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15 新しいいのち


 ウィル改めウィルフレッドは、あの日以来診療所に現れなくなった。

 そして数日後、魔獣討伐が終了したという知らせがポルカの町中に伝わり、派遣されていた魔術師団は、全員が王都に戻っていった。


 アシュリーはどこかで理解していた。何度も自分に会いに診療所へやってきていた彼は、きっと「ポルカの聖女」と呼ばれていた彼女が、治癒魔法士なのかを確かめに来ていたのだと。真相が分かった以上、彼女の前に現れる必要がないということなのだろう。その考えに至ると、いつも胸の奥がつぶれるほどの苦しさを感じた。


 彼は、ポルカで起きたことを全て報告するのだろうか。それとも、あの病室で話した通り、何も言わずにいてくれるのだろうか。友人と呼んでくれた彼のことは信じている。いや、信じたい。そう、自分自身に言い聞かせるしかなかった。

 冬の足音が聞こえ始めた頃、隣国へ向かう乗合馬車の運行が再開した。




「赤ちゃんの足って、こんなに小さいんですね」

 

 手元でどんどん編みあがっていく小さな靴下に微笑みながら、アシュリーは言った。その隣で、ダイニングの椅子に腰かけたサラが、ゆったりとした動作で大きくなったお腹をなでる。


 夕食後の片付けが終わった後、生まれてくる子の靴下を編みながら、サラと話をする時間が、最近のアシュリーの日課となっていた。

 

「妹や弟たちの赤ちゃんの頃は覚えてないけど、去年、ご近所で赤ちゃんが生まれてね。もう本当に本当に、小さくて小さくて。可愛すぎて悶えちゃったわ」


 そんな可愛い子がここにも入っているなんてね、と冗談まじりにサラは笑った。


 もう間もなく、サラの出産予定日がやってくる。既にいつ生まれてもおかしくない。

 ここでの仕事は、隣国への乗合馬車が復活するまでという話だったが、サラの大きなお腹を見ていると放ってはおけなかった。加えて、ウィルフレッドとのやり取りが、アシュリーに二の足を踏ませていた。

 本当にこのまま、国を出てもよいのだろうか。

 決断を先延ばしにしたアシュリーは、ひとまずサラの出産が落ち着くまでは、ここに留まることを決めたのだ。

 

「アン、大丈夫?」

 

 靴下を編みながら、難しい顔をするアシュリーを見かねたサラは、ためらいながらも声をかけた。


「ウィルくんが来なくなってから、考え込むことが増えたみたいだから、私もビルも心配しているの。あの時、何かあったのかなって。気を失ったアンを抱えてウィルくんが戻ってきたとき、ビルったら事情も聞かずにウィルくんに飛びかかる勢いだったのよ」

「あ……あの時は本当に、ご心配をおかけして……」

「心配するのは当たり前よ。アンはもう私たちの家族の一員なんだから。ずっとここに居たっていいのよ、本当は」


 サラは優しく、包み込むように微笑んだ。目頭が熱くなると同時に、罪悪感に胸を痛める。


 結局、いまだにビルやサラに本当のことを打ち明けられずにいた。本当のことを言って彼らとの関係が変わってしまうのが恐かったし、これからどうやって生きていけば良いのか、答えがまだ出ていなかったのだ。


 母が死地に旅立った日から、いつか家を出て平民として自由に生きることだけを考えていた。それなのに、魔力の封印を解いてしまい、治癒魔法を2回も使ってしまった。

 ウィルフレッドの示したように、母の願いは能力を隠し続けることではなかったのかもしれない。子供の頃から進むべき道は1つだと信じきっていたのに、今は迷子になってしまっている。

 「自由に生きる」とはなんなのか。「私」はどうしたいのだろう。



「――そういえば、お茶を入れてなかったわね」

「あ、サラさん、私が入れますよ」

「いいのいいの。もう生まれてくるんだから、しっかり動かないと」

 

 サラが大きなお腹に手を添えながら、よっこらせと立ち上がろうとしたが、その動きは不自然に止まった。

 

「サラさん……?」

「……っ、お腹が……っ」

「サラさん!」

 

