桃太郎・出題編
昔々の山奥に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんとおばあさんは、とても仲の良い夫婦で、毎日平穏に暮らしていました。
この日も、いつものようにおじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きます。もう何十年も続けている日課です。
「では、おばあさんや、いってきます」
「いってらっしゃい。毎日しば刈りご苦労さま」
「おばあさんもいつも洗濯ありがとうね」
こうしておじいさんが出かけた後、おばあさんは洗濯物を持って川へ向かうのです。いつもの日課で、特別面白いものではありませんでしたが、おばあさんはこの平穏な日常が大好きでした。
しかし、今日の日常はいつもとは一味違っていました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、なんと、川の上流から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきたのです。
「まあ、なんて大きな桃なんでしょう。とても美味しそうだわ」
おばあさんは大きな桃を持ち帰りたいと思いましたが、これだけ大きな桃ですと、洗濯物と一緒に持つことはできません。おばあさんはどちらを持ち帰るか迷いました。
「まさに洗濯中の選択というわけね……」
おばあさんはふふっと笑い、先に洗濯物を持ち帰ってから桃を持ち帰ることにしました。幸い、川から家まではそこまで離れていないので、往復もそこまで応えないはずです。
「よいしょ……っと」
桃を陸地へ乗せ、洗濯の残りを済ませたおばあさんは、一旦洗濯物を持って家へ帰りました。
「ただいま。おじいさん」
「おかえり。おばあさん」
おばあさんが洗濯物から帰るといつも先におじいさんが帰ってきていて、おばあさんの帰りを待っています。おばあさんはおじいさんにただいまを言うこと、それからお昼ごはんを食べることが大好きでした。ですが、今日はおじいさんとお昼ご飯を食べる前にしなければならないことがあります。
「ではおじいさん。私は少しやることがあるので、少し待っててくださいね」
水と洗濯物の入った桶を置いて、おじいさんにそう言うと、おじいさんは慌てて、
「ど、どこに行くんだい。一人で大丈夫なのかい」
なんてことを言ってきました。おじいさんはこうやって、たまにおばあさんを子ども扱いするのです。そのことにおばあさんは少しむっとしました。
「もう長い付き合いなんですから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
あたふたするおじいさんを置いて、おばあさんは少しだけおじいさんに意地悪する気持ちと、おじいさんを大きな桃で驚かせたい気持ちと一緒に外へ出てしまいました。
川につくと、桃はしっかりと置いた場所にありました。これだけ大きな桃ですので、誰かに盗まれるかもしれないと少しだけドキドキしていたので、おばあさんはとても安心しました。
「よ、い、しょ、と、と、と」
おばあさんはあまりの重さに少しだけよろけてしまいましたが、若者に対する対抗心と、おじいさんの喜ぶ顔が見たいという気持ちで耐え、よたよたと家へ向かいました。
「ただいま、おじいさん」
「お、おかえりおばあさん。大丈夫だっ……」
おじいさんが絶句しているのを見て、おばあさんはくすくすと楽しそうに笑いました。
「おじいさん。どうしたんですか?」
おばあさんはいたずら心でそう聞きます。
「どうっ、て、これは……」
「とても大きな桃ですよ、おじいさん。今日のお昼はこれを食べましょう」
おばあさんがそう言うと、おじいさんは泣きそうにも怒りそうにも見える顔で固まりました。一見不機嫌そうな顔ですが、長い付き合いのおばあさんは知っています。
おじいさんがこんな顔をした後は必ず、
「そうか。――それは、素敵だな」
爽やかに笑うという事を。
「では、さっそく割ってみましょう」
おばあさんはそう言うと、キッチンに包丁を取りに行きます。
「私は昼食の準備をしておくよ」
その間におじいさんはテーブルに食器を置き、コップにろ過した水を注いでいきます。
