現代における自己とは何か
自己とはIchやEs、Über Ichによってシミュレートされ確立された意識される自分自身である。Ichkeitとして西洋の哲学において重要な役割を果たし、デカルトは、思想の主としてのIchの存在を主観主義哲学の起点に引き上げ、思考の主体としての自己の存在の確実性を、無形な魂が存在する証拠として理解させた。また形而上的にはイデアによって支配され、我々が自己で感覚している対象はあくまでイデアの似像にすぎない。この世界で肉体を使い不完全な像を見ることにより霊界のイデアを思い出す行為が自我の学習である。これを前提として現代の自己とは、影であって科学によって囚われているイデアである。人類が認識している世界はイデアの影によって形成され、本来の霊界におけるイデアを自己によって認識することは、現代社会の規範に束縛されたことで不可能となる。フロイトは「Über Ichの統制というのが、普遍的で文化的なÜber Ichの規範と一致している点において、集団としての文化の発展と個人としての文化の発展の二つの過程は常に連結している」と述べており、Über Ichの発展によりこれらが融合し、Esの支配から脱却されることで初めて自己がイデアを認識することができるのである。本能エネルギーの制圧によって人類は、個々の自己から全体の自己へと移行することができ、かつてイデアと呼ばれた一種の規範を再構築することができる。現代の自己とは個々の文化と集団の文化とのボーダーが曖昧となっていて、Naturtriebを解き放ち、完全に人工的な自己を生成することが新たなる自己への発展へ繋がる。現代はその構築段階の最中であり、現代における自己とは過去と未来における自己との中間点に位置する物である。