 普段は明るい調子でいるサラが、痛みに顔を歪ませている様子を見て、アシュリーは血相を変えて駆け寄った。

 その体をもう一度椅子に座らせて、声をかけながら、懸命に背中をさする。

 

「アン……、ビル、呼んできて……っ」

 

 痛みの波が少しおさまったのか、息を整えながらサラが言った。

 アシュリーは大きく頷くと、1階の診療所で仕事をしているビルを呼びに行くため、慌てて駆け出した。



 

 サラがお腹の痛みを訴えてから、矢のように時間が過ぎていった。

 ビルの指示で、夫婦の寝室にいつでもお産ができるように準備を整えると、アシュリーは、脂汗を浮かせながら痛みに耐えるサラの手をしかと握っていた。すでに夜はどっぷりと更けていた。

 司令塔であるビルはというと、お産に立ち会う予定の産婆が隣町まで出張していると聞き、慌てて迎えに行っているところだ。彼の見立てでは朝方まで産まれないだろうとのことだったが、出産の現場に立ち会った経験のないアシュリーからすると、産婆やビルがいない間に生まれてしまったらどうしよう、と絶賛混乱中だった。

 

「……アン、大丈夫よ。そんな不安そうな顔しないで」

 

 痛みと痛みの間のわずかな時間に、サラはアシュリーを安心させるように、握った手に力をこめた。

 

「ビルが帰ってくるまで、この子はちゃんと待ってる。賢い子よ、きっと」

「……はい」

 

 今、一番大変な思いをしている当事者になだめめられてしまい、アシュリーは自分の不甲斐なさに打ちのめされた。

 弱気の虫を追い払う勢いで、襲いくる痛みに必死に耐えるサラの腰を必死でさすった。


 痛みに耐えるサラの汗をタオルで拭き取りながら、もう何万回目かの自問自答が、頭の中でうずまいていた。目の前で痛みに苦しんでいる大切な人がいるのに、治癒魔法を使わなくていいのだろうか、と。そのたびに、過去2回の気を失ってしまった実績を思い出し踏みとどまっている。

 今、この診療所にはアシュリーとサラのみで、もしもアシュリーがまた魔力操作を失敗して気を失ってしまったら、サラはどうなるのか。アシュリーを介抱するのは当たり前に無理で、しかもその間に生まれてしまったら……そこまで思い至り、アシュリーは拳を握りしめた。力があっても使い方を知らない、なんて役立たずなのだろう、と。


「うう……っ」

「サラさん……っ」

 

 痛みに耐えるように背中を震わせたサラは、また荒い息を吐きながら喉の奥から搾り出すように声を漏らした。アシュリーは腰をさする手を更に強くする。目の前で苦しむサラの様子に、たまらず涙が込み上げてきてしまう。


 ごめんなさい、ごめんなさい。役に立てなくて、力になれなくて、ごめんなさい

 アシュリーは、心の中で何度も叫んだ。目の前のサラが、いつかの母の姿に重なって見えた。

 

「……アン。治癒魔法は、使わなくて、良いのよ」

「え……?」


 荒く息を吐きながら、サラが小さく呟いた。言われた言葉がすぐに理解できず、アシュリーの口からは気の抜けた声しか出ない。

 

「ビルから……言われてるの。もし、あなたが、治癒魔法を使おうとしたら……止めるようにって……、お産に、治癒魔法は、使っちゃいけないんだって……」

「なんで……どうして……」

 

 アシュリーは唇を震わせながら、ただ疑問の言葉を出すことしかできなかった。そんな彼女の様子を尻目に、サラは握った手に力を込め、ニコリと微笑んだ。

 その時だった。階下から、騒々しい足音と話し声が響いてきて、あっという間に部屋の外まで到着すると、ビルがドアを蹴破る勢いで入室してきたのだった。


「サラ! 待たせた!」


 肩で息をするビルの様子に、アシュリーは先ほどまでの混乱が、一気に落ち着くのを感じた。

 サラも同様に、枕元まで駆け寄ってきたビルの手を握ると、安心したように脱力した。やはり夫の不在は、彼女の心を知らず知らずのうちに緊張させていたようだった。

 

