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14 友人


 何かを隠し自分を遠ざけようとするウィルの様子が、どうしても気になってしまった。いてもたってもいられず、商店の入り口で別れてすぐ、アシュリーはウィルの後を追った。

 

 大通りには、すでに彼の姿はなかった。諦めようとしたその時、すぐそばの路地裏から何かが倒れる音と人の叫び声が小さく聞こえたのだ。

 一人で裏通りには入ってはいけない。ジムのお小言が脳裏をかすめたが、アシュリーの足は迷わずその路地裏に向かっていった。


 確かにそこにウィルはいた。

 だが、自分が現れたことで彼は怪我をしてしまった。苦痛に歪む彼の顔を目前にして混乱の境地に至ったアシュリーは、力を使うことに何のためらいもなかった。

 魔術師団員の前で治癒魔法を使えば、どんな結果になるかなど、一欠けらも思い浮かばなかった。ただ、目の前で苦しむこの人を助けたいと、そう思っていただけだった。



 

「あーあ、またやっちゃったな……」


 アシュリーはバートン診療所の病室のベッドで目を覚ました。回想を終え、開口一番、大きなため息をもらす。

 なんという既視感だ。数か月前、同じようにその場の勢いで力を使い、挙句に自分自身が昏倒してしまったというのに、また同じことをやらかすとは。ウィルの傷が塞がっていたのは、意識がなくなる前に確認できていたから良かった。おそらく無事なのだろう。


 窓の外に目を向けると、既に空は暗い。一体どの程度眠っていたのか分からないが、前回の時よりも体が重い気がしてしまい、起き上がることができずにいた。

 すると、コンコンとドアがノックされたかと思うと、病室のドアを開けてウィルが入ってきた。ばちりと目が合うと、ほっとしたように微笑まれた。


「アン。目、覚めたんだな。……良かった」

「ウィルさん、傷は……」

「目覚めて早々に他人の心配か? もう大丈夫だよ。痛みもない」


 言いながら、ウィルはベッド脇の丸椅子に腰掛ける。


「先生やサラさんを呼ぶ前に、少し、いいかな」


 困ったように眉を寄せて、ウィルは言った。


「巻き込んで、ごめんな」

「えっ?」


 治癒魔法のことを詰問されるだろうと覚悟を決めていたアシュリーは、頭を下げるウィルの言葉に、思わず驚きの声を上げた。


「一歩遅ければ、君は殺されていた。危険な目にも合わせたし、見たくもないようなものも見せた。……ごめんな」

「ま、待って! それは私のせいです! 私が勝手についていって、しかも私のせいで、ウィルさんに怪我をさせてしまって……」

「いや、僕のせいだ。あいつらは僕の命を狙っていた。君は巻き込まれただけだ。……初めてじゃないんだ、命を狙われるのは。僕の存在が許せない連中がいて、これまでも何度も殺されかけて……それこそ、子供の頃から」

 

 アシュリーは、淡々と言葉を紡ぐウィルの瞳が、何も映していないことに気付いた。深い深い湖の底を、ただ見つめているかのようなほの暗さだった。

 

 命を狙われ続ける。存在を否定され続ける。

 そんな日々が、どれほどの苦しみをこの人に与えてきたのか、アシュリーには想像も及ばなかった。ただ、彼が好き好んで話したいことではないことだけは分かった。


「ああ、そういえば初めてだったな」

 

 ウィルはふと顔を上げ、彼の話に、自分自身が傷ついたかのように顔を歪めるアシュリーを見つめた。


「誰かに『治癒』をしてもらったのは初めてだったよ。……ありがとう」


 ウィルはその長い睫毛を伏せ、噛みしめるように呟いた。

 じんわりと温かな熱が広がる。ウィルのお礼の言葉を、アシュリーもまた、噛みしめるように受け取った。

 すると、そのやり取りの余韻に浸る間もなく、ウィルがにこやかな笑みを浮かべ、口を開く。

 

