18 【閑話】魔性の男
ウィルに恋した1人の女性のお話です。
身を焦がすような恋をした。
一度だけでいい、というあの夜の選択は間違っていたのかもしれない。
いまだにあの夜から、あたしは囚われたままだ……あの人に。
たった1年ほど前のことだ。友達に誘われてふらりと立ち寄った酒場で、彼に出会った。
髪色も瞳の色も服装だって、その辺にいる平凡な男と同じだというのに、どういうわけか彼の周りには呆けた顔した若い女の子ばかりがいて、和やかに談笑していた。
一目で恋に落ちた。あんなに綺麗な男の人は見たことがなかったのだ。王子様のようにきらきらと輝いていた。
あとから皆が言う。彼を見た人は皆、たった一目で心を奪われてしまうんだって。
あたしもその他大勢と一緒だ。それでよかったんだ。少しだけ欲が出た。有象無象からひとつ頭を抜けたかった。彼の特別になりたかった。そんな考えを持ってしまったのがいけなかったんだ。
たった一晩の甘い記憶から、抜け出せずにもがいている。
「……、……あ、ウィルさん」
大通りの雑踏の中で、彼の名を呼ぶ女性の声が聞こえた気がして、店長から言いつけられた用件も忘れ、周囲を見渡してしまう。
彼が王都の酒場に現れなくなってもうすぐ1年が経つ。
ごくありふれた名前だというのに、彼の名が聞こえるとこうして何度も姿を探してしまうのだ。最早、病気だと家族や友達には諦められてしまっている。
「――ここで待てます。子供じゃないんだから心配しすぎです」
「今までの実績があるんだから、心配に決まってるだろ」
「それを言われるとつらいけど……もう、とにかく、エリックさんに頼まれてることがあるんでしょう。さっさと済ませてきてください」
栗色のくせ毛を後ろにくるりとまとめた女性の後ろ姿が見え、その向こうに、ひどく懐かしい姿が見えた。
人通りの多い道の真ん中で、足を止め、息を飲んだ。
見間違うわけもない。長身の彼は周囲から頭1つ抜きんでているように見える。いや、身長のせいだけじゃない。彼の放つ眩いほどの光が、あたしの瞳を捉えて離さないんだ。
脇目も振らず駆け出して、縋りつきたかった。それなのに足が動かない。
見間違うわけない。
でも、あんな彼は知らない。
あんなに、誰かを優しく愛おしく慈しむ彼の顔は、見たことない。
一方的に想っていても仕方ないことは随分前から分かっていた。想いの強さや、どれほど長く焦がれているかで振り向いてもらえるものではないことは、もう大人なのだから分かっている。
それでも、内からふつふつと湧き出るどす黒い感情を止めることなどできないのだ。
「あんたがウィルの新しい女?」
気付いた時には、目の前には先ほどまで彼と一緒にいた女がいて、あたしは陳腐な台詞を吐いていたのだ。
あまりにもダサすぎて、自分から昔の女だと言っているようで情けない。冷静な頭が働いていれば、あたしはそもそも踵を返してこの場を離れなければいけなかったんだ。
恥と妬みと混乱と屈辱と。色んな色のペンキをひっくり返したような感情の波は、あたしをどこまでも馬鹿にさせた。こちらを見つめる女の表情も読み取れないほど、視界がぼやけてきてしまう。
悔しい。こんなことしなきゃ良かった。
ふと、握りしめた拳を包む手の柔らかさに気付く。はっと目をこすれば、彼女が眉間に皺を寄せながら、手を握ってきたのだ。
「なに、同情……? 高みの見物ってやつ……? あんただって、どうせいつか……」
「座ってください」
有無を言わせない勢いでぴしゃりと言い放ったこの女は、彼女が座るベンチの隣を指した。すぐに動けなかったあたしにもう一度座るよう促す。その間ずっと、手は握られたままだった。
「……本当に、あの方は随分と罪づくりな方ですね」
