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甘き死よ、来たれ  作者: まど
【一章】投げ出されたもの、得られるもの
8/27

07

心療内科に鬱症状で来院する人間には大きく分けて二種類の患者がいる。

【壊れかけている患者】と【壊れてしまった患者】である。


先ほどまで診察していた患者は彩名から見ると前者だった。

この男は【現状からの解放】を望んでいる、まだ【今と違う人生】に希望を持っているのだ。

つまり医学的な見地から見ると回復を望んでいる患者と言えた。


彩名にとって、この【壊れかけている患者】を回復させる事はとても簡単な事に思えた。

目を逸らしたい現実をゆっくりと直視させ、それを自分の意思で取り除けるように誘導し、当面ストレスを感じない環境に身を置かせる…

完治までの時間に個人差はあれど、大概の場合はこれでどうにかなった。


だが、彼女にとって興味深く惹かれる患者はいつも【壊れてしまった患者】の方なのだ。

壊れながら、それでもなんとか社会と折り合いをつけている人間達は、彩名から見ると余りにも歪で不自然な物に思えた。

そしてその歪で不自然な患者達は、他のどんな健常な人間よりも人間らしく、まともに感じられた。


【壊れてしまった患者】に共通している事は【どうありたいか、何がしたいか】が明確な事だ。

躁鬱など、精神疾患で通院する患者の目的意識が明確だという事実は、多くの人にとってにわかには信じられない事かもしれない。

だが、彩名に言わせれば【どうしていいか分からない、何もしたくない】人はいたってまともなのだ。

自分が許容出来ない、耐えられない事象によって鬱積したストレスを、自我を薄める事でどうにか許容しようとする…

これは是非を棚に上げてしまえば、人間として、いや、生き物として、至極まっとうな反応だった。


人間だれしも生きていれば一度くらい、死んでしまいたい、終わってしまいたいと考える物だと思う。

学校・恋愛・仕事・家庭・病…理由は人それぞれ違えども、なんらストレスを感じずに生きて生ける人は居ない。

仮に居るとしたらそれはもはや【健常な人間】では無い。

しかし幸いな事に世を生きる大多数の人間達はどんなに辛く、苦しい現実でも時間と共に感情を正常に戻していく事ができる。

だが、そうして感じるストレスをなんら解消せずに溜め込み続け、自身の限界を超えてしまう人が僅かながら確実に存在する。

自我を抑制出来なくなった瞬間、人は壊れ、自分を見失ってしまう…

彼女はその、超えてはいけない領域に、本人の意思と関わらず足を踏み入れてしまった瞬間が【人が一番美しくあれる時】だと定義していた。


異端であり、マイノリティである自覚はある。ただ、異常だとは思わない。


咲き誇る桜の花が美しいと感じる人間もいれば、散り落ちて人に踏まれた一枚の桜の花びらに美しさを感じる人間もいる。

彼女にとってこれは感性の問題なのだ、ピカソのキュビズムをありがたがるルノワールのファンは居ない、とどのつまりそういう事だ。


彩名は診察を終えた男のカルテの打ち込みを終え、エスプレッソとアメリカンの丁度中間程度の濃さでドリップしたコーヒーに手を付けると、次の患者をカウンセリングルームに招きいれる準備を始め、PCに映し出された患者に事前に記載させた問診票に目を通す。


【あまりにも幼いな】一番初めに抱いた感想がこれだった。

まだ若干12歳のこの患者は何を思い、悩み、苦しんで、ここの扉を叩いたのだろうか…

これから紐解かれるこの若い命の遍歴は果たしてどんな彩色をしているのだろうか…

募る興味と期待で、彩名は少しだけ口角を上げた。


「まぁ、可愛らしい患者さんねぇ」


部屋に通された患者は顔を上げず、おろした腕の先でぎゅっと拳を握りしめたままじっと動かなかった。


「緊張する必要はないのよ?よかったら座って?ゆっくり、少しずつでいいの、私に貴方の事を教えてくれる?」


患者は動かない、うつ向いたまま表情を隠す艶の有る綺麗な黒髪の隙間から、患者が強く下唇を噛みしめているのが見えた。


「あらあら,どうしようかしら…」


彩名は少し困った風な声でそうつぶやくと、【これはアタリの方かもしれない】と続けそうになった言葉をコーヒーで静かに流し込んだ。


部屋には品の有るコーヒーの匂いが微かに漂っていた


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