「魔力操作が稚拙過ぎる」

「……へ?」

「君の治癒魔法、恐ろしいほどに非効率。あの程度の刺し傷1つに、大量の魔力をぶつけ過ぎだ。しかも、放出した魔力を自分で収めることもできずに、ダラダラダラダラと垂れ流して、挙句の果てに自分が昏倒するなんて、治癒魔法士としてあり得ない。はっきり言って、魔力が発現したばかりの子供と同レベルだ」

「うう……全くもって、その通り……です」


 しみじみと感謝の言葉が出てきた同じ口から、アシュリーへのダメ出しが噴出してきた。いたたまれなくなり、ベッドの中で小さく丸くなってしまう。

 

 本当に、彼の言うとおりだ。

 なにしろ、アシュリーは数か月前に封印されていた魔力を解放したばかりで、治癒魔法はおろか、基本的な魔力の使い方すら知らない子供と一緒なのだから。


「ああー……ごめん、言い過ぎた。つい」

 

 落ち込んでいるアシュリーの様子に罪悪感を刺激されたのか、ウィルはバツの悪そうに言い、そろそろビルやサラを呼んでこようと立ち上がった。

 

「ウィルさん。あの……聞かないんですか?」

 

 アシュリーは、思わずウィルを呼び止めていた。

 絶対に詮索されると思っていたのだ。魔術師団の団員が、目の前で稀少な治癒魔法を使った平民をそのままにしておくわけがないはずだ。

 ウィルは困ったように眉を寄せて、また枕元の椅子に座った。参ったな、と呟く。

 

「君が話したいなら聞くよ。言いたくないことなら、聞かない。君も僕に対して、そうしてくれたでしょう?」


 サンドイッチを食べながら、両親の話に顔を曇らせていた彼を思い出す。そういえば今日の昼間のことだ。もうずいぶんと時間が経ってしまったように感じた。

 

「私、たぶん……ずっと誰かに聞いてほしかったんだと、思います」


 治癒魔法を目の前で使った以上、ウィルにはもう全てを打ち明けるしかないと腹を括っていた。いや、むしろ、聞いてほしかったのだと言葉が零れ落ちていく様をどこか冷静に捉えている自分がいた。

 

「ここに来てから嘘をついてばかりで、本当のことを誰にも言えなくて、あんなに良くしてくれているビル先生やサラさんも騙していて……。本当はもう、嘘をつくのが嫌なの。でも、そうしないと――」


 王都に連れ戻されてしまう。

 自由に生きられなくなる。

 お母様を裏切ってしまう。


 心がぐしゃぐしゃに乱れて言葉にならず、アシュリーはいったん口を閉じた。その代わりというかのように、瞳から大粒の涙があふれ出してきた。


「――お母様は、私のせいで死にました」


 震える声でアシュリーは絞り出した。

 ウィルがはっと息を飲む音が聞こえてきた。


「6歳の頃です。もともと、体が弱い人で、弟が生まれてからはずっとベッドの上で過ごしていて……。私は毎日、母が早く元気になるようにお祈りしていました」

 

 そしてあの日、魔力が発現した。

 その時は母の熱も下がり、このまま自分の治癒魔法を毎日かけていれば母の体は良くなる。幼いアシュリーは期待に胸を膨らませていた。


「治癒魔法が使えると分かった時に私は喜びました。……でも、母は違いました。この力を人前では使ってはいけないと、強く言われたのです。その当時は理解できませんでした。この力を使えば、お母様を元気にすることだってできるのに、と。でも、成長するにつれて母の危惧も理解できるようになって……治癒魔法士は国に囲い込まれ、その力を国家のために尽くすことを強要される。自由に国外に出ることも許されない」


