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7 魔力の残滓



 「焦土にしちゃう」――確かにベティはそう言っていた。火魔法が得意だと以前言っていたことを思い出す。


 炎を纏わせたベティの様子に怯んだその男は、少しずつ後ずさっていき、ついには背中を見せて駆け出して行った。その後姿を「待ちなさい!」と追いかけるベティを見送る。

 

 かすかなうめき声を耳に届き、慌てて倒れこんでいる女性に注意を戻した。

 腹部の出血はきっとあの男の刺し傷だ。手早くハンカチを取り出し、右手で刺し傷の上から押さえていく。

 ……だめだ。白いレース地のハンカチがどんどんと赤黒く染まっていく。このままでは失血で死んでしまう。

 

「……ウィルさん、重ね重ね、ごめんなさい」

 

 そう一言、ここにはいない師匠兼お目付け役に詫びを入れ、体の中の魔力に意識を集中させる。

 全部はいらない。そう、さっき飲んだコーヒー一杯分くらいの魔力だ。

 周りの喧騒がどんどんと遠く離れていき、わたしの意識はコーヒー一杯分の魔力を右手に集中させることだけに振られた。

 目を閉じ、右手に集中する。

 せめて誰にも気づかれないように。すがるような思いで、右手を隠すように、倒れた女性の上に覆いかぶさる。

 

治癒(ヒール)

 

 ほんの小声でつぶやいた。

 その瞬間、右手に集まっていた温もりが離れていく感覚を得る。ほっと息をついた。

 ……うまくいっただろうか。

 いつかの時のように、魔力が延々と流れ出ていく感覚も、気が遠くなる感覚もない。ひとまず上体を起こし、女性の様子をうかがおうとした時、すぐ背後に人の気配を感じた。

 

「――アシュリー」

「ウィ……」

 

 呼びかけてきた耳に馴染んだ声に答えようと振り向こうとした瞬間、肩を掴まれる。

 一瞬の浮遊感ののち、気付けば周りの風景は一変して、建物と建物の間の路地裏に立っていたのだ。驚いて周囲を見渡せば、少し離れたところから人々が口々に騒いでいる声が聞こえてくる。

 

「君ってやつは本当に……」

「ひぇっ」

 

 空気すら凍り付きそうなほどの冷たい声音が聞こえてきて、思わず肩をすくめ縮こまってしまう。

 誰に連れて来られたのか、確認しなくても分かる。こんなに鮮やかに全く違う場所に連れて来られた経験は、彼しかいないのだから。

 

「なんでこうもトラブルの渦中に飛び込んでいくんだ。無断外出に飽き足らず危険な場に飛び込んでいくなんて……馬鹿なのか君はっ!」

「ご、ご、ごめんなさいいぃ!」

「しかも、また見ず知らずの人間を助けようと治癒魔法を使ったな」

「わぁ、よくお分かりで……」

「右手に魔力の残滓がある」

 

 そう言ってわたしの右手を取ったウィルは、べっとりついたままの女性の血を、洗浄の魔術で洗い流してくれた。御礼の言葉を伝えつつ顔をあげたところで、わたしはようやく正面から彼の様子をうかがえた。

 

「あれ……今日は髪の色を栗色にしているんですね」

「ああ、いつもの髪色は街中では目立つから変えてるんだ」

 

 ウィル・フリッツという偽名で行動している時は髪や瞳の色だけ変えているらしい。髪と瞳の色だけ変えたところで女の子たちには噂の的になっているようだから、結局目立っているような気もするけれど。

 

「話を逸らさない」

 

 ピシャリと冷たい目線を投げつけられ、ぐっと口を引きむすぶ。

 

「君から手紙を受け取って、僕がどれだけ街中を探したと思う? 教会の前で中に入っていく君たちをようやく見つけて、追いかけたらあの騒動になって、しかも君は犯人の男の前に飛び出していくし……彼女がいてくれて良かったよ」

 

 ベティを褒められて少し得意気な顔をしていると、また冷たい視線を感じ、慌てて神妙な表情に戻す。

 

「どうせ、あのベティとかいうお友達に誘われて遊びに来たんだろう」

「確かに誘われましたけど、最終的にはわたしが言いつけを破ったんです。ベティは悪くありません。……ギルバート様にわたしもベティも色々と言われて、『憂さ晴らし』というやつです」

