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3 女神か聖女か


 ポルカのような小さな町にも診療所はある。

 人口は少ないとはいえ、隣国との玄関口であり、交易上では重要な町なのだ。住民に加え、商人や出稼ぎ労働者など、よそからやってくる者も多い。よそ者が増えればトラブルも事故も起きやすいのだ。


 町の中心に程近い、大通りから一本入った通りに面した診療所に、ジム・バートン医師とその妻が暮らしていた。

 ジムはこの町の生まれで、幼馴染の妻と結婚したのち、父の跡を継いで4年前に診療所の医師となっていた。


 何かトラブルや事故で怪我人が出た時は、真っ先にこの診療所に人がやってきて、怪我人だ、早く来てくれ、と大声で呼ばれる。それはほぼ日常茶飯事で、特にここ最近は人の往来が増えているからか、ひっきりなしに呼ばれていた。

 だからジムにとっては、今回もまた同じような呼び出しかと、応急処置に使う器具を詰め込んだ医者鞄を片手に、診療所を飛び出したのだ。


 どうやらいつもとは様子が違うようだ。

 ジムがそのことに気付いたのは、怪我人が出たと呼ばれて駆けつけた馬車の停留所で、泣きながら抱き合う母親と少女の姿、そしてその脇で倒れている女性の姿を目にした瞬間だった。


「馬車の積荷が崩れて女性が下敷きになった、と聞いていたが……この子のことか?」


 昏倒している栗色の髪の毛の女性に近づき、その顔を覗き込むと、成人前のようなあどけない表情で目を閉じていた。

 どこにも外傷は見られない。それどころか呼吸も安定している。詳しく診てみなければ最終判断は下せないが、どう見ても健康体だ。


「いや……それがな、旦那」


 不可解な表情を浮かべるジムに、困惑と興奮と驚きが入り混じった表情で周囲の者が口々に言葉を並べてくる。


「奇跡だったんだよ。それはもう……神秘的で、神々しくて……」

「女神様かと思った……いや、聖女様か?」

「この子の体からブワー!と光が出てきたかと思ったらよ、……治ったんだよ、うん」

「……はあ?」


 率直に言ってわけが分らない。

 更に眉をしかめるジムに対して、ようやく周りの様子が見えてきた件の母親が話しかけてきた。


「あの……お医者様。下敷きになったのは私なんです。積荷が上から崩れ落ちてくるのは見えたんですが……目が覚めたらこんな状態で」

「あなたが? 下敷きに? だが……」


 ジムは泣きじゃくる少女を腕に抱えたままの女性に目を向ける。

 こちらも同様だ。呼吸も安定している。手首を取り脈拍を測れば異常なし。

 興奮した様子の男たちの話を整理しながら聞くと、どうやらこの母親は、つい先ほどまで意識もない状態で呼吸も弱々しく、誰もが生存を諦めていたという。

 それが、今意識を失っている彼女が手をかざして何かをした途端、突然目を覚ましたという。


「……分かった。分からんが、分かった。……とにかく、一度診療所まで来てもらえないか? 彼女をこのままここに寝かしておくわけにもいかないだろう。――おぉい! 誰か手を貸してくれ!」


 ジムの呼びかけに、我も我もと手を挙げる男たちから何人かを選別し、彼らの手を借りて診療所に向かうこととなった。


 分からんとは言ったものの、ジムはある一つの可能性に辿り着いていた。

 瀕死の状態の人間を、手をかざすだけで健康体にしてしまう。そんなことができるのは「治癒魔法」だけだ。可能性というより、ほぼ確信に近かった。

「面倒なことになりそうだな……」

 



 その頃、アシュリーはひどく幸福な夢を見ていた。

 温かな木漏れ日のなか、王都の実家の庭で母とピクニックをしていた。摘んできた花で花冠を作り、母の頭の上に乗せた。アシュリーとお揃いの栗色の髪に白い花が映えてとても綺麗だった。母が嬉しそうに笑う。


 ――「とっても上手。よく頑張ったわね、私のお姫様」


 彼女にそんな記憶はなかった。母は常にベッドに横になっていたから。だからこれはきっと、心の奥底の願望が見せている夢でしかないのだと、浮上する意識の中でどこか冷めた自分自身がいた。


