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19 謀略の仕上げ


 額からたらりと流れ落ちた汗を手の甲で無造作に拭うと、ウィルフレッドは目の前で伸びてしまっている同僚たちに視線を落とした。つい気が乗ってしまい、ただの訓練だというのに半数程度を打ちのめしてしまった。死屍累々の光景の奥の方で、上官が顔を引きつらせている様子が見える。

 ウィルフレッドは、できる限り可愛らしく見えるように小さく舌を覗かせ、小首をかしげてみた。だが、どうやらあまり効果はないらしい。

 

「あーあ、これはまた派手にやりましたね、ウィル」

「アレク」

 

 訓練場の入口からアレクセイが顔を覗かせ、半分からかうような声音で声をかけてきた。肩をすくめて答える。

 

「僕と戦闘訓練したいって希望者がたくさんいてさ。面倒だから『せーのでおいでよ』って提案したら、ついつい楽しくなっちゃって……はは」

「だからといって、団員を無意味に戦闘不能にする必要はないでしょう」

「ああ、はいはい。治癒しとけばいいんでしょう?」

 

 アレクセイの苦言に、面倒くさそうにウィルフレッドが右手をかざすと、その手から金色の光の粒が溢れ、積み重なった団員たちに降り注いだ。

 

「ふむ。魔力出力が上がったのか? いや、魔力効率が改善されたのか? どちらにせよ治癒魔法が洗練されたな」

「さすがアレク! 分かる? かなり特訓したからね」

 

 率直に称賛の言葉をかけられ、ウィルフレッドは目を輝かせた。しばらく訓練場に篭って魔術を磨き続けた成果を認められたかのようで、胸を張って応える。その素直な反応にアレクセイは片眉を少し上げる。

 

「……ところで、春からの配置のことで団長から話があるそうです。今から団長室に来てくれますか」

 

 これから起きる謀略の仕上げに思い至り、ニヤついてしまいそうな頬を引き締める。そんなアレクセイの様子に、ウィルフレッドは全く気付いていないようで、突然の呼び出しにただ首を傾げるだけだった。



 

 魔術師団本部棟の最上階は、廊下に大きな窓がはめ込まれており、春の訪れを予感させる暖かな日差しが入り込んでいた。ポルカから戻ってからは訓練場にこもり続けていたので、その間にいつの間にか冬が終わろうとしている。

 

 最後にアシュリーを見たのは、まだ秋の終わりだった。ポルカのバートン診療所の病室で、泣き腫らした目で笑った彼女の姿が、脳裏で一瞬浮かんで、消えた。

 

「最近はきちんと仕事をしているらしいですね」

 

 一歩前を歩くアレクセイにふと話しかけられ、ウィルフレッドは現実に引き戻される。

 

「失礼だな。僕は元々真面目に仕事に取り組んでいるよ」

「市中の見回りも事務仕事もやるようになったと聞いています。賭博も女遊びもしていないそうですね」

「その気がなくなったんだ。くだらないことに時間を費やしても無駄だって」

「ようやく大人になったということかな。ずいぶん遅かったですね」

「うるせ」

 

 アレクセイは、口元をへの字に曲げ、すねたような表情を作るウィルフレッドにちらりと目を向けると、気付かれないほどかすかに口端を上げた。

 この国で魔術においてかなう者などいない男だ。だからこそ今まで、彼の無気力な勤務態度や、ただれた私生活を正すことができる者はいなかった。それが、たった一人の存在でこうも変わるのかと、感慨深いものがある。アレクセイは、彼の女性トラブルや任務放棄に悩まされてきた日々を懐かしく思い、今日訪れる予定の「聖女」に感謝を捧げるのだった。



 

「お、来たか」


 団長室に入室した二人を待っていたのは、応接椅子に腰掛けるジェイコブとバランティーニ侯爵だった。こちらを振り返りにやりと笑う老人に、ウィルフレッドは思わず苦虫を噛み潰した顔をする。

 