「はあー、やれやれ。ようやく着いた……。バートンさん、あなた、飛ばしすぎよ!」

 

 ビルの登場から一拍遅れて、産婆が既に疲れた様子で入室してきた。

 聞けば、ビルが手配した荷馬車の荷台に半ば急かされるように無理やり乗せられ、真夜中の農道を高速で運ばれてきたらしい。

 

「さて、奥さん。お腹の痛みはどう? 痛みと痛みの間隔は最初より短くなってきている?」

 

 産婆は慣れた様子でサラに近づくと、体勢を整えたりクッションを増やしたりしながら、テキパキと質問を投げかける。サラが答える前に痛みの波がきたようで、答えられずにいる様子を見てアシュリーが代わりに答えた。

 

「最初よりは、間隔が短くなっているように感じます。あと、破水はまだ……だと、思います」

「なるほど、ありがとう。ちょっと見せてね。――ああ、確かにまだだね。でも、破水したら一気に生まれると思うわ。さあ、奥さん。立ち上がって屈伸するわよ!」

 

 産婆の放った一声にその場にいる全員が目を剥いた。

 医師であるビルでさえ、知識として知ってはいるものの、目の前で痛みに悶絶する愛妻を無理やり立たせる産婆に抗議の声を上げていた。

 しかし、「お産の場で産婆に文句を言うようなら医師でも出ていきな」と痛烈な一言を浴びさせられ、ハラハラしながら、サラの屈伸運動を支えるしかなかった。


 アシュリーはというと、この場を完全に掌握した産婆の指示の下、大量のお湯や清潔なタオルを準備したりなどと、キビキビと体を動かした。そうでもしていないと、先ほどのサラの爆弾発言に、脳内がまた混乱してしまいそうだったのだ。


 何度目かの屈伸でサラは無事に破水し、そこから一気にお産は進んだ。

 ビルの見立てどおりだった。

 ポルカの街に朝日が差し込み始めた頃、バートン診療所の二階から、夜明けを告げる産声が高らかに鳴り響いた。



 

 カーテン越しに外の光が漏れ、薄っすらと差し込んでくる朝日が、サラと小さな命を照らしていた。

 一晩中痛みと戦い続けたサラは、随分と疲れ切った表情だったが、無事に生まれてきてくれた我が子に寄り添い、その可愛い仕草を見つめていた。

 アシュリーもまた、ベッド脇に腰掛け、平和そのものといったその光景を、穏やかな気持ちで眺めていた。

 

「ありがとう、アン。一晩中そばにいてくれて」

「そんな……。私は何にも力になれなくて……ごめんなさい」

 

 アシュリーはこの夜の自分の不甲斐なさを思い出し、俯いた。

 不安と焦りでうろたえ、お産の当事者であるサラにフォローされてしまった。力になるどころか、足を引っ張ってしまったのではないか、と一抹の不安がよぎる。

 きつく握りしめたアシュリーの手を、サラがそっと握る。

 

「謝らないで。ずっと腰をさすってくれて、ありがとう。手を握ってくれていて、ありがとう。本当は怖くてたまらなかったけど……あなたがずっと側で励ましてくれていたから、頑張れたの。……ありがとう」

 

 サラの言葉は、打ちのめされ、ペシャンコになっていたアシュリーの心を、真綿でくるむように、優しく包み込んでくれるようだった。

 アシュリーはそっと目元を拭う。これ以上フォローされてはいけない、と気持ちを切り替える。

 

「治癒魔法って、お産では使っちゃいけないんですね。……知りませんでした」

「私もビルに教えてもらっただけだけどね。赤ちゃんが母体から出てくる時、どうしても体内を傷付けながら進んでいくから、治癒魔法で癒してしまうと赤ちゃんの通り道が塞がっちゃうとか、なんとか」

「……そっか。この子も、頑張って頑張って、サラさんのお腹の中から出ようと、必死だったんですね」

 

 アシュリーは、サラの枕元でぎこちなく両腕を動かす、赤子の頬に触れた。確かに感じる温もりと、柔らかな感触に、思わず口元が綻ぶ。

 

