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10 王都の魔術師


 そろそろ彼が現れる時間だろうか。

 アシュリーは診療所の待合室にかかる時計に目をやった。時計の針は、ちょうど診療所にやってくる患者の波が落ち着く、正午前の時間を指していた。そのタイミングを狙ったように、彼はいつもやってくるのだ。


「こんにちはー!」


 診療所の入り口の扉が勢い良く開かれ、明るい声がそこまで広くない待合室に響いた。病気や怪我をした人が集まる場にはそぐわない底抜けに明るい声だ。だが、そんな彼の様子に眉をしかめるような患者はここにはいない。

 待合室に現れた彼を囲むように、一斉に今日来ていた常連の老婦人数名がワッと集まってくる。


「ウィルくん! 今日は遅かったわねぇ」

「もう今日は来ないのかな、と思ってたのよ」

「レディ達、ごめんね。僕のことを待っててくれたの?」


 あっという間にマダム達に囲まれたウィルは、老若男女を虜にするのだと彼女たちが熱弁する朗らかな笑顔を浮かべて、甘い声でその声援に応えていた。


「あらやだ! ウィルくんったら!」

「レディだなんて、そんな……!」

 

 おほほほほ、とウィルの軽口に乗っかるように、普段よりも上品な所作で常連のマダム達が笑い合う。

 そんな和やかな様子に、思わずアシュリーはクスリと軽く笑みをこぼしてしまう。いつもは自分が聞き役にまわり、彼女達の話を聞くことが多いが、この最近はそのお役目を彼に取られてしまっているのだ。


 ふと視線に気付き目を上げると、ウィルがこちらを見ていたことに気付き、受付カウンターで書類の整理をしていた手を止める。互いに目を合わせ、にこりと微笑み合う。


「こんにちは、ウィルさん。今日はどうされました?」

「もちろん、会いに来たんだよ、君に」


 毎日診療所に訪れる患者全員へかける言葉で話しかけると、ウィルからいつものように返されてしまい、アシュリーはいつものように返答に困り、眉を下げる。


「あの……いつもお伝えしているように、ここは病気や怪我をした方が来る場所なんですよ?」

「まあまあ、アンちゃん。ウィルくんはこうして私たちの相手をしてくれているんだし、待合室にいるぐらいには良いでしょう?」

「そうですかね……?」

「それにそろそろ――」

「アンー。受付ご苦労様。そろそろ代わるわ」


 ウィルに常連のマダム達が助け舟を出しているところで、背後からサラに声をかけられ、慌てて振り向く。


「あ、もう交代の時間でしたね。じゃあ私、お買い物に行ってきます」

「ええ、ありがとう」


 受付カウンターまで来たサラに、作成途中の書類を整理して渡していると、後ろにマダム達を従えたウィルが、アシュリーの目の前までやってきた。


「アン、僕も一緒に行くよ」

「え? あのでも、今来られたばかりでは……」

「病人と怪我人しか来ちゃいけないんでしょ? さっき君が言ったじゃないか」

「ああ、まあ……そうですね」

「それなら君と一緒に出かけるよ。それなら問題ないよね?」

 

 戸惑うアシュリーを尻目に、彼は全く動じていないかのように応えた。

 気付けば、彼女の周りではサラも常連の老婦人達も、誰もがニコニコと良い笑顔を浮かべていた。アシュリーは困惑しながらもその雰囲気に飲まれてしまう。急かされるように出かける準備を整えると、気付けば半分追い出されるようにして、診療所の扉の向こうに出されていたのだった。



「――なんでしょう。なんだか大きな力が働いているような気がします」

「気のせいだよ、と言いたいところではあるけど、そろそろ気付いても良いんじゃない?」

「何にです?」


 待合室での雰囲気が何か異様なものに感じ、思わずアシュリーがつぶやくと、隣を歩いていたウィルは呆れたような声で応えた。


「君と話していると期待を裏切る反応ばかりするから、新鮮な気分になってくるよ」

「それは……どうも?」

 

