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11 ロンバルディア教会司教クリス 前編



 その日はあいにくの雨だった。

 降雨量の少ない王都では珍しく、昨夜からしとしとと振り続けていたようで、ロンバルディア教会へ向かう馬車の窓からのぞくと、木々も石畳もしっとりと濡れていた。

 

 クリス司教は雨男なんだろうか。

 数日前にアレクセイから言われた、クリスがどんな人物なのかをわたしの目で見て判断するようにという言葉が頭をよぎる。有能な上司様に、彼は雨男のようですと報告するわたしの姿を想像し、秒で否定する。


「アシュリー、今のって、ほんと?」

「あ、うん、本当だよ」


 正面に座るベティが驚愕の入り混じった表情と震える声で話しかけてきたので、わたしの馬鹿な妄想はそこで打ち止めになった。


 彼女が何を指して真偽を確かめているのか、心当たりならある。つい先ほど、治癒魔法のことを打ち明けたのだ。


「え、ちょっと待って待って。まだ飲み込めてないんだけど……! アシュリーは実は魔力の発現をしていたけどお母様の力で魔力を封じられてて、その力は治癒魔法だったってこと……!?」

「そう……だけど、くれぐれも内密にね。まだ公表しちゃ駄目って言われてるから」


 興奮した様子のベティに念のため釘を刺しておく。

 彼女はまだ驚きが張り付いたままの表情で「もちろんだよ」と答えた。

 それからまた首をゆっくりと上下に動かしながら、なるほどねえとしきりに呟いていた。


「ベティには教えてもいいってお許しをもらえたんだよ。ウィルさん、ベティのこと褒めててさ、外ではあの子に守ってもらったらいいって」

「いやーまあ、そうね。でも、ウィル・フリッツに褒められてもねえ……」

「あ、それも偽名なの。本名はウィルフレッド・フィッツバーグ様で、ベティも知ってる――」

「ええっ!? ちょっ、まっ……!」


 ウィルの正体に今日一番の驚きを見せたベティは、移動中で揺れている馬車の中で立ち上がり、したたかに頭頂部を打ってしまった。

 頭を押さえるベティに慌てて声をかけると、痛がっていたのは一瞬で、すぐに両肩を掴まれ、何がどうなってわたしの指導係がウィルになったのか、ポルカでの出会いから詳細を語ることになってしまった。


「アシュリー……大丈夫? あのディアーナ様と毎回2人きりの訓練なんて……訓練どころじゃなくなるよ……! あんな……あんな麗しの貴公子と同じ空間に居るなんて、あたしだったら正気じゃいられない……!」

「やだなぁ大げさだよ。心配しなくてもそんな雰囲気じゃないから。ウィルさん厳しいんだよ、魔術に関しては。でも面倒見いい方でね、この腕輪も忙しいのに睡眠時間削って作ってくれて……優しいよね、ほんと」


 ウィルのことを話しながら、ついつい腕輪を撫でてしまう。最近癖になってしまっている。


「その腕輪って、ディアーナ様と研究部のエリック・ノーサン様が作ってくれたっていう自動結界発動装置付きの腕輪?」

「うん、そうだけど……エリックさんのこと知ってるの?」

「魔術師界で有名な天才博士よ。画期的な魔道具をいくつも開発する凄腕技術者でもあるけど、偏屈過ぎてなかなか仕事の依頼は受けないんだって」

「へええ~」


 「偏屈」というのが実際の彼の人物像とは重ならないような気もしたが、確かに彼は自分が興味のないことには仕事とは言っても引き受けないだろうなというのが容易に想像できた。

 今回の腕輪については、ウィルが持ち込んだ話だったからあんなにも協力的だったんだろうか。そう思うと、ウィルへの感謝の念が更に増してくる。

 

「ベティは色んな人のことを知っているのね」

「アシュリーが知らなさすぎなだけ。……どうせ、これから会うクリス司教のことも知らないんでしょう?」


 つい先ほどまで思いを巡らせていた人物の話題に、少し身を乗り出して頷く。本人に会うまでに得られる情報があれば得ておきたいところだ。

 