「憂さ晴らしねえ……。色々って?」

「あの……実はギルバート様に素性がバレてしまって……『スタンレーの出来損ない』が魔術師団に入れる訳がないとか、裏で手を回したんだろ、とか」

「……出来損ない?」

「ポルカに行くまでは周囲からそのように呼ばれてたんです。まあ、実際貴族の娘なのに魔力のない状態でしたし、間違ってはないですよね。でも、その頃と今は事情が違うので、流石に今日は凹んでしまいました。……どうしました?」

 

 目に見えてウィルの雰囲気が剣呑としてきたことを感じ、思わず声をかける。

 なんでもないと首を振るが、明らかになんでもなくない。訝しげに見つめ続けていると、いったん口元に手を当て、はあと息をついたウィルは話題をそらすように言った。

 

「とにかく、ギルバートのことは放っておいていいよ。どちらにせよ、今日のように君が勝手に外出しても大丈夫なよう、安全策の実用化を急がせる。そうすれば、君の素性を隠す必要もなくなるからね」

 

 疲れたように頭を振ったウィルの様子に、今になって罪悪感が胸いっぱいに広がる。

 ただでさえ忙しい身の彼の時間を、訓練に割いてもらっている上に、今日は突発的に引っ掻き回してしまった。ベティのことで頭がいっぱいだったとはいえ、あまりにも思慮に欠けてしまっていた。

 

「勝手に外出して、ごめんなさい。忙しいウィルさんの時間をこんな形で奪ってしまって……」

「やってしまったことはもう良い。僕も君の行動力は分かっていたのに注意を向けてなかったんだから。……それより、」

 

 それまで冷たかったり不穏だったりしたウィルの纏う空気が一瞬で緩み、穏やかに笑みを浮かべた彼が、頭の上に手を乗せてきた。

 

「初めての実践にしては、上出来だよ」

 

 彼の言葉が、先ほどの教会での治癒魔法の発動を指していることに一拍開いてからようやく気付く。

 

「あの大怪我に対しては込める魔力量が少な過ぎたけど、治癒魔法が使われたことがバレない程度の治癒をしたっていうことなら良いと思う。実際、彼女は君のおかげで一命は取り止めたはずだ。よくがんばった」

 

 なかなか褒めてくれないウィルの言葉が、申し訳なさでいっぱいだった胸の内を一気に塗り替えていく。

 

 本当は怖かった。

 治癒魔法がうまく発動しなければあの人は死んでしまう。うまくいったとして、また前のようにわたしが失神してしまったらどうしよう。今は誰も助けてくれる人がいない、と。

 

 無我夢中で魔力を操作していた時は自覚していなかった恐れが今になってやってきて、安堵と一緒にないまぜになっていく。

 ……ウィルが居てくれて良かった。彼が側で見守っていてくれたら安心できる。気を抜いたら目尻から涙がこぼれ落ちそうになるわたしは、ただこくこくと頷くしかできなかった。



 

「アシュリー、探したよ! どこに行ってたの?」


 教会から出てきたベティを見つけて声をかけると、心配の色に満ちた表情でお叱りを受け、ひたすら謝罪を繰り返した。

 

 先ほどまで一緒に居たウィルは、魔術学院の卒業生でウィルフレッド・フィッツバーグを知る彼女と顔を合わせるのは避けた方が良いと言って、この場を離れてしまった。

 ただ、魔術師団の敷地内に入るまでは何かあってもすぐに動けるよう、距離を空けたままで見守ってくれるそうだ。

 

「ベティは怪我してない? あの追いかけていた人はナイフを持っていたでしょ?」

「あたしが怪我なんてしない、しない。ちょろっと燃やしてやったら腰抜かして降参しちゃったから、その場にいた人みんなで取り押さえたの」

「あの刺された人は……」

「大丈夫。すぐにお医者さん呼んでもらって診てもらったみたいだけど、かすり傷だったみたいよ。それにしては出血量が多すぎるって首を傾げていたけど」

 

 ベティの話にほっと安心して息をつく。わたしの一か八かの治癒魔法は上手く発動していたようだ。

 

 どうやらあの捕まった男が喚いていた内容から推察するに、男女間の痴情のもつれで先ほどの殺人未遂事件が起きたらしい。刺された女性が無事だったこと、犯人をすぐに捕まえられたことを2人で良かったねなどと呑気に話しながら帰路に着いたのだった。

 


 非日常な事件が無事に解決したことで安心しきっていたわたしは、現場に残したままのハンカチの存在を思い出すことはなかった。

 もちろん、そのハンカチに残してしまった魔力の残滓のことも。



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