「そんなに嫌そうな顔をしないでくれるか、ウィル。一体何ヶ月ぶりに顔を合わせたと思っとる」

「……お元気そうでなによりです」

「お前もな。――例の鼠の件は聞いたな?」

「ああ、あなた方が僕を遠ざけてまで尻尾を捕まえようとしていた子爵を、結局僕が首根っこ捕まえて連れてきた鼠のおかげで処分できた話のことですか?」

 

 嫌味ったらしく言葉を連ねるウィルフレッドは、ジェイコブが咎めるように口を開けたり閉めたりしているのを横目に見つつ、更に続けた。

 

「この国で僕の命を奪えるものなんているわけがないんですよ。それなら最初から隠し立てなんてせずに、この僕に助力を乞うたらよろしかったのでは?」

「仲間はずれにして、悪かったな」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら侯爵が言った。

 ウィルフレッドは一瞬真顔になり、いやいやと首を横に振る。

 

「僕が言っているのはそういうことではなく――」

「お前の力は知っておるし、信頼もしておる。それでもな、我が子の命を狙う者がいれば、その存在すら教えたくはないのが親というものの性なのじゃ」

 

 ウィルフレッドは、その青い瞳を大きく見開き息を飲んだ。こんなにも率直に、父としての言葉を掛けられたのは初めてのことだった。胸の奥で、困惑と幾許かの気恥ずかしさが渦巻く。何も言葉を返せず、そっぽを向いた。

 そんな彼の様子に、ジェイコブはひっそりと頬を緩め、場の雰囲気を変えるように野太い声で発した。

 

「さあて。そんな誰よりも優秀なお前に、特別な任務を与える」

「……また、『特別任務』ですか」

 

 ウィルフレッドは警戒するように眉をしかめた。

 ポルカでの諜報部もどきの任務が記憶に新しいが、最近、ジェイコブやアレクセイに便利屋のように使われているような気になってくる。

 

「一体今度はなんです?」

「この春に入団予定の新人の指導係だ」

「はあ? なんで僕が……」

「お前にしかできないんだよ。なんせ、治癒魔法を教えられるのはお前だけだろう?」

「……今、なんて――」

 

 ジェイコブの言葉に、嫌な予感がウィルフレッドの身体中を駆け巡った。思わず拳を握り締める。嫌な汗が出てきた。

 治癒魔法を教える必要がある新人。治癒魔法の使い手がいるなどという話は聞いたことがない。()()を除いては。

 

「入ってくれ」

 

 ジェイコブが団長室の続き部屋の扉に向けて声をかけると、アレクセイが恭しく開けた扉から、一人の令嬢が姿を現した。

 ゆるく巻いた栗色の髪が彼女が歩くたびに儚げに揺れ、陶磁器のような白い肌に世界中の光を閉じ込めたような複雑な光を放つ瞳が瞬いていた。

 桜色の唇が弧を描き、安堵したようにふわりと微笑んだ瞬間、ポルカの町外れで魔術に目を輝かしていたアシュリーの笑顔と重なり、ウィルフレッドは言葉を失った。

 

「お久しぶりです、ウィルさん」

 

 自分の名を呼ぶ穏やかな声が耳に伝わり、思考を止めてしまったウィルフレッドの脳を激しく揺さぶる。右手で両目を覆い天を仰ぐと、深い深いため息をついた。

 

「あなた方に言いたいことはたくさんあるんですが……ひとまず、彼女と話があるので失礼します」

 

 一息にそれだけ発すると、ウィルフレッドは長い足を忙しなく動かし、アシュリーのすぐ側まで近付くと、展開についていけず目を瞬いている彼女の肩を抱き、その場から一瞬のうちに姿を消した。 

 2人分の転移魔法を鮮やかに披露された面々は、互いに目を合わせ、満足そうに頷き合う。

 

「作戦は大成功、だな」

 

 無造作に伸ばした無精髭に手を伸ばしながら、ニヤつくのを止められないジェイコブが言った。アレクセイは少し心配そうに腕を組み応える。

 

「アシュリー嬢が連れて行かれたのは想定外でしたけどね」

 

 侯爵は少し冷めてしまった紅茶を優雅にいただきながら、謀略の仕上がりに満足しつつ呟いた。

 

「まあ、仕方がない。わしらの前で愛の言葉なんぞ囁けんだろうからな」


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