8 護りの腕輪 前編
入団してから数日、初めての丸一日休暇となる日の朝だ。
昨夜は2人での街歩きで更に距離が縮んだような気がするベティと、彼女の部屋で遅くまでお喋りをしていた。そのせいかいつもより瞼が重い。
とはいえ、ポルカで暮らしていた時からの習慣で、随分と早起きになっている。いつもよりは少し遅いが十分に朝と呼べる時間に目が覚めた。
外は快晴。春の穏やかな気候で太陽が輝いている。
一方で、わたしの心中は曇り空になっていた。
ベティが昨日、魔術学院での思い出を打ち明けてくれたことを思い出していたからだ。きっと、彼女にとっては辛く悲しい出来事だったはずだ。それでも包み隠さず話してくれた。こちらはまだ言えていないことがたくさんあるというのに。
それでも、落ち込んだところで今のわたしにできることはない。また言いつけを破ってベティに勝手に身の上話をしてしまえば、今度こそ大魔術師様にそっぽを向かれかねない。
気持ちを新たに身支度でも始めようとベッドから立ち上がると、聞きなれた窓を叩く音が聞こえた。ウィルからの手紙だ。
普段は夜に届く彼からの手紙が朝に届いている時点で、常ではない雰囲気を感じる。訝しみながら封を開けると、呼び出しの手紙だった。
「急で済まない。準備ができ次第、研究棟へ来てくれ。渡したいものがある」
ベティとやんちゃしてお叱りを受けた昨日の今日だ。一体どんな用件かと緊張しながら身支度と朝食を終え、足早に研究棟へと向かった。
研究棟は、魔術師団本部の東の外れにある2階建ての建物だ。戦闘に従事する部門が多い魔術師団の中でも異色の、魔術の研究に特化した魔術研究部の本拠地である。
新人研修で教えられたことを思い出しながら、その研究棟へと向かった。女子寮や本部棟からは離れた立地のため、気持ち良く散歩ができたところで目的地に到着した。
本部棟の重厚な雰囲気とは違い、赤茶色の煉瓦とアーチ状の窓が並ぶ研究棟の外観はどこか親しみやすく、ポルカの街並みを思い出した。建物全体を物珍し気に眺めていると、研究棟の正面玄関に人影が見えた。
ウィルだ。こちらに気付き扉を開けて手招きをするので、小走りに駆け寄る。
「おはようございます、ウィルさん。お待たせしてしまいましたか?」
「おはよう。朝からありがとう。……君を待っていたというより、めんどくさいやつの相手が面倒でちょっと外に出てただけ」
「めんどくさいやつ?」
ウィルのうんざりした表情に首を傾げつつ、研究棟の2階へと向かう彼の背を追い掛けた。
ウィルが足を止めたのは、2階の一番奥にある扉の前だった。個人に与えられた個室なのだろう。扉の札には「エリック・ノーサン」とある。聞き覚えのない名だ。少し開いたままの扉をノックもなしに無造作に開けると、ウィルはこの部屋の主に声をかけた。
「本人を呼んできたよ、エリック」
ウィルの背中越しにちらりと見えた部屋の中は、研究者の部屋に相応しく、信じられないほどの量の書籍に囲まれていた。その中央にあるデスクにうつ伏せになっている黒い塊が、ウィルのやや乱暴な扉の開いた音によって大きく動いた。と同時に、うめき声のようなものも聞こえてくる。
「おい、エリック。なんで寝てるんだよ。さっきまでビービー口うるさく喚いていたじゃないか」
「ウィルくん……頼むからちょっとだけ、ちょっとだけ寝かせて……」
黒い塊は、魔術師団のローブを頭から被って仮眠を取っていたこの部屋の主人、エリック・ノーサンその人だった。
無理やり彼からローブを引き剥がそうとするウィルに抵抗して、必死でローブの端を掴んで丸くなろうとしている。
「やめろ、やめろって……」
「あんたが本人連れて来いって言ったんだろ。ほら、起きて!」
エリックの抵抗に業を煮やしたウィルは、また丸くなろうとしている塊から一歩離れ、人差し指を突き出した。
「目覚ましに顔を洗ってあげるよ」
ウィルがそう言った瞬間、エリックの手から黒いローブがひとりでに飛び出していき、驚いて頭を上げた彼の顔面を丸い水の膜が覆った。
「ガボガボガボッ……!」
苦しそうなエリックの様子に焦って止めようとした瞬間、気付けば彼の顔を覆っていた水の膜はすでに消失しており、ウィルによってもたらされた暖かな温風が彼の濡れた髪を乾かしていた。
