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4 ジムとサラ

 自慢というほどでもないが、相手が嘘をついているかどうかはなんとなく分かる。

 ジムにはそんな自負があった。

 顔全体の強張りや、眼球や手足の不自然な動きを注意深く見ていれば、この診療所にやってくる普通の患者の嘘は見破れると。


 だから当然、目の前で盛大にうろたえる少女が何かをごまかそうと必死なのも、もちろん手に取るように分かった。というより、誰も騙されてはくれないのではないかと逆に心配になってくるレベルだ。全くもって嘘をつくのに向いていない性分のようだ。


「えーっと、あの……えー……あぁ……」

「だから、君が使ったんだろう? 治癒魔法」

「え、ええ? いや……あの、その……な、なんのことですか」


 毅然とした態度、を必死でとりつくろっている顔だ。唇をギュッと引き結んで目を逸らさないように努めてはいるが、手先は微かに震えている。

 少し哀れにすら思えてくる。というのも、彼女が治癒魔法を使ったのかどうかをこの場で明かすべきかどうか、ジム自身も明確な答えを有していなかった。


 国内でも稀少な人材である治癒魔法の使い手、治癒魔法士が、こんな辺境の地に目的もなく居る訳がない。

 何かの使命を帯びてこの地にいるのかとも思ったが、こんな一般人の追及に対して焦っているような幼気な少女が、重大な任務を任されているようにも見えない。ならば訳アリか?

 見て見ぬふりをすのが正しいのか、はたまた公の機関に相談すべきなのか。ここで対処を間違えれば、あとで難癖をつけられてしまう。国外れにある小さな町の小さな診療所など、吹けば飛ぶ軽い存在なのだ。


 頭の痛みを逃すように、指でこめかみをぐりぐりとほぐしながら、ジムは大きなため息をついた。


「君は――」

「ジム!」


 突然、彼の背後の扉が勢いよく開かれ、怒りの混じった声色で名を呼ばれた。ビクリと肩を震わせ振り返ると、彼の妻が眉を吊り上げて仁王立ちしていた。


「サラ? なんだよ、まだこの子との話は終わってな――」

「ジム! あなた、何考えてるの!?」

「は……?」

「突然知らない町で倒れて、しばらく起き上がれなくなっていた子に、起き抜けにアレコレ聞き出そうとして……可哀想じゃない! 今夜はひとまず寝かしてあげる。それでいいでしょう!」

「……あのな、サラ。そんな単純なことじゃないんだよ。あとお前、あんまり大声で喋るな。腹の子がびっくりするだろ」

「あたしの子なら、お腹の中で私と同じようにあなたに怒っているわよ。間違いないわ」


 サラは愛おしそうに少し膨らんできたお腹をするりと撫でた。

 普段はサバサバとあっさりとした物言いのサラだが、子を授かってからは、こうして聖母のように慈愛に満ちた表情を浮かべるようになった。元々彼女のさっぱりとした性格を好んでいたが、最近の彼女が見せるふとした瞬間の柔らかい表情もまた堪らないのだ、とジムは一人うなずいていた。


 治癒魔法士(仮)の少女への尋問も忘れ、彼が心中で愛妻に惚気ている間に、サラはさっさと少女に歩み寄り、話しかけていた。


「はじめまして。この人はこの診療所の医師のジム・バートン。あたしは妻のサラ。よろしくね」

「あ……こちらこそ、よろしくお願いします。それに、助けていただいてありがとうございました」


 サラはにこやかに自己紹介をしながら彼女に手を差し出す。

 突然現れた女性の勢いに気圧されながらも、少女はその手を握った。サラは、その手の滑らかさに気づかれないように目を見張る。平民の女性の手とは思えない、家事や炊事で全く荒れていない手だった。


「目が覚めて良かったわ。今日は疲れたでしょう? 寝間着を用意するからこのまま休んでもいいし、少しでも食べられそうならお粥を用意できるけど、どうする?」


 サラの問いかけに、彼女は少し目を伏せながら申し訳なさそうに呟いた。


「……正直、あまり食欲がなくて……」

「そっか。……うん、分かった。この配慮の欠片もない男を追い出してから、湯と寝間着を持ってきてあげるから、少し待っていてくれる?」

「配慮の欠片もない男って……俺?」


 サラの遠慮のない言葉に、ジムは情けなく両眉を垂らした。

 愛妻の言葉に傷つく暇もなく、ジムは彼女に押される形で部屋から追い出された。彼女には逆らえない彼は、なすすべもなく追い払われたのだった。



 彼らの暮らす診療所兼自宅は、1階部分に待合室や診療所、簡素な病室が2室あり、2階部分に自宅がある。今は夫婦2人の生活だが、この冬にはもう1人家族が増える予定だ。


 1階の診療所の片付けを終え、2階のダイニングに上がってくると、ちょうどサラがコーヒーを入れる準備をしているところだった。挽きたての豆の香りにジムの疲れた体がホッと緩む。今日は色んなことが起こり過ぎたし、考え過ぎた。脳が休息を求めているようだ。


