12 ウィルとアン
魔力のない貴族の娘だったアシュリーには、親しい友人などいなかった。だから今日のように、友人とピクニックをして、楽しい時間を過ごしたことなどなかった。
少しはしゃぎすぎたのかもしれない。ウィルが次から次へと繰り出す魔術の数々に、そのたびに驚き、目を丸くしていたので、ついには彼から「いつか目が飛び出てきそうだ」などと、からかわれるほどだった。
とはいえ、火魔法で草原の一部に火をつけたかと思うと、水魔法で土砂降りのような雨を降らせて鎮火させ、仕上げとばかりに風魔法で突風と小規模な竜巻を起こされたのだから、アシュリーの驚き具合も当然とも言える。
彼女にとっては、惜しげもなく魔術を見せてくれる初めての相手がウィルだったため、比較対象がいないので、彼がどれほどのことをしているのか正確には分からない。それでも、様々な属性魔法をいとも簡単に操っているあたり、優秀な魔術師であることは窺えた。
感嘆の声とともに尊敬の眼差しを向けると、彼は少し照れ臭そうに、それでも誇らしげに笑った。魔術が好きなのだと、その様子だけで十分に伝わってきて、アシュリーは少しばかり羨ましくなってしまった。
「じゃあこれ、君が全部作ったの? すごいね。どれも美味しいよ」
土魔法で生成されたベンチに腰掛け、アシュリーが作った彩り豊かなサンドイッチを一口頬張ると、今度はウィルの方が目を丸くして言った。
「ありがとうございます。簡単なものしか用意できませんでしたけど」
「十分だよ。随分と料理の腕があるんだね。もともと実家の家事も君がやっていたの? あの診療所に来る前から?」
彼には詳しい出自などを明かしてはおらず、診療所で働き始めたのは、夏頃からとしか言っていない。
どう答えたものかと一瞬悩んだのち、アシュリーは口を開いた。
「――私の家は普通の平民の家庭ですので。小さい頃から家のことはしていましたし、母が早くに亡くなったので、料理は大体できるようになったんです」
「ふぅん……? 普通の平民、ねえ。お父さんは、何の仕事をしているの?」
「えっ」
まずい、考えていなかった。
アシュリーは内心で焦りながら、頭をフル回転にして考える。
思えば、ジムもサラも、ほとんど自分の両親のことや実家のことを質問しなかったものだと、今更ながら思い至る。
父親の本当の仕事は王宮の官僚だ。だがそれをそのまま言ったところで、普通の平民ではないことがバレてしまう。
「普通の……事務仕事、みたいな」
「普通の事務仕事、ねえ」
絞り出した答えをウィルにそのまま復唱され、アシュリーはうぐっと変な声が出そうになる。明らかに怪しい答えなのは、言った本人が誰よりも分かっている。
「――そういえば、診療所のマダムたちも不思議がっていたけど、なんで君はわざわざこんな国外れの小さな町に来たの? 父親と喧嘩でもした?」
父親と喧嘩。当たらずとも遠からずだと思いつつ、アシュリーは答えた。
「……本当は、隣国に行く予定だったんです」
「はっ? 隣国へ?」
「隣国に親戚がいて……しばらくそちらで厄介になろうと思っていたんです。でも、この魔獣騒ぎが原因で隣国への道が封鎖されてしまって。途方に暮れていたところにサラさんが声をかけてくれたんです。隣国に行けるようになるまで、家のこととか診療所のこととか手伝ってほしいって。あの時は本当に、助かりました」
積荷の事故で封じていた魔力を解放してしまい、自分でも混乱していたところにあの封鎖の知らせを受け、どれほど途方に暮れていたか。あの時のサラとのやり取りを思い出し、アシュリーは心の内が温かくなるのを感じた。
ふと隣に目を向けると、ウィルは今までにないほど難しい顔をしていた。どうしたのかと首を傾げつつ、自作のサンドイッチに手を伸ばす。
「――ウィルさんは、魔力があると分かった時……どう思いました?」
これ以上こちらの話を詮索されないよう、ウィルに話題を振ってみる。
「やっぱり、怖かったです? それとも、ワクワクしました?」
つい数か月前のアシュリー自身を思い出す。無我夢中で抑え込まれていた魔力を解放したものの、扱い方も分からず、ただその奔流に飲まれて気を失った。思い返してみても、大きな力にただ翻弄されるだけで、とてもじゃないがワクワクするなんてことはできなかったが。
「覚えてないんだ。物心ついた頃からもう魔力は発現していて……魔術もある程度は使えるようになっていたからね。まあ、周囲は大変だったみたいだけど。癇癪起こすたびに周りを燃やしまくる幼児、想像するだけで恐ろしくない?」
おどけたように答えたウィルの表情が、どこか寂しそうな気がして、一緒に笑うことができなかった。
アシュリーはただ首を横に振り、「恐ろしくなんてないです」と静かに答えた。きっと、誰よりもウィル自身がそう思っているような気がしたからだ。
「『過ぎた力は学ばないといけない。使い方も、使い道も』」
唐突にこぼしたウィルの言葉に、伏せていた目線を上げる。
「僕に魔術を教えてくれた人が、いつも言っていたんだ。魔力をもって生まれた以上、この力を使いこなせるようにならないと、たくさんの人を傷つけてしまうからさ。単純に魔術を使うのは爽快で好きなんだけど、いつもこの言葉を忘れないようにしてる」
