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18 自由の答え

「自由に生きるって、どういうことだと思いますか?」


 冬の僅かな晴れ間が差し込むリビングで、ソファに腰掛けながら赤子に授乳していたサラの姿が、宗教画の女神のように神々しく見え、アシュリーは思わず問いかけていた。

 

 昼食後の後片付けを終え、先ほどまで同じソファに座り赤子の最近の様子や他愛ない会話をしていたかと思えば、突然抽象的な問いかけをされ、サラはしばし目をパチパチと瞬くと、ふっと息を吐くように笑った。

 

「なあに? アシュリー。突然ね」

「……ちょっと、気になっただけです。お母さんになったサラさんの答えを、聞いてみたかっただけ」

 

 気まずそうに目を逸らしたアシュリーは、取り繕うように言葉を続けた。

 彼女のその様子に、この問いかけが単なる思いつきなどではなく、彼女にとって何かしら重要なものであることを察したサラは、「そうね」とひとつ呟くと、必死に乳を吸い続ける赤子、ジョシュアに目を落とした。

 

「ジョシュアには、悔いのない人生を送ってほしいと思ってる」

「悔いのない……?」

「そう。そのためには、どんな道を歩いていくのかを自分自身で選択できないといけないとも思うの。どうやって生きていくかを自分で選択する。それが自由に生きるってことじゃない?」

 

 朗らかに笑うサラの表情が眩しく、アシュリーは思わず目を細めた。同時に、彼女の言葉が、深々と心の内に降り積もっていくかのように感じる。

 

「親の反対を押し切って、ビルと結婚したの。医者と結婚なんて苦労するって散々言われたし、確かに苦労もたくさんあった。でも私、今とっても幸せよ」

 

 今後はどうなるか分からないけど、と冗談まじりに呟くと、サラはジョシュアの授乳を終え、小さな背中を軽く叩きながらゲップを出させた。生まれたばかりの頃と比べ、随分と慣れた動作だ。

 

「もし……もしも、どうやって生きていきたいか分からない時は……どうしたらいいんでしょう」

「考え続けるしかないわねえ。そんなに簡単に答えが見つかるようなら、誰も悩んだりしないわ。……それに、案外、答えはもう出ていたりしてね」

 

 ジョシュアを抱え直すと、サラは空いた左腕を隣に座るアシュリーの背中に回し、ゆっくりとさすった。

 

「こうした方がいい、こうあるべきだと思っているのに、頭から消えない選択肢が他にあるなら、それがアシュリーの答えなのかもよ」


 

 

 慈しむように囁くサラの声が、今でも耳の奥に残っているような気がして、アシュリーは思わず口元を緩めた。鏡の中で彼女の髪を整えている女性もまた、同じように小さく笑う。

 

「あら、アシュリーお嬢様。何かいいことでもございましたか?」

 

 アシュリーの髪を嬉々として結っていた侍女のリリィが、機嫌よく話しかけてきた。鏡台の前に座らされてからかなり時間が経ったように感じるが、彼女の支度の手はまだ緩められそうにない。

 

「少し、思い出していたの。ポルカで過ごしていた頃のことよ」

 

 ポルカのバートン診療所を離れたのは、冬の盛りが過ぎ、そろそろ春の準備を始めようかという頃だった。診療所の常連の患者をはじめ、ポルカで顔なじみになった住民は、みな一様に別れを惜しんだ。悩み続けたアシュリーの姿を知るビルとサラだけは、全て吹っ切れて清々しい表情となった彼女の旅立ちを誰よりも喜び、応援してくれた。

 別れ際に、つらくなったらいつでも戻ってきていいんだよ、と言われた瞬間、アシュリーの涙腺は決壊してしまったのだが。

 懐かしい思い出にしばし浸った後、鏡越しにリリィの楽しそうな顔をうかがう。

 

「リリィ……あの時は、本当にごめんなさい。みんなにも心配をかけたわよね」

 

 ポルカでの日々を懐かしく愛おしく思うたびに、黙って王都の実家を出てきてしまったことへの罪悪感が持ち上がってくる。家を飛び出したその時には、自分自身のことしか考えられていなかった。残してきた弟のライアンをはじめ、リリィや他の使用人たちにも心配をかけたのだろうということは、王都に戻り、リリィと再会を果たした時、ようやく思い至ったのだ。

 

「ありがとう、ここに来てくれて。リリィ、あなたがいてくれているから心強いわ」

「まあ、お嬢様。とんでもございません。……侯爵様からお召しがあった時には、目の玉が飛び出るほど驚きましたけどね」

 

 このバランティーニ侯爵家で、久しぶりの再会を果たした時のリリィの驚愕の表情を思い出し、鏡ごしに笑い合った。

 

 つい、数日前のことだ。王都に着いたアシュリーがその足で向かったのは、ウィルフレッドがいるはずの魔術師団本部だった。事前に手紙を送ったというのに返事がなかったので不安には思っていたが、まさか門前払いされるとは思いもしなかった。その場でバランティーニ侯爵と出会えたのは、奇跡的な巡り合わせだ。あれよあれよという間に団長室まで連れて行かれ、その場で魔術師団への入団が決まった。

 

 家出した手前、実家には帰れないとぽろりとこぼしたアシュリーに、ならばと与えられたのは、バランティーニ侯爵家の客室だった。それに加えて、侯爵の粋な計らいにより、幼い頃からのお世話係であるリリィが実家の伯爵家から秘密裏に連れ出されたのだ。

 

「突然の侯爵家からの呼び出しで、しかも旦那様に知られないように、などと注釈がついておりましたもの。ぼっちゃまと使用人一同、ビクビクハラハラしながら私を送り出してくださいました。こちらに到着して、アシュリーお嬢様とお会いできた時は、本当に……本当に、心から安堵いたしました」

「私もよ、リリィ。侯爵様には本当に感謝しているわ。あなたと引き合わせていただいて、魔術師団への入団も整えてくださって……」

「ええ、本当に。……ですが、治癒魔法士はそれほど貴重な存在だということです。お嬢様は、もう少し威張り散らしてもよろしいかと思いますわ」

 

 まるで自分のことのように胸を張るリリィの様子に、アシュリーは吹き出してしまった。

 

「私の魔術はとんでもなく稚拙で、子供並みだと、ウィルフレッド様には言われたのよ」

「それはお嬢様、あの大魔術師ウィルフレッド・フィッツバーグ様に比べれば、この国の誰もが赤子同然ですよ!」

「確かにそうね。あの方の魔術は本当に素晴らしくて、美しかった」

 

 ポルカの町はずれで披露してくれた土魔法の蝶が飛び立つ様を思い出し、アシュリーは心が浮き立つのを感じた。ついに今日は、バランティーニ侯爵の謀略の仕上げ、魔術師団本部でウィルフレッドと再会することになっているのだ。

 

「……久しぶりにお会いできるのが楽しみだわ」

 

 小さく呟いたアシュリーの様子に、リリィは更に笑みを深めた。

 

 幼い頃に母を亡くし、実の父には関心を示されず、魔力のない落ちこぼれと貴族社会から蔑まれるアシュリーを、リリィはずっと見てきた。

 主が人知れず伯爵家から姿を消した時、来るべき時が来たのだと使用人の誰もが感じていた。もう二度と会えない。どのような形でもいい、幸せを掴んでもらいたい、と皆そう願っていた。

 それが今、こうして主の新たな挑戦を見届けることができ、その支度を整える大役を担えていることが、リリィは堪らなく誇らしかった。

 

「さあ、準備万端ですわ、アシュリーお嬢様」


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