おじいさんはいつもはおおらかなのに、水だけは川で汲んできたものをろ過しないと絶対に飲まないし、私にも飲ませません。そのわりにろ過する水は洗った洗濯物と一緒に桶に入れて持ち帰ってきたものなのでよく分かりませんが、おばあさんはいつもおじいさんに甘えている分、温かい気持ちで許容しています。
「さておじいさん。桃を割る準備ができましたよ」
「ああ。今行くよ」
おじいさんがおばあさんの元へ行くと、おばあさんはこちらを一瞥し、真剣な面持ちで桃に向き合い、両手でしっかりと包丁を持ちました。
「それではいきますよ。それっ」
これだけ大きな桃ですと、サクッと割ることもできないので、包丁をのこぎりのように使い、ザッ、ザッと桃を二つにしています。
切っているうちに、とてもいい匂いが部屋中に広がっていきました。その匂いにおばあさんはお腹をぐう、とならし、おじいさんは顔をしかめました。
やがて、桃が真っ二つに割れた時、おばあさんはとあることに気づきました。
なんと、割れた大きな桃の内の左割れの中に、赤ん坊が入っていたのです。おじいさんとおばあさんはとても驚きました。やがて、
「なんてかわいい子かしら」
と、おばあさんはうっとりと言いました。そのままおばあさんは、泣きそうないつもの表情をしているおじいさんへ向けて言います。
「ねえ、この子を育てましょう。いいでしょ?」
それを聞いたおじいさんはやがて、やっぱりいつものように爽やかに笑い
「ああ、そうしよう。――ここで、育てよう」
そう答えました。
それから、桃太郎と名付けられた子供は、優しいおじいさんとおばあさんの手によって、すくすくと育てられました。山奥なので、桃太郎は原っぱや森の中を転げまわって成長し、やんちゃではありますが心の優しい人間へ成長しました。
そうして、三人で平和に楽しく暮らしていた時に、知らせは来ました。なんと、町で鬼が悪さをしているというのです。
おばあさんはその知らせを聞いた時、大いに悩みました。若いとき、町の人々には本当にお世話になりました。なので、できれば町の人々を助けるために何か行動を起こしたいのですが、この年では何もできそうにありません。おじいさんに相談しても、ここに隠れていた方がいいと言われてしまいました。
しかし、おばあさんからその話を聞いた桃太郎は、正義の心に立ち上がりました。
「おじいさん。おばあさん。僕、鬼退治に行くよ」
それを聞いたおばあさんは大いに感動すると同時に納得しました。
「そう……桃からあなたが生まれたのはそのためだったのね」
「ま、待ってくれ、おばあさん。この子はこんなに小さいのに鬼退治だなんて」
一方で、おじいさんはひどく取り乱しました。今までにないくらいに。ですが、おばあさんにはその取り乱しが演技だということがおみとおしでした。なにせ、あの泣きそうな顔をしているのです。私が説得すれば、直ぐに爽やかに笑って、桃太郎の決意を後押ししてくれるはずです。
「だいじょうぶよ。おじいさん。桃太郎はきっと勇者なのよ」
しかし、おじいさんはおばあさんの予想に反してなかなか説得に応じませんでした。
やがて見かねた桃太郎がおじいさんに言います。
「任せてよおじいさん。僕が必ず町を救って見せるから」
その言葉におじいさんはがっくりとうなだれて、
「分かった……。桃太郎。頑張れよ」
おじいさんはいつもとは違い、爽やかに笑いませんでした。
桃太郎はおじいさんとおばあさんに作ってもらったきびだんごを持って鬼退治に出かけました。おじいさんとおばあさんは、桃太郎が生きて帰ってくることを祈りながら毎日を過ごしました。
そして一年後、知らせが届きました。
おじいさんはその知らせを聞いて、わなわなと震えてゆっくりと涙を流しました。そして、ゆっくりとおばあさんの方を向いて、
「桃太郎は立派に鬼を倒した。しばらくしたら帰ってくるってさ」
爽やかな笑顔でそう告げました。
一週間後、桃太郎が大量の小判を持って帰ってきました。服がツギハギだらけのぼろぼろになって、それでも顔は笑って、帰ってきました。
おばあさんは笑って桃太郎の帰りを受け入れ、桃太郎を思いっきり抱きしめました。
おじいさんはそれを、泣きそうな、怒りそうな表情で見守っていました。
そして三人は、末永く、幸せに暮らしました。