3 ベティの助言
1つのことに集中すると、途端に周りが見えなくなる人種が世の中にはいる。
それすなわち、わたしのことだ。
午後から始まるウィルとの魔術訓練までに、なんとか課題を成功させたいという一心で集中していて、ベティの呼びかけに全く気付いていなかったのだ。
「おーい。なにしてるの? アシュリー」
突然、視界いっぱいにベティの顔が飛び込んできて、慌てて立ち上がる。その勢いが大きかったせいか、声をかけた彼女の方まで、体を大きくのけぞってしまった。
「びっくりした……!」
「もう! びっくりしたのはコッチだよ。どうしたの? 朝から難しい顔して自分の両手を睨みつけちゃって」
新人向け全体研修の3日目。今日は座学で魔術師団の創立からの歴史をおさらいする1日になるらしく、本部棟の2階にある講堂には、同期が数人ほど集まり始めていた。講義が始まるまでまだ時間に余裕があったので、これ幸いと魔力を移す課題に取り組んでいたのだ。相変わらず上手くいかないのだけど。
「魔力操作の課題をしてたの。右手に集めた後、左手へ移すのがどうしてもできなくて……」
空いていたわたしの隣の席に座ったベティは、うんうんと頷きながら答えた。
「魔力操作の訓練、懐かしい〜。本当に初期の初期ね。あたしが学院に入学して初めてやったやつだよ、それ」
「あはは……わたし、本当に本当に初心者なの。入団する前から教えてもらってるんだけど、全然先に進めなくて落ち込んじゃうよ……」
「ああ、そうだよね。魔力操作ができないと簡単な魔術も発動できないから、もどかしくなっちゃうよね。あたしもなかなかできなくて、苦労したんだ」
「そうなの?」
ベティがなんの気無しに言ってくれた言葉に、やけに励まされた。こんなに初歩的な部分でつまずくなんて、わたしぐらいかと思っていた。
「アシュリー、いいこと教えてあげる」
イタズラっぽく片目をつむったベティは、わたしの横で同じように両手を胸の前に出した。
「あたしも最初、魔力の流れが上手くイメージできなくてね。右手に魔力を集めたら、ほんのり暖かくなるでしょ? そしたら……」
わたしがベティの右手に注目していると、彼女は右手をギュッと力強く握り込んだ。
「集めた魔力を1回掴んじゃうの。で、一気に放出!」
次の瞬間、小さな光がパッと放たれ、左手に吸い込まれていくように見えた。
「すごい……! ベティ、すごいね!」
「いやあ……そんなに褒めなくても」
難しくないよ、アシュリーもすぐにできるよ、とベティがはにかみながら答えた。
早速試してみようと、わたしも手のひらに意識を集中させる。ベティの助言通り、右手に一旦集めた魔力をギュッと掴むと、左の手のひらを目掛けてボールを投げつけるような勢いで魔力を放出した。すると、ベティの時よりも大きく光り、無事に左手に暖かい感触が入ってきたのを感じた。成功だ。
「――できた!」
「やったね! 魔力量の調節はまだいるけど、1回できたらこっちのもんだよ」
「うん、ありがとうベティ。ベティのおかげで課題ができたよ」
午後からの訓練でもできたらいいな。早く見てもらいたい。
何日も壁にぶち当たって突破できなかった課題を達成できた高揚感でニヤついているわたしを眺めながら、独り言のようにベティが呟いた。
「それにしても、アシュリーってば魔力操作の訓練からやってるなんて、学院に通ってないの本当なんだね。――ねえ、もしかしてコレも知らない? 魔力を人から人へ渡すのに一番効率的な方法」
「効率的な方法……?」
「こ・こ」
ちゅ、と音が鳴りそうな仕草でベティの人差し指が差したのは、彼女の唇だった。
予想もつかない回答に、目を丸くする。
「知らなかった……! 人工呼吸的な感じなのかな」
「ふふふ。本当に一番魔力を回復させるのは男女の睦み合いって言うけどね」
「むっ……」
ベティの放った爆弾発言に絶句しているわたしを横目に、彼女はあっけらかんと言い放った。
「この国の最高神が男神と女神って、そういうことでしょう?」
色事に免疫のない人生を送ってきたのだ。どういう反応をすればいいのか分からず、あわあわと口を開け閉めする動作を繰り返していると、
「あらら。アシュリーってば、やっぱり箱入りお嬢様ね。顔真っ赤だよ?」
ベティの指摘に、思わず両手で頬を隠す。
「だ、だってベティがいきなり変なことを言うから……!」
「なんにも変なことじゃないよー。あたしはただアシュリーに教えてあげたかっただけだよー」
「絶対からかってるでしょっ」
今度は2人だけの世界でじゃれあっていて、近づいてくる人の気配に気づいていなかった。
わたしたちが二人で笑い合っていると、すぐ後ろで大きなため息をつく音が聞こえた。
「――学生気分が抜けない浮ついた奴がいると思ったら、お前かよ」
慌てて振り返ると、同じ魔術師団の制服を着て見習いバッジをつけている男性が一人立っていた。
艶のある灰色の髪をかき上げ、アイスブルーの瞳で眼光鋭くこちらを見下ろしてくる。纏う雰囲気にそこはかとない威圧感があるが、見た目だけから判断すると同期だろうか。
「ギル様」
ベティがその場に立ち上がると、その男性に一礼をした。
「学院から引き続き、魔術師団でもよろしくお願いしますね」
「ベティ、お前も相変わらず賑やかだな。ああ、それと、魔術師団に身分の貴賤はないからな。これからは同期としてよろしく頼む。敬称も敬語も不要だ」
「さすが、ギル様! ――あ、早速間違えた。これから徐々に直していきますね」
和やかにベティと言葉を交わしていると、次第に彼の眼光の鋭さが少し緩んだように見えた。すると今度は、ベティの隣に座るわたしに鋭い視線を向けた。慌ててその場に立ち上がる。
「あの、はじめまして。アシュリーと申します」
「ギルバートだ。……お前、見たことないな」
まるで尋問でも受けているのかのような気分になってしまう視線に、一気に身が縮みあがる。
うまく誤魔化せるだろうか。うん、自信がない。
「ギル様、彼女は家庭の事情で学院に通えていないんですって」
固まってしまっていたわたしを背後に隠すかのように彼との間に立つと、ベティが代わりに答えてくれた。
「なんだよ、事情って」
「えー、ここで聞いちゃいます? 衆人環視の元で?」
「――それもそうだな」
存外、ギルバートは素直な性分なのだろうか。ベティの指摘に納得したようで、すぐに引き下がった。すると、ちょうどよくそろそろ講義が始まる時間となったため、一言声をかけただけで彼は離れた席に向かって行った。
ほっと一息つき、ベティに向き直る。もしかして、さっきは庇ってくれたんだろうか。
「ありがとう、ベティ」
「いいよ。ギル様って、お貴族様の割には身分に拘らない公平な人なんだけど、自分に厳しく他人にも厳しい人なの。当たりがきついっていうか……」
「そうなんだ……あ、でも、ベティとは親しそうだったね」
「ああ、それは――」
わたしの素朴な疑問に、ベティは少し声を落として答えてくれた。
「あたし、1回ギル様をコテンパンにしたことがあるからさ。一目置かれてるってやつ?」
目を丸くするわたしに、ベティはふふっと意味深な笑みを浮かべた。
ベティ、一体何者なの。
わたしの率直な疑問は、案外早く答えが出ることになるのだった。