静かに呟いた彼女の声に微かな怒気を感じ、もう一度彼女を見ると、ひどく真剣な表情で口を開いた。
「良いですか。落ち着いて聞いてください。わたしとウィルさんは、そういう関係ではありません」
「は……?」
「本日だけで、貴女で4人目です。皆さんそろって勘違いされています。良いですか、もう一度言います。わたしとウィルさんは、ただの同僚です。先輩後輩です。師匠と弟子です」
何度も言い含めるように「男女の仲」ではないことを伝えようとしていることに気付き、次第に感情が落ち着いてくる。
「4人目って……?」
「もう、聞いていただけますか?」
どうやら、今日は王都の大通りにある店に用事があり、何故かついてきた彼と一緒に歩いていると、女性ばかりに「お前が新しい女か」「ふざけるな」「さっさと別れろ」など、出会い頭に喧嘩をふっかけられていたそうだ。
否定する暇も与えられず、彼女たちは彼の手によって遠ざけられてしまったが、あたしについては彼が側にいなかったので、これ幸いと否定するために引き止めたらしい。
「もう二度と一緒に出歩きたくないです。いいんですよ、別に彼女たちは。わたしが許せないのはウィルさんです。あんなに複数の女性から詰られるなんて、よっぽど非道な別れ方をしたに違いありません。魔性の男だか一晩しか相手しないだかなんだか知りませんが、ただの女性の敵です。本当に信じられない」
かなり興奮した様子で早口で言い切った彼女は、ふんすと鼻を鳴らした。
ふと、あたしが落ち着いたことに気付くと、握っていた手を離し今度は背中をさすり始めた。
「少しだけ、診療所で働いていたことがあるんです。その時にお医者さんから教えていただいたんですけどね、医療の心得がなくても、この手を使って癒すこともできるんですって。……貴女は随分と、お疲れのようだから」
落ち着いていたはずの感情が、彼女の穏やかな声でまた揺さぶられ始めた。
そうだ、あたし、疲れていたんだ。
じわりとまた涙腺が緩み始める。涙が零れ落ちるのと一緒に、ぽつりぽつりと彼との出会い、一度限りの夜のことやそれからもう二度と相手にしてくれなくなったことを、少しずつ話していった。
彼女は相槌を打ち、時に憤慨し、ただ話を聞いてくれていた。
「――振り向いてもらえない人を追いかけ続けるのは、しんどいですよね……。わたしも、大昔にそんなことがありました。少しでもこちらを見てほしくて色々頑張ってみるんですけど、期待しては打ち砕かれて、ってその繰り返しで。ほんの少しだけ気持ちを返してくれたらそれで良かったのに」
「……でも、もしこの気持ちを捨ててしまったら、もうおしまいのような気がして……」
「そうそう。意固地になってしまうんですかねえ」
思えば、こうして彼への思いを吐露する相手などいなかったような気がする。
周囲はこぞって、早く忘れろの大合唱で否定されてばかりだったから、次第に誰にも打ち明けないようになっていたのだ。
「わたしは、逃げちゃいました。振り向いてもらえないのがつらくて」
「それで……どうなったの?」
「逃げた先で、とても良い出会いがあって……心を尽くしたらきちんと心を返してくれる関係性を築けてようやく、冷静に見つめることができたんです。あれは愛情じゃなくて、執着だったんだなって」
「……執着」
「わたしが欲しかったのは相手の関心だけじゃない。関心を向けてもらえるほどの価値が自分にあると信じたかったんだなって。とても利己的な感情でしょう?」
にこりと穏やかに彼女は笑った。その笑顔がとても綺麗で、あたしは思わず涙も引っ込めて見惚れてしまった。
執着。彼女がこの感情に名前をつけてくれたような気がした。
「……見た目は子供っぽいくせに、良い恋愛してるじゃない」