「クリス司教はね、30歳という異例の若さで司教に任命されて、王国で最大規模のロンバルディア教会の責任者になられた方なのよ。市民からの人気も高いの。なんたって美形で若いし、人柄も穏やかで誠実でお話も上手で、生涯未婚と分かっててもお近づきになりたくて教会に日参してる子も多いんだって」

「本当にベティはよく知ってるのね……」

「王都で商売していたら色々情報は入ってくるの。全部実家からの情報」

「さすがパン屋の娘」


 胸を張るベティに感心したように拍手を送っていると、馬車は次第に速度を落としていき、ついに止まった。どうやら目的地に到着したようだ。

 


「ようこそおいでくださいました、ベティさん」


 小雨降るロンバルディア教会の正面扉を背に佇む彼は、確かにベティの事前情報の通り、穏やかで静謐(せいひつ)な聖職者を絵に描いたような男性だった。


 首からくるぶしまでを覆う、淡い水色のコートのような服を着ている。立てた襟から足元まで正面にいくつもの金色のボタンが連なっていた。貴族や平民の服装とは明らかに異なる様相に、改めて目の前の男性が教会に属する聖職者であることを意識する。


「この度はお招きいただき、ありがとうございます! あ、こちらはあたしの友人のアシュリーです。あの事件の時も一緒にいました」

「初めまして、今日はありがとうございます」


 ベティの紹介を受け軽く会釈をする。頭を上げると、クリスの穏やかな瞳と目が合う。

 彼の澄んだ青い瞳を見ていると、初めてウィルと出会った日のことを思い出してしまう。

 まるであの時のウィルと同じように、観察されるように目を細められた気がして、奇妙な既視感に息を飲んだ。


「初めまして、アシュリーさん。ようこそ、ロンバルディア教会へ」


 ウィルと重なって見えたのは一瞬だった。

 人好きのしそうな人懐こい笑みを浮かべたクリスは、教会の内部を紹介すると案内を申し出てくれた。

 

 司教という位がどの程度のものか理解できてはいないけれど、クリスの周囲に何人か彼と同じような服装だけど紺色のものを着用している人がついているのを見ると、一人だけ異なる色を纏う彼の位の違いが際立っていた。



 王都では珍しい小雨が降っていたからか、今日は以前来た時よりも人の出入りが少なく、おかげでじっくり教会内部、天井画や彫像、窓に施されたステンドグラスを眺めることができた。しかも司教様のありがたい解説付きだ。


 一通り観光客が巡る礼拝堂を見学させてもらったあと、もし良ければと連れられたのはこの教会に併設しているという孤児院だった。王都の身寄りのない子が暮らしているとのことで、生まれたばかりの赤ん坊からまだ働きに出られない14、5歳位の子まで暮らしているらしい。


 ちょうど年少の子供たちだけで集まって遊んでいたところに出会し、あれよあれよという間にその輪の中に放り込まれてしまっていた。


 

「すごい元気だったね、あの子達……」

「ほんと……体力全部持って行かれた」


 通された応接室のソファでベティと並んで脱力する。立派なレディにはあるまじき姿勢だけれど、ちょうど今はわたしとベティ以外は給仕の準備でどなたもいないのだから、きっとセーフだと思いたい。


 コンコンという扉のノック音で一気に姿勢を正したわたしたちは、入室してきたクリスと目が合い、何事もなかったかのように取り繕いながら微笑み合った。


「申し訳ありません。お客様にあのように孤児院の職員のような真似をさせてしまい……。あの子達も若いご令嬢がお2人もいらっしゃったので、大喜びしすぎたのだと思います」

