10 本当のウィル
「アレクセイさんはご存知でしたか? ウィルさんが魔性の男と呼ばれているのを」
「突然振ってくる話題としては大変香ばしい内容ですね、アシュリー」
常に表情筋が一定のはずのアレクセイの頬がわずかに緩んだような気がした。動揺を隠すように眼鏡の位置を調整している。
「では、『学院のディアーナ様』と呼ばれていたのはご存知です?」
「……詳しく聞かせてくれますか」
今度こそ、無表情が常のアレクセイの口角が怪しげに上がったのが見えた。
机上に広げられた数多の文書を手早く整理すると、彼は無駄のない動きでお茶と茶菓子の準備を始めた。慌てて上司のお手伝いに駆け寄ると、話題の提供者は給仕を待つように指示され、着席を促されたのだった。
研修が終わり、同期の皆が配属先で勤務を始めてはや数日。
治癒魔法士として訓練中のわたしの配属は未定となっていて、訓練以外はいつも団長補佐のアレクセイの下で事務仕事に従事していた。
団長補佐という役職は、要は色んな部署からやってくる報告や要望を取捨選択・優先順位をつけて団長に伝えていくフィルターの役目をしているので、魔力がなくてもお手伝いならできている。
「君は飲み込みもいいし、計算が早くて正確だから事務職に適している」というアレクセイからのお墨付きもいただいた。ポルカでの診療所での事務仕事経験がここにきて生きている気がして、とても嬉しい。
アレクセイの入れてくれた紅茶をいただきながら、例のウィルについての二つ名について話題を提供した。情報源は、もちろん伏せ……られるわけがない。わたしの上司はとっても有能なのだ。
「『魔性の男』も『ディアーナ様』も初耳ですね。若い女性というのは着眼点が素晴らしい。団長が今この場にいないことが惜しいですよ。爆笑していただろうに」
「アレクセイさんは、ウィルさんを表す二つ名としてピッタリだと思いますか?」
「その質問をするということは、君は適していないと思っている、ということですか」
ぴたりと言い当てられ、無言で頷き返す。
本当に有能な上司だ。
「ふむ……初耳だけれど、そんな風に呼ばれることも理解できる、というところですかね。ウィルは容姿も家柄も魔術の腕も、飛び抜けて良い。だからこそ敵を作らないように慎重に外面を取り繕ってきたんです。ディアーナ様と呼ばれる所以はそこでしょう。そしてその反動が、ウィル・フリッツの素行不良に現れている」
「女性関係が奔放だって聞いたんですが……一晩しか相手しない……とか」
「うん……まあ、事実だから言っていいでしょう。本人には怒られそうだけれど」
「……本当なんですね」
少なからずショックを受けている自分に気付く。
身近な人が自分の価値観とはそぐわないことをしていると知れば、大抵は衝撃を受けるものなんだろう。……当たり前か。
「本人の名誉のために言っておくけれど、ポルカから王都に戻ってきてからは一切していませんよ」
アレクセイの言葉に伏せていた目線を上げる。待ち構えていたように目が合う。
「ポルカから帰ってきたら、どういうわけか何ヶ月も訓練棟に閉じこもってしまってね。春先にようやく出てきたかと思ったら真面目に仕事をするようになって、どういう風の吹き回しかとしばらく警戒していたけれど、そうこうしていたら君が現れて……それからは君も知っているでしょう?」
言外に、君への魔術訓練で忙殺されて遊び歩く暇もなくなっていると言われているようで、曖昧に微笑んだ。ウィルとエリックが寝る間も惜しんで作ってくれた腕輪を無意識で触れる。
「それで、君はどうなんですか? 君の目から見たウィルは、どんな男?」
アレクセイから振られた質問に、少し考えてから口を開く。ベティからウィルの噂を聞いてからずっと考え続けていたことでもある。
「厳しくて、怒らせると少し恐い魔術の先生……ですかね。でも、わたしの安全対策のために魔道具を開発してくれたり訓練にも根気強く付き合ってくれたり、親身に指導してくれる先生です。それに、魔術を見せてくれる時や教えてくれる時、すごく楽しそうで……魔術が好きなんだなと伝わってきます。……わたし、ウィルさんの魔術がとても好きなんです。あんなに綺麗で鮮やかな魔術を使える人は、見たことありませんから」
まぶたの裏で、以前ウィルが見せてくれた魔術を思い浮かべる。
彼の手から生み出され、飛んでいった土で造形された蝶が青空に消えていく様は、今も思い出せる。その時の得意げなウィルの表情も。