「ジム、おつかれさま。コーヒー、一緒に入れようか?」

「ああ、俺が入れるよ」


 身重の妻に椅子に座るように促し、ポットを持つ手を代わる。

 サラはキッチンカウンターに一番近い椅子に座ると、物言いたげな視線をジムに送った。


「――サラ。気持ちは分かるけどな、あの子に深入りすべきじゃない」

「じゃああなた、放っておくの? どう見ても訳ありじゃない。雰囲気とかあの手の感じとか、多分普通の平民じゃないわ。良家のお嬢様か、ひょっとして貴族のご令嬢か……どっちにしても、こんな片田舎に一人で居ていい子じゃないわ」


 サラは、先ほどあの少女と握手した時に感じた直感を思い出していた。

 服装は平民の娘が着るようなものを纏っていたが、物腰や雰囲気、喋り方など、本人から出されるお嬢様オーラは、隠し切れるものではないのだ。


「成人しているかどうかも怪しい女の子が、国境近くの町に一人で来ているってだけでも心配なのに……」

「あの母娘が言っていたが、彼女、国境越えて隣国に行く予定だとか言っていたらしい」

「隣国に? でも今はもう乗合馬車が……」

「ああ。今日最後の便が行ったな」


 兼ねてより、隣国と行き来している乗合馬車の運行が止まるのではないかと町でも噂になっていたが、とうとう明日からしばらく運休することになったそうだ。今日の昼間の騒動のあと、診療所を訪れた患者からその情報はもたらされたのだった。

 ジムとサラは目を見合わせた。お互いの目を見つめながら、あの少女の処遇について頭を悩ます。


「ねえ、ジム。さっきあの子に何か聞いてたでしょう。…何か他にもあるっていうの?」

「――あの事故の時、十中八九、治癒魔法を使った。治癒魔法士なんだろう」

「治癒魔法士?」

「ああ、そうでないと説明できない。あれだけの積み荷が体全体に覆いかぶさっていたんだ、あの女性が無傷なんてのはあり得ない。医術書で読んだことがある。普通なら助けることのできない大怪我を、たちどころに治すことのできる魔術がある、ってな」

「でも、待って。平民でもたまに魔力のある子はいるけど……治癒魔法なんて、聞いたことないわよ?」

「そりゃそうだ。治癒魔法士は数十年に一度しか現れない。稀少な力だし、よそと戦争でも始めるんなら使い勝手のいい能力だろ。だから、治癒魔法士はお国に手厚く保護されるって話だ。昔、王都の医者仲間から聞いたんだ」


 ジムの言葉を受け、悩みながらもサラは小さくつぶやいた。


「それって……もしあの子が治癒魔法士だったとして、1人で出国できるものなの?」

「無理だろ。お国が許すわけない」

「だよね。……じゃああの子、もしかして……」

「勝手に出ていくのか。それとも、そもそもお国に把握されていないのか……」


 出来上がったコーヒーをマグカップに入れ、物思いに沈むサラの前に置く。人一倍情の深い彼女のことだ。訳ありの少女の事情に胸を痛めているのだろう。


「……ジム」

「ダメだ」

「まだ何も言ってない!」

「ろくなことを言わないのは分かっている」


 同情に駆られて余計なことを言い出しかねないサラに、ジムはあらかじめ釘を刺すように言った。


「治癒魔法士には深く関わらない方がいい。あいつらに何かあればお国が出張ってくる。こんな小さな診療所、あっという間に潰されるぞ」


 治癒魔法は稀少な能力であり、戦時においては重要な戦力になる。他国に流出することがないよう、保護という名の監視下に置かれているのだ。


「とにかく。あの子は明日になって体調に問題なければそれでお別れだ。隣国に行く馬車はないんだ。隣国へ行けないことが分かれば、一旦家に帰るか、別の町に行くか、自分で考えるだろう」

「もし、帰る場所がなかったら?」

「そりゃあ――」

「思い詰めて、無理やり一人っきりで国境を越えようとしたら?」

「う……」

「今は魔獣がうじゃうじゃいるのよ、あんなか弱そうな女の子、ひとたまりもないわね」

「……何が言いたいんだよ」

「大事な大事な治癒魔法士に何かあったら、お国が出張ってくるんだっけ? もしもあの子に何かあったら、無茶しそうなのを分かっていたのに追い出したあたしたちの責任、どーなるのかしらねー?」


 サラの猛攻撃に、ジムはついに返す言葉もなくなり、頭を抱えてダイニングテーブルに突っ伏してしまった。


「あの子を診療所(ここ)に連れ帰った時点で、あなたの負けよ」

「だからってあのまま放っとく訳にはいかなかっただろ……」

「だからあたしたち、とっても気の合う夫婦ねってことよ」


 先ほどまでの憂い顔から一転、清々しいまでの笑みを浮かべたサラを見ていると、こいつには一生敵う気がしないとジムはため息をついた。

 それは幸福に満ちた諦めのため息でもあった。


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