人が、正装して着飾ったらこんなにも破壊力が増すのか、と周囲を見て唖然とした。彼から発せられている強烈な色香で、伯爵家の使用人はみな、心ここにあらず状態だ。

 例に漏れず、わたしまで普段と違うウィルの様子に足を止めて見入ってしまっていると、彼の方からわたしに気付き、口元を緩ませた。

 

「アシュリー、おいで」

 

 いつもと変わらないような、少しだけ優しいような声で呼ばれ、心中が騒ついてしまう。

 ああ、落ち着かないと。

 履きなれていない靴なんだから、転けないように転けないように。

 完全に浮ついてしまっている自分自身に言い聞かせながら、足早に彼の方へ足を向かわせる。


「――迎えに来ていただいて、ありがとうございます」

 

 ウィルの目の前まで来て、なんとかその言葉を絞り出す。なんとなく気恥ずかしく、彼の目を見ることができずにウロウロと視線を彷徨わせていると、すいとウィルの手が伸びて来て、指の背で軽く頬を撫でられた。

 その感触に驚いてびくんと体を震わせ、思わず彼を仰ぎ見る。

 心底嬉しそうな笑みを浮かべたウィルと目が合った。思わずその瞳に吸い寄せられてしまう。


「よく似合っているよ。綺麗だ」

「――っ!」


 いつもは安心させてくれる彼の笑顔が、わたしの心中に大嵐を巻き起こした。


 綺麗……綺麗!?

 そんなこと初めて言われたし、何よりこんな甘ったるい目で見てくるウィルなんて知らないし、ああもう、どうしたらうるさいこの胸の鼓動を止められるのか、すっかり熱くなってしまった頬を冷ますことができるのかも、知らない知らない知らない……!

 

 大混乱中のわたしに気を良くしたのか、ウィルは上機嫌でわたしの手を取った。

 おまけに今度は、重ねた手の平を指の腹で意味深にくすぐってきて、更に体を強張らせるわたしに愉快そうに囁いた。


「さあ、行こうか。夜は長いよ、アシュリー。今からそんな調子で大丈夫?」


 誰のせいだと……っ!

 叫び出したい衝動を抑え、ただ彼を睨むだけで留めたわたし、とっても優秀だったと思う。



 

「――ウィルさん。からかっているんでしょう」

 

 馬車までの道すがらで少し冷静になってきた。

 ウィルの先ほどからの態度は、男女関係に免疫のない奥手なわたしをからかっているのだ。きっとそうだ。

 馬車に乗り込んだわたしは、彼と距離を取るように奥の方へ座った。ところが、素知らぬ顔でわたしのすぐ隣に座った彼は、せっかく離した距離を一気に詰めてきた。……信じられない。

 

「からかってないよ。そのドレスも本当によく似合っている。……それより、今夜は人生初の夜会だろう? 君が『欠席』と回答したのをアレクから聞いて、僕が『出席』に変更してあげておいたんだよ」

「頼んでませんが」

 

 褒めて褒めて、と言いたげに満面の笑みで文書偽造を白状したウィルに、うっすら冷たい視線を送ってしまう。


「夜会なんて、そもそも社交自体したことがないわたしには無理ですよ……。ダンスだってもう何年も練習してないし、振る舞い方も知りませんし……恥をかきにいくだけです」

「大丈夫、大丈夫。今夜の招待客はほとんどが魔術師団の関係者でほぼ身内ばかりだから。それに今夜は僕がずっと一緒にいるからさ」


 不安げに膝の上で組んだり離したりしていたわたしの手を取ったウィルは、安心させるようにきゅっと握ってきた。

 また触れられたところが熱く感じて、かといって振り解くわけにもいかず、視線を逸らしながらもごもごと抗議する。

 

「なんだか今日のウィルさん、いつもと違う気がするんですが」

「そう?」

「いつもより優しい、というか……甘いというか……なんとなく落ち着かないです」

 

 わたしの言葉にくすりと笑みをこぼしたウィルは、そうかと呟き、手を離した。

 離れていく熱に、居心地の悪さから解放された安堵と、どこか残念に思う気持ちが複雑に入り乱れてしまう。


「君を萎縮させたい訳じゃない。初めての夜会を最大限に楽しんでもらいたいからね。――それとは別に、今夜、君が夜会に出席する必要がある理由についても、説明しておこう」

「……はいっ」

 

 ウィルの纏う空気がいつもの師匠の顔になったことに気付き、わたしの頭も否応なくパッと切り替わった。姿勢を正し、ウィルに真正面から向き合う。


「そろそろ君も自分の価値を理解してくれていると思う。今日の王宮での任命式で披露された、新たな治癒魔法士と(よしみ)を結びたい勢力は、数多くいる。しかも、その治癒魔法士は伯爵家の令嬢とはいえ、つい最近実父が隠居し未成年の弟が伯爵位を継いだばかりで、後ろ盾にはなり得ない。上手くやれば取り込める……と、こう考える者も出てくるだろう」

「では、そもそも夜会も含めて露出を最小限にした方が良いのでは……」

「もちろん、その可能性も考えた。だがそうすると、なんとか君と接触しようと強硬手段に出る者もいるだろう。できることならそれは避けたい。ならばいっそのこと、僕という監視の目がある中で接触の機会を取らせた方が、むしろ安全だというのが団長や侯爵様の判断なんだ」

 

 ウィルが滔々(とうとう)と説明してくれた内容にやっと得心する。夜会への出席は魔術師団上層部の判断ということか。

 であれば是非もなし。従うだけだ。

 神妙に頷いていると、ふと視線に気付き、隣に目をやる。

 ウィルが少しだけ気遣わし気にこちらの様子を伺っていることに気付く。


「ライアンから、詳しく聞いた? 君のお父上のこと」


 彼の表情の理由に勘づき、安心させるように笑みを浮かべ、軽く頷く。


「最初に聞いた時はホッとしたんですよ。でも、もう二度と会えないんだなと分かると、寂しいなんて思ってしまって……自分でも驚きました。あんなに連れ戻されるのが怖かったはずなのに。――でも、今はなんとも。気持ちの整理はつきました。それに、突然夜会に出席すると聞かされて、思い悩むどころじゃなくなりましたよ」


 語尾に少しだけ、「ホウ・レン・ソウ」が無かったことの不満を入り込ませて、ウィルに視線を向けると、彼は肩をすくめながら答えた。

 

「事前に言ったら、君は嫌がって何処かに雲隠れするんじゃないかと思ったんだよ。なにしろ君は、行動力も逃亡癖も、前科もあるからね」

「そ、それは耳が痛いです」


 的確過ぎる指摘にぐうの音も出ない。

 素直にこれまでのアレコレを反省していたわたしに、ウィルが笑いを含んだ声で言った。

 

「さっきも言ったけど、今夜の夜会を楽しんでもらいたいのは僕の本心なんだよ。もう君は、出自を偽ることも能力を隠すことも必要なくなった。魔術師団の治癒魔法士でスタンレー伯爵家のアシュリーとして、自由に楽しんだらいいさ」

「……そうですね。そう言われると、なんだか楽しみになってきました。ウィルさんも一緒だし」


 初めての夜会で色々と心配ごとはあるけれど、ウィルと一緒だと思えばなんとなく楽しめそうな気がしてきた。我ながら調子の良いことだ。

 王宮の夜会はどんな雰囲気なんだろう、と胸を躍らせながら思考を飛ばしていたわたしは、困ったように顔を伏せて呟いたウィルの言葉なんて、耳に入っていなかったのだ。

 

「……無自覚って、恐いなあ」



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