苦しそうな声を上げていたはずのエリックは、なぜか毒気を抜かれて穏やかな表情をしている。
「あー、なんかさっぱりしたなぁ。君に怒りを向けていたような気もするけど、これは帳消しになるねぇ」
「それはどうも。どうせ何日か体も拭いてなかったんでしょ。昨日からずっと臭かったんだよ」
「ごめんごめん」
軽い調子で謝罪の言葉を口にしたエリックは、目の前の男に溺死させられそうになったこともすっかり忘れ、人の良い笑顔を浮かべながら眼鏡を手に取った。
一度その眼鏡をかけようとするも、思いの外汚れていたのか一旦外すと、辺りをキョロキョロと見渡したのち、諦めたように自分の薄汚れたシャツの裾で無造作に拭き上げていた。
ウィルのエリックに対する扱いがぞんざい過ぎるような気もするけれど、修羅場ではなさそうだ。
2人のやり取りを呆気に取られて見守っていたわたしは、丸眼鏡をかけたエメラルドグリーンの瞳が静かにこちらを見つめていることに気付き、姿勢を正す。
「君が、アシュリー・スタンレー嬢だね? スタンレー伯爵の長子で、長年魔力の発現がないとされてきた幻の令嬢。そして、母親の実家は大昔に治癒魔法士を輩出したリッツ伯爵家。……なるほど、やはり治癒魔法の能力は家系で伝わっていくんだろうか」
唐突に家名と治癒魔法の能力を言い当てられ、思わずウィルに目を向ける。わたしの戸惑いの視線に気付くと、安心させるようにウィルは軽く頷いた。
「この人はエリック・ノーサン。魔道具開発の第一人者で君の安全対策について一緒に考えてもらっているから、もちろん君の事情も全部知っている。エリック、早く例のものを――」
「ところでアシュリー嬢、君は小さい頃だったけど覚えているかな? 『魔力封じ』はどんな風に発動するのかな? 私は一度も見たことがなくてね、なにしろアレは禁忌魔法――いたっ!」
研究者にありがちな純粋な探求欲を胸に目を輝かせながら目の前まで迫ってきたエリックは、ウィルの言葉を遮りながら突然質問攻めにしてきた。かと思えば、唐突に顔を歪め、ウィルの拳が突き刺さった腹を押さえながら上体を屈めた。
「ひ、ひどい……ウィルくん」
「ひどいのはあんただ。彼女の母親はそれで亡くなってんだぞ。配慮のはの字もないな」
「うわ、まさか君から『配慮』についてのご高説が聞けるとは驚きだ」
「……どうやら、今度は燃やされたいようだね」
「ひっ」
ウィルとエリックの気の置けない雰囲気に、すっかり呆気にとられてしまう。
ポルカでいつか聞いたウィルの言葉を思い出し、吹き出してしまう。ウィルたちは、思い出し笑いで頬が緩んでしまったわたしに気付くと、疑問を浮かべながら顔を向ける。
「以前言われていた『研究のためなら窓から飛び降りる奴もいる』というのは、エリックさんのことですか?」
「大正解」
2人はエリックが入団した10年前からの付き合いだそうだ。
魔力量も多く全ての属性を持つウィルは格好の実験材料であり、エリックは実験に協力してもらう見返りに様々な頼み事を聞くようになったらしい。
今回のわたしの安全対策もその一環だそう。
先ほどまでエリックが仮眠を取ろうとしていたデスクは様々な色形の魔石や書物、紙類が散乱した状態でとても整理整頓されていないようだったが、その荷物の中に埋もれてしまいそうなほど地味な品を「はい」と手渡された。
手の平の上に置かれたその腕輪を手に取り、じっくりと眺めてみる。
黒みがかった金属で作られており、細かな装飾とともに小さな魔石がいくつか埋め込まれていた。「つけてあげるよ」とウィルがわたしの手からその腕輪を預かると、左手首になんなくその腕輪は収まった。
「これは……?」
「護りの腕輪。物理的な攻撃や魔術による攻撃が君に向けられると自動的に結界を発現させるようにした。腕輪についている魔石に触れて、君の魔力を流して」
ウィルに言われるがまま、右手の人差し指で一つ一つ魔石に触れていき、魔力を流していく。小さな魔石に狙って魔力を付与する操作は、慣れていないわたしにとっては一苦労だ。
なんとか魔力を登録すると、すべての魔石が銀白色に変わった。
「さあ、実験だ」
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