14 新人魔術師団員の特別訓練② ≪ギルバート視点≫
「ギルバート・グランビッシュ。水魔法のグランビッシュ家の嫡男だね」
冴えわたる美貌が囁くように紡いだ言葉が自分の名前であることに気付き、夢の中のようで浮ついていた足元が一気に地面に引き戻される。
憧れのお方が、俺の名を知ってくれている……!
最強の魔術師様に直接指導してもらえるだけではなく、面と向かって名まで呼んでもらえた時点で感無量ではあるが、しかし、ここで彼に目を止めていただけるように全力を出さねば、と意気込む。
他の同期と少し離れたところまで移動していた俺は、数歩先に立つ彼に気合いを入れて向き合った。
「はい! ご指導、よろしくお願いします!」
「さあ、まずは自由に攻撃してみて。君の一番得意な攻撃は何かな?」
薄く笑みを浮かべながらウィルフレッド様はその場で両手を広げた。
一分の隙もない。
ただ立っているだけなのにどんな攻撃を仕掛けたとしても全て防がれる気しかしない。
生唾を飲み込み、必死に考えを巡らせた。
もう先ほどのウィルフレッド様の不穏な言葉も、アシュリー・スタンレーの存在も頭から追いやった。今はただ、目の前の強大な壁にひとつでも傷をつけることを考えねば。
右手に水魔法で精製した剣を握り、一気に切り掛かった。
「ふうん、剣技はなかなかの腕前だね」
「くっ……!」
切りかかった剣を、氷で精製された剣で防がれ、弾き飛ばされる。咄嗟に受け身を取り、再度接近する。おそらく一度動きを止めてしまうと一発でやられる。
「うん、悪くない。努力したんだね、濁りのないまっすぐな太刀筋だ」
俺にとっては渾身の一撃を何度も軽く受け止められ、余裕の表情で論評される。誉め言葉に喜ぶ余裕もなく、まったく相手にされていない悔しさが上回ってしまい、ほぞを噛む。
その一瞬の隙を突かれた。
ウィルフレッド様の右手が魔術攻撃を仕掛けてくることに気付いた時にはもう遅かった。一瞬ののち、複数の氷の刃に全身が切りつけられる痛みが走ったかと思えば、強烈な蹴りが腹部に入り、俺の体は無様にも後方に吹き飛ばされた。
軽い眩暈を抑え目を開けた瞬間、左頬をかすめるように顔のすぐ横に勢いよく剣が突き刺さった。
「はい、死んだ」
すぐ目の前で、ウィルフレッド様の端正な顔が息を切らす俺を見下ろしていた。
平坦な声とともに冷たい目で見下ろす彼は、それでも恐ろしいほど美しく、芯から凍えるような冷気を纏っていた。
「まっすぐ過ぎだよ、君。戦闘と試合は違う。剣技に頼りすぎて魔術や体術による攻撃への警戒を怠るな。それから、攻撃を受けたあとの受け身も甘い。攻撃くるの途中で分かっていたよね。適切な受け身がとれないと防御も反撃もできないんだから、受け身は無意識でも取れるように。基本だよ、基本」
「は……はい!」
早口で一気に並べ立てられた指摘に、勢い込んで大きな声で返事をした。
直接指導していただけて恐悦至極の極みではあるが、戦闘や指導となると、普段の穏やかで親しみやすいウィルフレッド様とは雰囲気が異なることに気付く。微かな違和感に眉をひそめた。
「――『出来損ない』」
「へ……?」
「君がアシュリーに言ったんだろう? 『スタンレーの出来損ない』と」
「は……」
脈絡もなく呟かれた言葉に、気の抜けた声が出てしまった。
続いて問われた質問に、ウィルフレッド様の放つ絶対零度の殺気に、知らず体が震え始める。
「君が彼女を傷付けたことだけでも腹が立つのに、その不用意な発言がそもそものきっかけになって、彼女の存在が厄介な男に知られてしまったじゃないか。……ほんと、どうしてくれるんだ」
「へ……は……あ、あの、彼女は一体……」
「君をぼっこぼこに痛めつけてやれば多少は腹の虫も収まるかと思ったのに、大して変わらないな。しかも今からその傷は、よりにもよってアシュリー自身が治癒するんだもんなあ。本当に、意味ないな」
俺の疑問にはまるで答えることなく、苦々しく言葉を続けるウィルフレッド様に圧倒され、俺は何一つ反応することができないでいた。
ただ一つ分かったことは、彼はアシュリー・スタンレーを「傷付けた」俺に大層お怒りである、という恐ろしい事実だけだ。
端正な顔を歪ませ、一つ舌打ちを放った月の女神が体を起こすと、俺のすぐ横で存在感を放っていた氷の刃が一瞬にして溶けた。
「アシュリー! おいで!」
アシュリー・スタンレーを呼び寄せるウィルフレッド様の背中をただ見つめるしかできなかった。彼の怒りを孕んだ冷酷な瞳に射抜かれた俺は、今まで知っているつもりだった普段のウィルフレッド様との違いに、ただ圧倒されるばかりだ。
