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16 ウィルフレッドの選択


 彼は自由に生きたことなどなかった。この世に生を受けてからこのかた、強大な魔力という名の枷がウィルフレッドを縛ってきた。


 欲しくて授かったわけでもない魔力のせいで、両親のどちらとも違う髪色に生まれ、そのためにウィルフレッドの母は心を病んだ。

 強大な魔力をコントロールできずにいた幼子を持て余した彼の実家は、魔術師団に預けるという体で彼を厄介払いした。

 強すぎる力は周囲の恐怖心を煽った。ウィルフレッドが生きていくためには、常に国家に従順であり続けねばならなかった。国の脅威にはならない、有用な存在であると示し続けることで生きながらえた。それでもなお、いまだに命を狙われる。


 人生をざっと振り返ってみて、なんと不幸な男だろうとウィルフレッドは自嘲した。

 選択肢なんてあるのか、と尋ねた彼女を思い出す。それはこちらの台詞だ。選択肢など生まれてから一度もなかった。


 


 魔術師団本部の敷地内にある訓練棟の一室で、ウィルフレッドは最後の魔力を搾り切るように火炎砲を放った。

 全ての魔力攻撃を吸収するこの部屋は、彼の莫大な魔力量に裏打ちされた強力すぎる攻撃にも耐えられるよう、魔術師団の研究部門の団員が、日夜改良を重ねて完成させたものだ。

 全身の筋肉が弛緩していく感覚に抗うことなく、ウィルフレッドは荒い息をそのままに、倒れ込んだ。真っ白な天井を仰ぎ見る。


 訓練中に余計なことを考えていたことに思い至り、ほぞを噛んだ。まだだ。集中が足りていない。目を閉じ、息を整えていく。

 

「やあ、ウィル。最近君が自主的に訓練しているって聞いて半信半疑だったけど、本当のことだったんだねえ」


 やけに明るい声が響いたかと思うと、仰向けになっていた顔の上に影ができたことを感じ、薄く目を開ける。

 思った通り、声の主が満面の笑みを浮かべて、こちらを見下ろしていた。


「――また供も連れずにお散歩中ですか? 王太子殿下」

「よそよそしい態度はやめてくれよ、ウィル。さあ、久しぶりの2人きりなんだから、いつものようにエドって呼んでおくれ」


 魔力切れで意識が朦朧としている最中に、関わり合いになりたくない人物ナンバーワンがやってきてしまった。心底迷惑そうな顔を隠すことなく、ウィルフレッドは大きなため息をついた。

 この国の王太子、エドワード=フォン・チェリスにここまで不遜な態度をとって許されるのは、彼くらいのものだ。歳の近い彼らは幼い頃からの友人だった。


「それで? どういったご用件ですか?」

「ただの散歩に寄っただけ……と、言いたいところだけど。ブレア子爵の件に片がついたからね、そのお知らせとお礼。君がポルカで捕らえた鼠と、税徴収の不正の証拠で目処が立った。助かったよ」

「僕は噛みついてきた鼠を一匹捕まえて、牢屋に放り込んだだけだ。帳簿の不正はアレクの手柄だよ」


 ブレア子爵の名前が出て、得心する。

 バランティー二やジェイコブがウィルフレッドを王都から遠ざけてまで尻尾を掴もうとしていた子爵は、彼の命を狙っていたらしい。あっけなく返り討ちにあった刺客に計画を洗いざらい吐かせ、このたび逮捕にまで漕ぎ着けたというわけだ。

 

「そう。君が捕らえたのは、一匹ね」

 

 王太子の執務服のまま、訓練室の汚れた床に気にせず座り込むと、エドワードは意味深な視線をウィルフレッドに向けた。


「報告では複数人いたそうだけど、生捕りは一匹? 君らしくもない」


 あの程度の襲撃犯を、生捕りできずに殺してしまったことを暗に指摘され、ウィルフレッドは一瞬言葉に詰まる。


「失敗したんだよ、魔力操作。灰にする予定じゃなかった」

「魔力操作を失敗? 君が?」

「……予定にない負傷をした。そのせいで操作を誤っただけだ」

「はあ? 負傷? 君が?」

「おい、エド。言葉も顔も乱れているぞ」


 常に王子様然とした余裕の笑みを浮かべているエドワードが、信じられないものを見たかのように表情を崩した。その様子に苛立ちながら、ウィルフレッドはつい言葉を漏らす。


「――初めてだったんだよ。誰かを守りながら戦ったのは」


 脳裏に浮かんだのは、あの襲撃の時、恐怖と驚きで身をすくめていたアシュリーの姿だった。予定外の負傷は彼女をかばったものだ。だが、自分が負傷してしまったことで、あわや彼女まで命を落とす危険性があった。


 あれから、本当はもっと上手く防げたのではないかと、何度も考えた。そして考えるだけでは足りず、いつの間にか空いている時間にはこの訓練室にこもり、何度も戦闘のシミュレーションをした。魔力切れを起こしたのは今日が初めてのことではない。