 そうですよね?と目線だけでウィルに尋ねると、アシュリーの言葉に何も反論せずただ頷いた。


「母は、私の魔力が発現しないように封じました。魔力のない貴族がどのように扱われるかを知った上で、あの家を出て、平民として、自由に生きられるようにと願って。……私の魔力を封じるために、母は魔力を使い切って、そのまま……。それなのに、私は……」


 魔力を解放してしまった。

 数か月前の積み荷の事故を思い出す。アンという少女をかばって、あの子の母親は死にかけていた。その様子が、アシュリー自身の過去と重なってしまった。見て見ぬふりをするなど、考えられなかった。


「治癒魔法を人前では使ってはいけない、という母の言葉に背いてしまった私は、あとは、『自由に生きる』という母の言葉を、絶対に、絶対に、守らないといけないんです。でも、自由に生きるためには、この力を誰にも言えないし、名前も出自も何もかも、嘘をつきながら生きていかないといけなくて……私もう、ビル先生やサラさんに嘘をつきたくないのに――」


 この数か月、誰にも言えずに抱えていた思いが激流のように流れ出し、アシュリーはその流れに飲み込まれてしまった。言葉を絞り出しながらも、一体どこに向かえばいいのかも分からず、ただ袋小路で途方に暮れるアシュリーの瞳からは、とめどなく雫が流れ落ちていく。


「君は、どうしたいの?」


 ふいに投げかけられたウィルの言葉をすぐには理解できず、ただ見つめ返すと、彼は迷いを含んだ表情で言葉を続けた。


「君の母上が本当に能力を隠したまま平民として生きることを望んでいたのなら、君に魔力を解放する呪文を教えなかったと思うんだ」


 ウィルの言葉に流れ続けていたアシュリーの涙はせき止められた。

 アシュリーの脳内を母の記憶がぐるぐると回り始める。頑なに刷り込まれていた能力を隠さないといけないという決意は、もしかして思い違いだったんだろうか。長年アシュリーの根幹を支えていた前提がぐらぐらと揺れ始めた。


「もしも君がその能力をきちんと使えるようになりたいと思うのなら、魔術師団においで。僕が君に魔術を教えてあげる」

「……私に選択肢なんて、あるんですか?」


 我ながら意地の悪い質問だとアシュリーは思った。彼を困らせたいわけではない。ただ、能力を明かしてしまった今となっては、自由に生きようと思ってももう無理なのだということに気付いてしまったのだ。

 アシュリーの投げかけに、ウィルはふっと口元を緩めながら言った。

 

「もし君がこのまま能力を隠して生きていきたいと思うのなら、そうすればいい」

「そうすればって……そんなの無理――」

「僕が守る。君の秘密は僕が守る」

「ウィルさん……何を言ってるんですか」

「僕は性格悪いって専らの評判だけど、()()を売るような卑怯な真似はしないんだ」

 

 ウィルの言葉に、アシュリーは今度こそ息が止まりそうになった。


「友人、に、なってくれるんですか?」

「アン、改めて確認とかやめてくれよ」

 

 そっぽを向いた彼の耳元が少し赤く見えて、アシュリーは思わず忍び笑う。

 

「アシュリー、です。私の名前。アシュリー・スタンレーと申します」

 

 ベッドに横たわったままの自己紹介で格好はつかないが、もう彼に偽りの名前を呼ばれるのは嫌だと思った。本当の名前を呼んでほしいと。

 ウィルは彼女の言葉に息を飲み、口元だけで彼女の家名をつぶやいた。


「訳あって、家出をしております」

「――まあ、僕も似たようなものかな」

 

 アシュリーの言葉に、ウィルがいたずらっぽく笑い、もう一度立ち上がった。


「アシュリー。魔術師団本部に来るときは、ウィルフレッド・フィッツバーグを訪ねてくればいい」


 それが彼の本当の名前だと暗に教えてくれたことに気付き、アシュリーは花が綻ぶように笑った。

 生涯で初めて、誰にも打ち明けてこなかった秘密を共有してくれる()()ができたのだ。


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