12 ロンバルディア教会司教クリス 後編
「さて、アシュリー。あなたの印象を教えていただけますか?」
休暇の翌日、執務室で顔を合わせたアレクセイは、当然のようにクリスの話題を振ってきた。
ベティの助け舟で、なんとか誤魔化して家路につくことができた昨日の出来事を思い出す。
気分は乗らないけれど、アレクセイには誤魔化しなんて効かないと分かっているのだ。
「……その前に、アレクセイさん。ひとつ聞いてみるんですが……物についた『魔力の残滓』は感じとることができるのでしょうか。例えば……ハンカチとか」
アレクセイからの質問に、迷いながらも質問で返す。
わたしの質問返しに片眉をひょいと上げた彼は、ことも無げに答えた。
「もちろん、感じ取れますよ。誰でもできるとは言いませんが。魔力操作を訓練しなければ感じ取れませんからね」
「――はああぁぁ……」
アレクセイの言葉に淡い期待は打ち砕かれ、腹の底から深い深いため息がこぼれ落ちてしまった。
ただならぬ気配に心配そうに声をかけてくれているアレクセイに、断頭台に上る心地で恐る恐る口を開く。
「アレクセイさん……わたし、やらかしてしまったかもしれません……」
あの殺人未遂事件の折、わたしがその場の勢いで治癒魔法を使ってしまったことはウィルから聞いていた様子のアレクセイは、意気消沈しながらポツポツと語るわたしの話に、静かに耳を傾けてくれた。
「……なるほど。ハンカチ越しに治癒魔法をかけ、それを現場に残してしまった。そのハンカチから魔力の残滓を読み取られてしまい、治癒魔法を使ったと疑われているのではないか、と。そういうことですね」
「はい……わたしが軽率なことをしてしまったがために……。やはり、その……まずいですよね? 魔術師団の外部に漏れるというのは……」
「今の段階ではあなたの能力は伏せられているのでね。まずいと言えばまずいです。が、数ヶ月後の任命式で正式に魔術師団の団員としてお披露目される際には公開される情報ですから、そこまで大きな問題ではないんですよ。少し早まっただけです。……問題は、知られた相手です」
有能な上司様は、ひとつも取り乱すことなく端的にわたしの報告を要約してくれた。
大きな問題ではないという彼の一言にホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、眉根を寄せながら思案顔で呟く様子に、思わず背筋が伸びる。
「最初の質問に戻りましょう、アシュリー。彼について、あなたは何を感じましたか?」
「――穏やかそうで、温厚な方のように見えました。ただ、それだけではなく……なんと表現してよいのか分かりませんが、何か思惑が隠されているような……。わたしに対して向ける視線が探るような、見定めるようなものでした」
「そうでしょうね。ただの穏やかで温厚な人物が、若くしてロンバルディア教会の責任者にまで上り詰めることは不可能でしょう」
そこで一旦言葉を区切った彼は、少し言い淀んだ後に口を開いた。
「――ウィルが、何度も暗殺未遂にあっていることは?」
「あ……はい、ウィルさんから、以前聞きました」
「やはりあなたには話していますね。……彼の暗殺を企てる者は、後を断たないんですよ。何度その計画を潰しても実行犯を取り押さえてもね。そして毎回、首謀者には共通点がある。みな、国教会の敬虔な信徒なんです。確たる証拠は何もありませんが、誰が焚き付けているのかは明白です。――国教会の頂点に立つ教皇猊下ですよ」
「そんなこと……」
「あの方は、ウィルを排除すべきだと昔から何度も主張しているんです。あの方の信仰心がそうさせているのか、はたまた魔術師団や王室に強力な力を持たせたくないという政治的な思惑があるのか、定かではありませんが。……ひとつ確かなことは、教皇猊下はウィルを良く思っていない。そしてクリス司教は、その猊下が昔から可愛がっている腹心の部下であるという事実です」
アレクセイにウィルの命を狙う黒幕の正体を告げられ、信じられない思いで息を飲んだ。
ポルカの路地裏でウィルの命を狙う暗殺者に遭遇したこと、診療所の病室で「こんなことは初めてじゃない」とつぶやくウィルの姿が一瞬にして脳裏に蘇り、胸をかき乱される激情がじわりと湧き上がる。
教皇を頂点とした司教や司祭などの聖職者は、太陽の神ファーネスと月の女神ディアーナの二神の教えを説き、民衆を正しい祈りに導く役割であると、幼い頃に貴族の一般教養として家庭教師から教えられた。
そんな存在が何故、という純粋な疑問と「排除」という言葉の持つ理不尽さへの静かな憤りが、心中をぐるぐると渦巻いていく。
「話を戻しましょう。……あなたの能力を知られたからといって、すぐに何かを警戒しないといけないわけではありません。詰まるところ、あなたはありとあらゆる輩から狙われる大変有用な能力を持っているのですから。狙ってくる輩に教会勢力が加わった、ただそれだけです」
「う、身も蓋もない話ですね。でも、確かにおっしゃるとおりです」
「今後は彼ら、教会関係者に近付かないことですね。……やはり、事前にウィルと教皇の因縁を伝えなかったのは正しい判断でした。あなたが腹芸などできる人ではないと思っていましたから。あなたの言動でウィルとの繋がりを邪推されでもしたら、クリス司教がどのような企みを起こしたか……最悪、帰れなかったかもしれませんよ」
さらりと恐ろしい予測を口にされ、思わず鳥肌が立つ。
あの温厚な仮面を被ったクリスに監禁される想像を一瞬で思い浮かべ、ひえっと変な声が零れ落ちてきた。
咄嗟に左腕の腕輪を必死に撫でまわす。
「それがある限り、大丈夫でしょう」
「……ですよね?」
「ああ、そういえばウィルが、その腕輪ができたからようやく本格的に動けるなどと言って嬉々として根回しをしていましたが……聞かれましたか?」
「なんでしょう……?」
「新人の特別訓練をするんだと意気込んでましたよ? アシュリーの訓練のために、と」
「ええっ? わたしのため?」
寝耳に水のウィルの新人しごき計画に驚きを隠せず、素っ頓狂な声を上げる。
ウィルの個人的な目的もあるようですよ、とアレクセイは意味深な発言を残し、困惑するわたしにそれ以上の情報を教えてくれるでもなく、さっさと溜まり上げた書類の山に取り組み始めたのだった。
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