「……やはり、君の指導係をウィルにして良かった。君は彼の本質を見てくれている」
唐突に呟かれたアレクセイの言葉に、目を瞬く。
「ウィルフレッド・フィッツバーグの元・指導係が言うんだから、間違いないですよ」
「えっ、アレクセイさんがウィルさんの指導係だったんですか?」
「そう。誰もやりたがらなかったんです。だから私が仕方なく。大体、指導係は年齢が近い団員がするものなのに、誰もかれも尻込みしてしまいましてね。まあ、皆の気持ちも分かります。魔術学院に在学中から国内で肩を並べられる魔術師はいないと言われる男を指導なんて、できるわけないですよね」
わたしも想像して、確かにと頷く。よほど自分に自信がない限り、手を挙げづらい状況だったんだろう。
「本当は指導係なんて、完璧である必要はないんだけれど」
思わぬ言葉が聞こえてきて、カップに伸ばそうとしていた手が止まる。
「指導係は、後輩の指導を通じて自分自身も成長できる良い機会なんですよ。現に私は、ウィルの魔術を間近に見ることができて勉強になった。とても常人が張り合えるような魔術師ではないことがよく理解できました。……それに、彼とパイプができたことで厄介な任務を任せられるようになりましたし。ポルカに派遣した時のようにね」
「……なるほど」
「だから今、ウィルは君のおかげで更に成長できているんですよ」
「ウィルさんが?」
向かうところ敵なしの完璧超人ウィルフレッド・フィッツバーグが、今なお成長しているというのはどういうことなのだろう。
予想もつかずに疑問符を浮かべていると、アレクセイはまた表情を緩めながら言った。
「自分のことで精一杯だったのに、今は君のことで頭がいっぱいだ。どうしたら君が一人前の治癒魔法士になれるのか、必死になって考えている。誰かのために動ける者は視野が広がるんです。――全く、恐ろしい男ですよ。あいつはまだまだ成長できます」
アレクセイは誇らしげにそうつぶやいた。
その表情は普段と変わらない無表情に見えたけれど、とても優しい声音だったので、彼の思いは率直にこちらに伝わってきた。
つられてわたしも、なんだか誇らしい気分になる。いつも足を引っ張ってばかりいると負い目を感じていたけれど、わたしの指導を通じてウィルが成長できているのなら、こんなに喜ばしいことはないのだ。
ニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべながら、アレクセイの紅茶を一口飲み込む。その紅茶は、この数日わたしの中にモヤモヤと広がっていたわだかまりを嘘のように掻き消してくれた。
わたしはわたしの目に映るウィルの姿を信じていればいい。そう背中を押してくれたような気がした。
「――そういえば、3日後の休暇の申請は団長の許可が下りましたよ」
休憩も終わり、茶器の片付けを一緒にしている最中、ふと思い出したようにアレクセイが伝えてくれた。「ありがとうございます」と笑顔でお礼を伝える。
「どこかにお出かけですか?」
「はい、ロンバルディア教会のクリス司教にお誘いを受けたので、ベティと遊びに行くんです」
ベティと初めてお出かけしたあの日に遭遇した殺人未遂事件にはまだ続きがあった。
犯人確保に尽力したベティの下に、事件現場となったロンバルディア教会から御礼のお手紙と、司教自ら教会内部を特別に案内してくれる秘密のツアーのお誘いがあったのだ。本当は招待を受けたのはベティだけなんだけど、せっかくだからとわたしも連れて行ってもらえることになった。
簡単に経緯を説明すると、片付けの手を止めたアレクセイに尋ねられる。
「外出先についてウィルに報告はしましたか?」
「いえ……特には伝えていません」
先ほどまでの和やかな雰囲気が、出かける予定を伝えてから少し変わってきている気がして、わたしも片付けの手を止めてアレクセイの表情を伺う。
「あの、何か問題があるんでしょうか」
「……いいえ。先入観を与えるようなことは慎みましょうか。ウィルにはわたしから言っておきます。彼は余計なことを言いそうですからね」
「はあ……」
「クリス司教がどのような方か、君が感じた印象を教えてくださいね」
よっぽど困惑した表情をしていたのだろう。安心させるように薄く笑みを浮かべたアレクセイに言葉をかけられる。
普段にこりともしない上司にそんな対応をされると、逆に不安になるのだけど。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!!!