全身の痛みを堪えながらなんとか上半身だけ起き上がると、ウィルフレッド様がこちらを一瞥もせずに話し始めた。
「彼女は訳あって、魔力が発現してから一度も魔術を習っていない」
「え……?」
「魔術師団に入団するためにどれほどの努力を君がしてきたかも、魔術を全く扱えない者が魔術師団にいることに腹が立つ気持ちも理解はできる。それでも……努力を怠る者ならまだしも、今まさに努力をしている者を蔑むような人間ではないだろう、君は」
「……はい」
混乱していた脳内が、次第に冷静さを取り戻しつつあった。
つまり、俺は単なる「早とちりの勘違い野郎」だったということだ。アシュリー・スタンレーを詰ったあの時、「事情」を話せない彼女が反論しないのをいいことに、随分と酷い言葉を投げつけてしまった。
後悔の波が押し寄せる中、走って近寄ってきた彼女と目が合う。
途端に、悲壮な顔つきに変化した彼女は俺から視線を外し、あろうことかウィルフレッド様に食ってかかったのだ。
「ウィルさん! 訓練って、こんな……こんなにボロボロにする必要、本当にあるんですか……!?」
「あるよ。彼に失礼だろう。僕も真剣、彼も真剣に取り組んだんだからさ」
「でも、だって、わたしが我儘を言ったせいで……」
「僕が故意に傷を作るのは駄目だって君が言ったんだろう。だからこうやって、合法的に負傷者を出してるんだから、いいじゃないか」
「何が合法的ですか。最後の渾身の蹴りは明らかにやりすぎです!」
「はいはい、次から気をつけるよ。それより、早く治癒してあげないと彼が可哀想だよ」
「……どの口が言うんですか……」
「ほらほら、さっさと始めよう」
呆気に取られてしまった。
誰もが称賛や畏怖の対象として崇めるウィルフレッド様に対して、アシュリー・スタンレーの言動は何もかもが気安いものだった。そんな彼女の自然な振る舞いに、慣れた様子で言葉を返すウィルフレッド様の穏やかな表情にも驚きを隠せなかった。
先ほどの俺に対するゴリゴリの殺気立った表情はもちろんのこと、皆に見せていた表情とも違うじゃないか。
「ギルバート様、お待たせしてごめんなさい。拙い魔術ですけれど、どうぞご容赦ください」
「アシュリー、まずは外傷の箇所の確認と重症度の見極めからだ――」
ウィルフレッド様に促されて膝をついたアシュリーは、真剣そのものといった表情で彼の指導を頷きながら聞いていた。次第に、俺たちの周りに戦闘訓練を離れたところで見学していた同期たちが、おっかなびっくり集まってきたことに気付く。
やってごらん、というウィルフレッド様の声が聞こえ、アシュリー・スタンレーが特にひどく痛む俺の左腕の裂傷の上に手をかざすのが見えた。
治癒――聞き慣れない呪文を唱えたかと思うと、彼女の手から金色の光の粒があふれ出し、傷跡に降り注いでいった。
驚いて声を上げる間もなく、左腕の痛みがみるみるうちに霧散していき、パックリと切りつけられていた傷跡が俺の眼前で徐々に塞がれていったのだ。
「治癒魔法だ……」
「すごい、初めてみた……」
「あの子が……治癒魔法士?」
ギャラリーたちが口々に驚きの声を上げていく。当然だ。俺も初めて治癒魔法を見た。魔術学院の講義や文献でしか知りえなかった治癒魔法だ。いかに貴重な魔術であるかは、魔術を扱う者なら誰もが知っている。
完全に傷が塞がったところで、アシュリー・スタンレーはその手を下した。
「よし、上出来だ。魔力の出力の具合も収束も問題ない。使い過ぎた感覚はないだろう?」
「大丈夫です、まだまだできます」
「じゃあ、アシュリーはこのまま彼の残りの治癒を進めて。――みんな、見ての通り、今日は彼女の治癒魔法の訓練も兼ねているから、安心して怪我してね。さあ、次は誰から来るかな?」
治癒魔法のお披露目の興奮も冷めやらぬうちに、ウィルフレッド様との手合わせに我も我もと立候補者が続出し、俺たちの周辺は一気に賑やかなものになった。
一番痛みがひどかった左腕が治ったことで、次第に体の強張りが解けてきたようだ。ウィルフレッド様の指示通りに治癒魔法を続ける彼女の真剣な横顔に目を向ける。
彼女とは、一方的に俺が暴言を吐いたあの日以来の再会だ。だというのに、彼女の方はまるで気にしている様子はない。
「……治癒魔法が、使えるのか?」
迷いながら振り絞った声は、随分と小さくなってしまった。