そう語ったウィルは、ここではないどこかへ思いを馳せているまなざしを浮かべていた。その穏やかで柔和な表情に、普段のとってつけたような微笑の欠片も含まれていないことに気付く。
ウィルの魔術への真摯な思いが垣間見え、アシュリーは居心地の悪さを感じた。
治癒魔法の力を解放してもなお、それに向き合おうとしない自分自身の身勝手さを見せつけられているような気がしたのだ。
この話題から逃れるように、アシュリーは口を開いた。
「――そういえば、ウィルさんのご両親は、何をされている方なんですか?」
つい先ほどまで話題に上がっていた父の仕事のことを思い出し、ウィルにも質問を返してみようと何気なく尋ねた。
すると、穏やかだった彼の表情が一瞬だけピタリと止まり、瞬きひとつ後には普段の彼に戻っていた。
アシュリーが少しの違和感を抱いたところで、ウィルは口元に微笑を乗せて答えた。
「普通の、事務仕事かなあ」
つい先刻のアシュリー自身の答えと同様のものが返ってきた。どうやらこの話題は、彼にとっても地雷のようだったらしい。
口元は笑っていても、目が笑っていないことはすぐにわかった。先ほどの魔術の話をしている時とは大違いだ。
「――じゃあ、私の父と一緒なんですね」
触れられたくないことにわざわざ触れる必要などない。
適当に話を合わせ、目の前のサンドイッチの二口目にかぶりつく。
「君はさ――」
途中で言葉を飲み込んだウィルに目をやり、咀嚼しながら続きを促す。
「……いや、なんでもない」
それだけ呟いたウィルは、アシュリーと同じように目の前のサンドイッチにかぶりつき、二個目、三個目と手を伸ばしていった。
魔術師団の団員は主に貴族が中心だが、魔力のある優秀な平民も所属していると聞いたことがある。ウィルの話し方や町の人たちへの接し方から考えると、おそらく貴族ではなく平民なのではないかとアシュリーは予測していた。そうでなければ、診療所のマダムたちの話し相手にはならないだろう、と。
王都からきた魔術師で、おそらく平民。魔術師としての腕はかなり高く、魔術が好きで真摯に向き合っている。
アシュリーが知っているウィルの情報はあまりにも少なすぎたが、もはや彼女が彼に対して警戒心を抱くことは無くなっていた。普段の張り付けたような微笑みを浮かべるウィルよりも、今日、魔術を楽しそうに見せてくれた彼や真摯に語ってくれた彼の方が、信頼できる。
ウィルがアシュリーの前に突然現れたあの日には、まさか二人並んでサンドイッチを食べながら他愛のない話ができるようになるなどと、思いもよらなかった。
アシュリーは、思わぬ形でできたこの縁を、できることなら友情と呼びたいと、そっと心の中で祈った。嘘ばかり伝えている自分には許されることではないと分かってはいても。
最後に食べた卵サンドは塩が効きすぎていたのか、少し塩辛く感じた。
夕暮れの足音が静かに近付いていた。
ポルカの町の大通りへと向かう石畳の道の上に、2人分の影が伸びる。
「あの夫婦は人使いが荒くないかなあ」
ブツブツと文句を垂れ流しながらも、ウィルはアシュリーの代わりに買い物籠を持って歩いていた。
アシュリーがその隣で、苦笑しながら答える。
「すみません、ウィルさん。私一人で大丈夫って言ったんですけど……」
ウィルがアシュリーを診療所に送り届けたのはつい先ほどだった。
サラは2人の姿を目にするや否や、大通りの商店へのお遣いをお願いしてきたのだ。もう夕方で帰りが暗くなってはいけない、ウィルも一緒に行くように、と。
「まあ、サラさんからの援護射撃だとは思うけど……」
「援護?」
アシュリーは隣を歩くウィルを見上げた。アシュリーよりも頭一つ分は高い彼の栗色の髪が、夕焼けに染まりつつある空を背景に揺れていた。
ウィルはアシュリーの疑問の声に、少し笑みを浮かべながらただ軽く首を振っただけだった。
目当ての商店の正面に着くと、不意にウィルに名前を呼ばれ、振り向く。
「――ごめん、アン。ちょっと、用事を思い出した。すぐに終わらせてくるからさ、買い物終わったら、この店の前で待っていて」
何でもないかのように軽い調子でウィルは言い、はい、と買い物籠をアシュリーに手渡した。
目の前に差し出されたそれを半ば無意識に受け取ると、アシュリーはもう一度ウィルを見上げた。その表情からは何の感情も読み取れない。アシュリーの胸中に何やら不穏な予感が去来した。
「待って」
踵を返し、この場を去ろうとするウィルを、思わず呼び止めていた。
「あの……晩ごはん、ウチで食べて帰ってください」
アシュリーの突然の言葉に、ウィルは目を丸くして、ポカンと口を開けた。
その反応を見ながら、アシュリーはどんな言葉を続ければいいのか自分でもよく分からず、支離滅裂になりながらも続けた。
「約束。約束、ですからね。絶対に、絶対に、勝手に帰らないでくださいね。ちゃんと迎えに来てくださいね。約束ですよ」
必死に言い募るアシュリーに、ウィルはたまらず吹き出した。
どこまでも察しのいい彼女にある種の敬意を抱きながら、右手で拳をつくり、左胸に当てる。
「うん、分かった。約束ね」