「反撃が先か、避難誘導が先か、同時にするべきなのか。咄嗟に優先順位がつけられなかった。……僕の落ち度だ」


 あの日のことを思い出し、ウィルフレッドは知らず眉間に皺を寄せる。横にエドワードがいることなど、すっぽりと頭から抜け落ちていた。


「ふぅん? なるほどね。誰かを守る戦闘がしたいなら、私の近衛にでも入るかい?」

「はっ、ご冗談を。僕ほどの人材を近衛のようなお飾りの親衛隊に押し込めるのは愚策ですよ、殿下」

「くくっ。手厳しいな。君のそういう切れ味鋭いところ、大好きだよ」


 事実、エドワードは、この自信家で生意気な2歳年下の幼馴染を気に入っていた。生まれながらに持つ強大な魔力に翻弄されることなく、誰よりも真摯にその使い道を考え続ける彼に、エドワード自身の立場を重ねつつ、尊敬の念すら抱いている。

 だからこそ、彼の真意を直接確かめたくて、ここに来たのだ。


「『ポルカの聖女』の報告を聞いた」


 その一言で、一瞬にしてウィルフレッドの纏う雰囲気が変化した。ピンと張り詰めた糸を今にも引きちぎってしまうほどの圧を感じる。

 

「彼女は治癒魔法士ではない。それが君の判断、ということでいいのかな?」


 探るような視線を向けていると、ウィルフレッドがおもむろに上体を起こし、薄らと微笑みながら答えた。


「ええ、もちろん。あれはただの噂でした」


 凪いだ青の瞳には、何の感情も乗せていないように見えた。

 だが、エドワードはふんと鼻を鳴らすと、口端を上げた。


「何年君と付き合っていると思うんだ。馬鹿げた取り繕いはやめなさい。そうやって感情を消そうとしている時点で、隠す必要のある感情が存在することは明白だろう」


 やはりな、とエドワードは内心納得していた。彼自身の手駒から得ていた情報によれば、ポルカの聖女は間違いなく治癒魔法を使用していた。矛盾する報告がウィルフレッドから上がってきた時点で、こうして一対一で腹を割って話す必要があると直感が訴えていたのだ。

 しかしてこの様子を見るに、思っていた以上にこの男が翻弄されているようだ、と胸中のワクワク感を止められそうになかった。

 エドワードの心中を知ってか知らずか、ウィルフレッドはふいと目を逸らすと、是とも非とも答えなかった。


「……大した感情じゃない。同情、憐憫、共感……そんなところだよ」

「アシュリー・スタンレーの境遇に同情したってことかい?」

「……そう、かもね」


 ウィルフレッドは一旦口をつぐむと、不意に立ち上がった。すると次の瞬間には、エドワードの首筋には、氷で錬成された剣の切っ先が押し付けられていた。僅かな動揺を押し殺し、剣の持ち主に目を向ける。突き付けてきている当の本人は、錬成された剣すら凍るほどの冷たい眼差しで見下ろしてきた。


「彼女に手を出すなら、たとえ貴方でも容赦しない」


 次期国王である王太子を脅すなんていう所業は、後にも先にもこの男だけだろうと思うと、エドワードは心底愉快な心地になり、思わず笑みを深めた。その様子に怪訝な顔をしたウィルフレッドは、剣を一瞬にして蒸発させると、胡乱気に睨みつける。

 

「なんだよ」

「ウィル、それはもう……正解を教えてくれているような気がするんだが?」

「分かったところで貴方は何もできない。違うか?」

「違わないね。治癒魔法士1人と国の滅亡なんて、天秤にかける必要もない」


 君を敵に回したくない、そう微笑んだエドワードは、さっさと立ち上がり、いまだに警戒を緩めず睨み続ける幼馴染に背を向けた。


「人生の先輩として1つ教えてあげよう、ウィル。君の()()はもう、同情って言えるものじゃあないと思うよ」


 エドワードはお得意の王子スマイルとウィンクを投げつけると、ウィルフレッドからの反撃が来る前に、そそくさと部屋を出ていった。


 

 1人残されたウィルフレッドは、この国で2番目に尊い人物を脅しあげてしまった右の掌を見つめた。

 あの王子が彼女の素性を知っていると分かった瞬間、無意識のうちに剣の切っ先を当ててしまっていた。

 

 初めてだ。初めて国に逆らった。国が欲する治癒魔法士を匿おうとしている。これは明らかな反逆だ。

 ウィルフレッドは昂る精神を落ち着かせるように深く息を吐き、天を見上げた。

 

「アシュリー。僕は選んだよ、やりたいようにやった」



 バートン診療所の夫婦に嘘をつき続けるのが苦しいとこぼした彼女は分かっていないのだ。気絶した彼女を背負って戻ってきたウィルフレッドに、鬼の形相で掴みかかってきたビルや身重の体で彼女を必死で介抱していたサラが、どれほど彼女を慈しみ、大切にしているのかを。

 恐らく彼らなら、そのままのアシュリーを受け入れてくれる。ポルカで治癒魔法の力を隠したまま平穏に過ごすことこそ、彼女にとって最善の道だ。

 そして、それを守るのが僕の選択だ。

 ウィルフレッドは決意を固め、もう一度深く息を吐いた。


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