「へ? 恋愛? ……あ、違います違います! さっきの話は恋愛じゃなくて、父親との話です!」
「はぁ?」
「いや、その……もうすぐ、仕事の関係で久しぶりに顔を合わせるかもしれないから……最近、昔のことを思い出しちゃってて」
やけに達観した恋愛論を語るなと感心していたのに、蓋を開ければ父親との確執とは。彼女も彼女で苦労してるのね、と同情の視線を送っていると、
「恋愛はよく分からなくて……そんな、誰かを好きになるなんて……正直日々の生活でいっぱいいっぱいで、考える時間がないというか……」
彼女は途端に目線をウロウロさせながら自信なさそうに呟くのだ。
先ほどまでの母性に満ち満ちた雰囲気との差が激しすぎて、口元が緩んでしまう。
ああ、あたし、この子のこと好きだ。
「頭でっかちのお子様ねえ。恋するのに考える必要なんてないんだから。勝手に落ちちゃうのよ、それはもう止まらないスピードでね」
初めて彼を見た瞬間に転がり落ちていった、あの日のあたしのように。
「――今度はあんたか」
ヒヤリとした冷気を纏った美声が聞こえてきた。目の前にあたしを激しく睨みつける彼が立っていたのだ。
憎々しげな視線であっても、その瞳に映ることができたと思えば胸が高鳴ってしまう自分の馬鹿さ加減に、ほとほと呆れてしまう。
まだもう少し未練はあるけれど、でも、彼を目の前にして思ったよりも感情が凪いでいた。
「……少し、協力してくれない?」
彼の冷たい態度にむっとした顔を向ける彼女に囁く。
あたしのささやかな提案に、彼女は花が綻ぶように笑みを浮かべ、「もちろん!」と大きく頷いた。
彼は親密そうなあたしたちの雰囲気に怪訝な顔を浮かべていた。その隙をねらい、彼女がウィルに背中から腕をまわし、一気に羽交締めにしたのだ。
「な、アシュリー!」
「ウィルさん! 大人しくして!」
思った通り。こんな非力な女の子の腕すら解けずにワタワタと慌てる彼を見ながら、くすりと笑みを浮かべる。
ずっと遠くに感じていた彼を、今はやけに身近に感じてしまうのは、彼もまた人並みに恋をしているからなんだろう。
大きく振りかぶったあたしの右手は、大通りに響き渡るような大音声で彼の左頬に正確に跡をつけた。
「さようなら、ウィル」
これで一つ区切りがつけそうだ。
唖然とした顔で左頬に触る彼を無視し、満面の笑みで彼女とハイタッチをする。
「あたし、ケイトよ。あなた、名前は?」
「アシュリーです、ケイトさん」
「アシュリー。もし誰かと恋に落ちたら教えてよ。あたし、絶対あなたを応援する。なんなら失恋した時は慰めてあげるから」
「まだ始まってもないのに、勝手に失恋させないでくださいよ……!」
「ふふ、ごめんごめん」
勤め先の飲食店の場所を伝え、いつでも遊びに来てとアシュリーと軽く抱き合ったあと、彼には一瞥もくれず、あたしは踵を返した。
心と右手がジクジクと痛む。
でも、この痛みのおかげであたしはきっと前に進める。
じわりとまた吹き上がってきた目尻の水滴を手の甲で拭った。
背後からアシュリーとウィルの言い合いが聞こえてきて、それがおかしくておかしくて、泣き笑いになってしまった。
せいぜい、片想いの辛さを噛み締めなさい。
「何がどうなって仲良くなってるんだよ、僕がいない間に……」
「意気投合したんです。それより、これからウィルさんに傷つけられた被害女性に出くわしたら、またさっきみたいに頬を差し出しますからね。絶対にその痣、治癒しちゃダメですよ――」
個人的に一番好きなお話(*´꒳`*)
ウィルがクソ野郎過ぎてビンタ1発ではとても許せそうにない。
今回も読んでいただき、ありがとうございました!
次回から本編に戻ります。