 これは褒められているのだろうか。一応お礼を伝えてみるも、語尾が上がってしまう。そんな彼女の様子に、ウィルはやれやれと言いたげな呆れた目で、見下ろしてきた。


 ごく自然な流れのように、日課である市場での買い出しにウィルと一緒に向かっているが、最初に彼が診療所に現れた時は、息が止まるほど驚いたものだとアシュリーは思い出していた。


 初めてウィルと話した日、「ポルカの聖女」や「積荷の事故」について聞かれたアシュリーは、完全に狼狽していた。極め付けに、彼の素性、王都から来た魔術師団の団員と聞いて、アシュリーの混乱と焦りは頂点に達し、……そして逃げた。

 もしも彼が積荷の事故のことを調べ、アシュリーと治癒魔法を結び付けてしまえば、王都に連れ戻されてしまう。彼女が不安で眠れない夜を過ごした翌日、その彼によく似たウィル・フリッツと名乗る魔術師団の団員が診療所に現れたのだ。昨日も会いましたよね?などと恐くて聞けなかったアシュリーは、初対面の体で震える手を抑えながら受付を済ませたのだ。

 ウィル曰く、峠の魔獣討伐はほぼ片付いており、今は残党狩りをしているところらしい。その魔獣討伐の残党がりで、右腕を大きく負傷し、彼は町の診療所にやってきたという。

 数日は経過観察や包帯の取り替えで怪我人として訪れていたのが、いつの間にか常連の老婦人たちと仲良くなり、待合室で話をするだけの訪問になり、そしていつの間にか、アシュリーの毎日の買い出しに付き添うようになっていた。


 本当に訳がわからない。

 アシュリーは首を傾げる。何故、警戒すべき魔術師団の団員と毎日顔を合わせ、何気ない会話をしているのかと。

 いつの間にか眉根を寄せていたのだろう、ふとウィルが立ち止まり、アシュリーの顔を正面から覗き込んだ。


「何か考え事? 眉間にシワが寄っているよ」


 おもむろに伸びた彼の右手がアシュリーの顎を緩くとらえ上を向かせた。途端に、アシュリーの目の前にウィルの栗色の瞳が現れた。その瞳の中に呆けた顔の自分自身の姿が見えた瞬間、無理やり顔を上げられたせいで軽く首に痛みが走り、顔をしかめる。


「ちょっと……首が痛いんですけど」

「痛いって……ねえ、感想それだけ? 今のってさあ、不意打ちで顔の良い男と目が合ってドキッとするところじゃない?」

「顔の良い男ってウィルさんのことです……? 確かに、整っていらっしゃる」

「おいおい今気付いたの?」


 あちゃーと頭を抱えるウィルの手を押し退けると、アシュリーは痛めた首の後ろをさすった。

 時々、彼はこうして意味不明な言葉を並べ立てては、予想外だなとか、一筋縄じゃいかない、などとぼやいているのだ。

 

「そういえばウィルさん、毎日毎日怪我も治ったのに診療所に来て、大丈夫なんですか? お仕事に支障はないんですか?」

「ああー。まあ、大丈夫。討伐は夜だから」

「そうなんですね。ああ、そういえば以前、夜中に峠の方向で火柱が上がるのを見たことがあります。やっぱりあの炎は魔術だったんですね」


 以前、夜更けに窓から薄っすらと見えた火柱を思い出し、すごいなあとアシュリーの口から思わず感嘆の声が漏れた。


「アンは、魔術に興味あるの?」

「興味があるというか……単なる憧れです。私には使えないものなので」


 貴族であれば誰もが魔力を持っており、その属性に応じた魔術を使うことができる。

 しかし、幼い頃に母親によって魔力を封印されていたアシュリーには無縁の力だ。母が魔力を封印したことを恨んだことはなかったが、それでも魔術が使えたら……という憧れの気持ちまでは消せなかった。


