20 覚醒した治癒魔法士は自由に生きたい
ひとつ瞬きをした次の瞬間には、団長室だったはずの風景は様変わりしていた。春の訪れを告げる小さな花々や木々が目に飛び込んできたかと思うと、暖かな日差しと少し冷たい風が耳の側を吹き抜けていく。
部屋の中にいたはずが、いつの間にか屋外に立っている。きょろきょろと辺りを見渡すと、すぐ背後は先ほどまでいた団長室のある本部棟だ。その裏手にある小さな中庭に転移したようだ。
相変わらずの鮮やかな魔法に魅せられて、アシュリーは自然と頬が緩んでしまう。
「君は、何を呑気にニヤニヤしているわけ?」
剣呑とした声が頭上から降ってくる。見上げると、物言いたげな青い瞳がアシュリーを見下ろしていた。
「な、ん、で、こ、こ、に? まさか、あの連中が無理矢理君を連れてきたの? ビル先生やサラさんは? ポルカに帰りたいんなら僕がなんとかするから、とにかく君はどこかに――」
「ウィルさん、待って。違うんです。私が自分で、王都に来たんです」
一気にまくし立てる勢いのウィルフレッドに、アシュリーは慌てて言葉をかぶせる。眉間にしわを寄せ、困惑したままの彼を落ち着かせるように、アシュリーはその青い瞳を真っ直ぐに見つめ、なるべくゆっくりと、言い聞かせるように言った。
「ずっと、母の命と引き換えに治癒魔法の力を封じられたのだから、母の遺言に従うのは当然だと思っていました。なのにポルカで衝動的に力を解放してしまって……それからは、母の遺言を守るのはどうすれば良いのかばかり考えていました。『自由に生きる』って、どうしたら良いんだろうって。……でも、そんなもの、全然自由ではなかった」
積荷に押し潰されたアンの母親の蒼白した顔や、大量の血を流し激痛に耐えるウィルフレッドの背中、そして新たな命を生むために長時間の陣痛にも笑顔を見せていたサラの手の温もりを思い出し、アシュリーは両手を胸の前で握り締めた。
「目の前で助けを求める人がいるなら、それに応えられるようになりたい。自分の力不足や知識不足で、大切な人に辛い思いをさせたくない。そのために、治癒魔法を使えるようになりたい。私が、私自身の自由な意志で、そう決めました」
アシュリーの言葉に、ウィルフレッドの放つ緊張感が次第に消失していき、両肩を掴む彼の手も緩んでいくのを感じた。
アシュリーはふっと目元を和らげ、目の前で猛烈に考えを巡らせている男に微笑みかける。
「ウィルさんが言ってくれたんじゃないですか。過ぎた力は学ばないといけない、魔術を学びたかったらおいで、と。ですから、私は貴方に言われた通り、魔術師団本部で『ウィルフレッド・フィッツバーグ』様を訪ねましたけど、女性からの問い合わせには一切答えられないと門前払いされたんですよ。事前に手紙も送ったのに、ウィルさんは全くお返事を返してくれないし……」
次第にウィルフレッドへの苦情が混じり始めたことに気付いたのか、彼はバツの悪そうな顔をして答えた。
「手紙の件は……ごめん。正直、王都に戻ってから忙しくて、自室の整理がほとんどできてなくて……その、今知った」
「まあ、そんなことだと思いました。侯爵様に拾っていただけて本当に良かったです」
「侯爵に?」
「ええ、今はバランティーニ侯爵家でお世話になっています」
魔術師団本部への訪問、侯爵との邂逅から始まるここ数日の顛末を簡単に話していると、次第にウィルフレッドの表情は不貞腐れたように歪み、最後は頭を抱えてその場に座り込んでしまった。
「完全に手のひらの上で転がされていた……あのクソジジイ。今頃、団長やアレクと一緒に僕のことを笑っているんだ、絶対そうだ」
「ウィルさん? 大丈夫です?」
ブツブツと呪詛のように何かを呟き始めたウィルフレッドに声をかける。
「知らなかったよ、なんにも」
先ほどまで落ち込んでいる様子を見せていたが、少し立ち直った様子でウィルフレッドが答えた。
「君はポルカにずっと居ると思っていたし、その方が君のためだと思っていた。ビル先生やサラさんは、君の出自や能力を知ったところで簡単に手のひらを返すような人達ではないし……」
「ええ、サラさん達にもきちんと全部お話しました。その上で、ずっとここに居ても良い、とも言ってもらいました。あのままポルカのバートン診療所で治癒魔法を使うことなく、普通の平民として生きていく道もあったかもしれませんけど」
少しばかり選ばなかった道のその先を想像して、アシュリーは緩く首を振った。
「でも、無理ですね。目の前に大怪我した人や大病の人が現れたとして、治癒魔法の力を使わずに我慢できるとは思えません。そうなれば遅かれ早かれ、国に見つかっていました。……それに、侯爵様も団長様も、既に私の情報は掴んでいらしたようですから、時間の問題でしたね」
王都に戻り、侯爵と会話をしたその時に、アシュリーは自分がいかに甘い考えを持っていたかを知った。ウィルフレッドに口止めをお願いしたとしても、国が本気になれば己の出自を暴くことなど造作のないことなのだと。結局結果は同じ、逃げることなどできなかったのかもしれない。それでも。
「君は自分で決めて、ここに来た。誰に指図されるでもなく」
心の内を見透かされているかのように、ウィルフレッドの澄んだ青の瞳がアシュリーを捉えていた。
「自分の生きる道を自分で決めたんだ。十分、『自由に生きている』って、言えるよ」
悩み続けて出した答えを、ウィルフレッドが全て肯定してくれたようで、アシュリーは一気に体が軽くなったのを感じた。安堵とともに笑みが溢れる。
ふと見上げると、ウィルフレッドの銀色の髪が日の光を反射して煌めいている様子に気付き、思わず声が漏れる。
「ウィルさんの髪は、本当は銀色なんですね」
アシュリーの瞳は、その煌めきに目を奪われていたため、一瞬、ウィルフレッドの表情が硬くなったことには気付かなかった。
「私も、ウィルさんみたいになれますか?」
「……は?」
「魔術で髪の色を変えられるなんて、すごい! 私も、ウィルさんのような銀髪になりたいです」
興奮のあまり勢いづいてしまったアシュリーの言葉に、ウィルフレッドはしばらく呆けたように言葉を失った。次第にその表情は緩み、端正な顔をくしゃりと歪めながら、声を上げて笑った。
「ははっ。……君と話していると、予想外過ぎて面白いよ、本当に」
「あの……髪の色を変える魔術は難しいのでしょうか?」
「まあ、努力次第じゃないかな?」
「頑張ります!」
およそ貴族令嬢がしそうにない仕草で、両の拳を握り締めると、アシュリーは元気よく返事をした。その仕草がまた彼女らしくもあり、ウィルフレッドは更に笑みを深める。
そろそろ団長室に戻ってやるか、と呟くと、ウィルフレッドはアシュリーの肩を優しく抱きよせた。
その次の瞬間には、中庭に人の気配はなくなり、ただ初春の風が木々の間を吹き抜けていくだけだった。
これにて完結です。
拙作を最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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活動報告に後書きという名のぼやきを載せています。
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最後にこれだけ。このお話の続きを鋭意執筆中です。完結したらまた推敲しながら更新していきますね。
それではまたどこかでお会いできることを願って。
【追記】
2023.10.29第二章スタートしました!