「頑張ったね。よく生まれてきてくれたね」

 

 つい先ほど、産婆と協力しながら全身を洗ってあげた赤子は、一仕事を終えてほっとしたのか、泣くこともなく、サラの横でまどろんでいた。

 たまらなく可愛い。小さくて温かくて、確かに生きていると感じさせてくれる命の感触に、愛おしさが溢れてくる。

 

「――知っていたのよ、最初から。あの積荷の事故の時、あなたが治癒魔法を使ったこと」

 

 生まれたての赤子の頬を夢中で楽しんでいたアシュリーに、サラは遠慮がちに呼びかけた。

 

「知っていたけど……下手に刺激しない方が良いと思って、何も言わなかったの。あれでも、気を遣っていたのよ。成人前の明らかに平民じゃない女の子が、一人で国外に出ようとしていて、しかも治癒魔法を使えることを隠している……なんて、放っとけないでしょ。訳ありの少女を保護したつもりだったの」

 

 思わず、アシュリーの頬が引きつる。

 こうして客観的な事実を並べられると、いかに自分が世間知らずで無謀だったかを突きつけられた心地になる。

 

「時期を見計らって、然るべきところに相談して、引き取ってもらおうと思っていた。……でも、やめたわ。アン。あなたが望むなら、ずっとここにいて良いのよ。ただの、バートン診療所のアンとして」

 

 アシュリーは目を見張り、信じられない思いでサラの強い光を放つ瞳を見つめた。

 治癒魔法士と分かった上で、数ヶ月もの間、何も聞かずにおいてくれただけではなく、これからもここに居ていいのだと。ただのバートン診療所のアンとして。この言葉の持つ意味に思い至り、アシュリーは息を飲む。

 国が喉から手が出るほど欲している治癒魔法士を匿うのだ、という真意に。


「どうして……どうして、そんな……。私は嘘をついていて、ビル先生やサラさんを騙していたのに」


 アシュリーは、震える喉から搾り出すように呟いた。その言葉に、サラもバツの悪い顔をする。

 

「正直言うと、私たちだって最初は、わが身可愛さであなたを引き止めたみたいなものだしね。隠していたのはお互い様よ」

「でも――」

「それにね、アン。確かにあなたは、色んな嘘をついたのかもしれない。でも、あなたがここで過ごした時間は、嘘なんかじゃないのよ。あなたが私たちにくれた楽しい時間も、思いやりも、全部。嘘なんかじゃない。家族の一員だと思っているの、心から」

 

 この子のお姉ちゃんになってあげて、とサラは枕元でついに眠りに落ちてしまった小さな命に目を向けた。

 母の言葉に呼応するように、いつの間にかアシュリーの小指を小さな手が握り込んでいた。その温もりに、一度拭ったはずの目頭がじんわりと熱くなる。

 弱々しく縋るようなこの手を拒否するなんて、できはしない。アシュリーは小さく頷いた。


 

 コンコンと軽快なノック音のあと、産婆を見送ってきたビルが寝室に戻ってきた。


「さあさあ、レディ達。一晩中よく頑張ったな。とりあえず2人とも、寝るぞ!」

 

 会話が途切れた合間をはかったように入室してきたビルが、今までの会話を外で聞いていたのは明白だ。

 それに思い至ったアシュリーは、サラと目線を合わせ、こっそりと二人で笑い合う。


「アン、もうすぐサラのお母さんが手助けに来てくれるから、気にせず休めよ」

「はい、先生。――あの、」

「まあ、なんだ。大事な話はとりあえず休んでからにしよう。昨夜はありがとう。アンが居てくれて良かった。本当に助かった」

 

 ビルがアシュリーの肩を軽く叩いた。

 扉の外できっと聞いていたはずなのに、治癒魔法のことには何も触れず、ただ休めと気遣うビルの優しさを感じる。

 佇まいを直し、改めてビルとサラに向き合う。


「お二人に、きちんと話したいことがあります。少し休んだあとでいいので……聞いてくれますか?」


 二人は一瞬だけ互いに目を合わせたあと、にこやかに答えた。


「「もちろん」」


いつも読んでいただきありがとうございます。

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