「魔法が使えたら何ができるかなあと、子供の頃によく空想していました。空を飛べたらいいな、とか。動物とお話できるのかな、とか」

「……どっちも無理かな」

「わ、分かっています。子供の頃に考えていたことですから!」


 ウィルの冷静な言葉に、アシュリーは慌てて反論した。

 流石に、今も魔法で空が飛べるとか動物と話ができるとは思っていない。幼稚な思考に呆れられたかと彼を見上げると、思いのほか真剣な表情で、今度は彼の方が考え事に浸っていた。


「どっちも無理だな、現状の魔法理論上は。だが……風魔法の応用で空を飛ぶというのは、昔から研究者が大真面目に取り組んでいるテーマではあるんだよ」

「そうなんですか?」

「空を飛べたらいいなと思う魔術師は昔からいたんだろうね。存外、魔術師団の連中は頭のネジが飛んでる奴が多いんだよ。知的好奇心のために命を張れるようなね。空を飛ぼうとして二階の窓から飛び降りたやつを知ってる」


 誰か特定の人物を思い浮かべたのか、ウィルはククッと喉を鳴らすように笑みを漏らした。

 その様子が、普段の張り付けたような笑顔とは違う気がしてしまい、アシュリーは思わずじっと見つめてしまう。


「……なに?」

「あ、いえ。楽しそうにお話されるなと思って。そんなに楽しい職場なんですか?」

「全然。人使いは荒いし、誰にもできないような難しい任務を頑張っても、特別手当だってくれないし。おまけに上司は口うるさいし。……でも俺にとっては――」


 魔術師団への愚痴をとうとうと語っていたウィルだったが、途中で言葉を区切ると、口元を手のひらで押えた。


「……君はさ、随分と聞き上手だよね。思わず言う必要のないことまで言いそうになったよ」

「ああ、確かに。患者様からもよく褒めていただけます」


 心なしかバツが悪そうな表情を浮かべ、ウィルはそっぽを向いてしまった。


「ところでさ、君のお休みの日って、次はいつなの?」

「お休みですか? 三日後が診療所を閉める日なので、その日ですかね」

「その日は僕が君の予定を押さえる。出かけよう、二人で」

「二人で、ですか?」


 アシュリーはウィルの提案に対して、意図が分からず首を傾げた。その様子に、ウィルはあからさまに肩を落とす。


「理解力が低くて申し訳ないです……。あ。もしかして、ポルカの街中を紹介する案内役を必要としています? 私もそんなに詳しくないから、適任ではないかもしれないですね。サラさんに相談して、ポルカに詳しい人材をご紹介しましょうか?」

「だからなんでそうなるんだよ……。僕は! 君と! 出かけたいの!」

「なぜ……?」

「だあ、もう! よし分かった、じゃあこれならどうだ。魔術に興味のある君に、王都で一番の魔術師であるこの僕が、特別に魔術を見せてあげる。そのために出かけよう」


 これで満足だろう、とでも言いたげに見下ろしてくるウィルの勢いに気圧され、アシュリーは思わず後ずさってしまう。


「魔術を見せてくれるんですか? 本当に?」


 念を押すようにウィルに問いかけると、「ほんとほんと」と投げやりに答えられたのが気にはなるが、本当に魔術を見せてくれるつもりらしいことは伝わり、アシュリーは次第に心が浮き足立ってくるのを感じた。

 

 昔から、漠然と憧れだけがある魔術。王都で暮らしていた頃も、ほぼ目にすることはなかった。弟が魔力を使えるはずだったが、魔力のない姉に遠慮したのかほとんど見せてくれなかったのだ。

 この機会を逃したらもう魔術を見られる機会はやってこないかもしれないんだ、そう、千載一遇のチャンスだと自分自身に言い聞かせ、アシュリーは満面の笑みで外出を快諾した。

 ウィルが警戒すべき魔術師団員だということを忘れたわけではないが、魔術の魅力には抗えないのだった。

 ……それに、この人は悪い人ではないような気がする。アシュリーの直感がそう訴えていた。


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