「おかあさま……」


 かすれた声が漏れた。ふわふわと夢と現実の間を彷徨っていたアシュリーは、自分自身の声で完全に目を覚ます。

 ツンと鼻をつく消毒液の匂いにまず気付き、それから、眼前にある見覚えのない真っ白な天井が目に入る。

 意識を手放すまでの記憶が曖昧過ぎて、まったく頭が働かない。

 ふと、枕元に何か置かれていることに気付く。頭だけを左側に動かすと、アシュリーが横になっているベッドの端に、ウサギのぬいぐるみがちょこんと座らされていた。まるでアシュリーを見守っているかのように。


「……アンちゃん?」


 そのぬいぐるみが呼び水となった。

 アシュリーの脳裏に意識を失う前の出来事が一気に甦る。おまじないを唱えた瞬間、自分の体を包む金色の光。身体中を巡った魔力の流れ。そして、泣きながら抱きしめ合う母娘の姿。


「良かった……」


 あの母親が助かって。

 あの少女が、いつかのわたしのようにならなくて。


 少しずつ体の感覚が戻ってきたようだ。手を頭上にかざし、握ったり開いたりしてみたあと、ゆっくりとベッドの上で上体を起こし、部屋全体を見渡した。


 どこかの病院に運び込まれたのだろうか。アシュリーのいた部屋は医療用の簡素なベッドが一台と椅子が一脚、サイドテーブルが一台置いてあるだけだが、それだけで空間に余裕がなくなるほど小さな部屋だった。

 窓の外に目を向けると、すでにどっぷりと日が暮れている。ポルカに着いたのは昼過ぎだったはずだ。一体全体、何時間眠っていたのだろうか。


 慌ててベッドから立ち上がろうと床に足を着いた瞬間、膝からカクンッと崩れ落ち、派手な音を立てながら豪快に転んでしまった。


「いったぁ……」


 恥ずかしいやら痛いやらで涙目になってくる。

 すると、扉の向こうからバタバタと足音が聞こえてきて、あ、と思った瞬間にはその扉は開かれ、白衣を着た男性が飛び込んできた。


「大丈夫か?」


 物音を聞きつけて慌てて駆けつけたのだろう、男性の赤茶色の前髪は乱れ、少し息が上がっていた。

 白衣を着ているということは医師なのだろうと推測できるが、上背のあるがっしりとした体型から、武人と言われても不思議ではない雰囲気だった。

 体調に異常があるのかと心配してくれている気配を感じ、アシュリーは途端に居た堪れなくなった。


「こ、転んでしまいまして……」


 床に無様にうずくまる彼女をみかねた男性は、黙って手を差し出してくれた。助けてもらいながらベッドに腰掛け、アシュリーはふうと一息つく。


「あの……私はなんでここに……。というかここ、どこでしょうか?」

「君が倒れた停車場から少し離れたところにある診療所だ。悪いがポルカにはこの診療所しかないんだ。意識をなくしていた君は、ここに運び込まれた」

「そう……ですか。あの、あの人は……あのお母さんは、無事ですか?」


 アシュリーの問いに一瞬片眉を上げた男性は、ふっと軽く微笑み、答えた。


「なんともないよ。念のため大きな病院で検査するようには伝えたが、まず問題ないだろう。ひとまず今日は帰ってもらった。あのおチビちゃんは最後まで君の側から離れようとしなかったから、引きはがすのが大変だったんだ」


 そう言って、男性は枕元に置かれたぬいぐるみに目を向け、やれやれと肩をすくめた。


「君が目を覚ますのをこのウサギに代わりに見ておいてもらうんだと、無理矢理置いて行った」


 乗合馬車で母親の後ろに恥ずかしそうに隠れていた少女を思い出し、アシュリーの頬は自然と緩んでいた。ああ、本当に良かったと、安堵の息をつく。


 アシュリーの様子を注意深く見守っていた男性は、一つ何かを決断すると、ベッド脇に一脚だけ置いてある椅子を引き寄せ座った。そして真っ直ぐにアシュリーを見据え尋ねる。


「――君が、治癒魔法を使ったのか?」


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