「いいえ、とんでもないです。……でも、小さい子たちと遊ぶのは体力がいりますね」

「魔術師団の訓練とはまた別の大変さがありました」


 クリスに続いて、何人かの紺色の制服を着た男性が現れ、てきぱきと無駄のない動きで紅茶を準備してくれた。

 ベティとわたしは目の前でほかほかと湯気を上げる紅茶を一口いただくと、どちらともなくホッと小さく息をついた。

 まるでシンクロしたかのようなわたしたちの動作に、目の前のソファに座ったクリスがくすりと息を漏らしたことに気付く。


「ああ、すみません。あまりにも可愛らしい仕草でしたので、つい」


 さらりと女性を可愛いと評す物言いに手慣れた感じを抱き、思わずベティと目を見合わせる。

 こうして王都の女性たちの心を奪っているのかな、罪作りな聖職者だねと。


「今日お越しいただいたのはもちろん先日の御礼もあるのですが、ひとつお渡ししたいものがございまして。おそらく、お2人のうちのどちらかのものだとは思うのですが」


 クリスが壁際に控えていた男性に目をやると、心得たように頷いたその人は、手に持った銀色の盆を抱えこちらに歩み寄り、それを差し出してきた。その盆には白いレース地の何の変哲もないハンカチが置いてあった。

 一目見ておや、と首を傾げ、よく見たら右下にわたしの名前の頭文字の刺繡が施されていた。


「あ……これは、わたしのハンカチです」

「ああ、やはりアシュリーさんのものでしたか。持ち主が見つかって良かった。どうぞお持ち帰りください」

「ありがとうございます。ですがこれはどちらで――」

「実は、先日の殺人未遂事件の被害者の方の近くに落ちていたんです」

「ああ、あの時に傷口を押さえたから……」


 当時のことを思い出しながら納得の声を上げる。差し出されたハンカチを受け取り、綺麗に洗ってもらっていることに礼を伝えようとクリスに目を向けた瞬間、彼もまた食い入るようにこちらを見つめていることに気付く。

 その視線の鋭さにゾワりと変な寒気が襲ってきて、用意していたお礼の言葉が、口の中ですっ転んで出てこなくなってしまった。

 また、あの目だ。初対面のウィルがわたしに向けていた、こちらを探る目だ。


「――あの事件の顛末は、お聞きでしょうか」

「……ええ、ベティから聞きました。刺された女性は軽傷で済んだ、と」

「出血量に比して傷口が小さ過ぎると医師の方が不思議がっておられました。神の御業でしょう、と私は申し上げたんですがね。神に祈りを捧げる場で襲われてしまった彼女へお慈悲が与えられたのでしょう、と。お2人もそう思われるでしょう?」

「ええ、本当に……不思議なこともあるんですね」


 穴が開くほど見られていることが分かる。

 わたしの一挙手一投足に注がれている視線が、嘘や誤魔化しを見抜こうとしている。

 一番苦手なやつ……!

 手の中で返されたばかりのハンカチをキュッと握りしめる。


「あー……、ちょっと疲れちゃったんで、そろそろ……」


 ベティの若干遠慮を含んだ言葉が隣から聞こえてきた。ハッと顔を上げてベティを見やると、こちらに視線を送ることなく、疲れた顔をしながらクリスを真っ直ぐ見つめていた。

 明らかなサインがあったわけではなくても、もうわたしにも分かった。ベティの助け舟に乗るしかない。


「では、馬車を回しましょう。支度ができるまでどうぞこちらで……」

「いいえ、ちょうど雨も上がったようですし、近くに次の用事もあるのでこのまま失礼します」

「……そうですか。どうぞ、お気をつけて」


 少しばかり強引な話の流れにはなってしまったけれど、さっさと席を立って退出しようとしているベティの後ろ姿を追いかける形で立ち上がった。


「アシュリーさん、どうぞまたお越しください。お待ちしています」


 背後からやけに静かな声音で声をかけられ、反射的に足を止める。


「あなたとはもう少し、お話したいことがありますので、ね」


 振り返って目が合ったクリス司教は、穏やかで静謐な聖職者の微笑みを浮かべていた。

 その微笑みの裏に見え隠れする思惑が、ほんのりにじみ出てきているような気がした。

 わたしは明らかに頬を引きつらせてしまいながら、小さな会釈をするしかないのだった。


 

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