わ・た・しーDaily traveler
老いた女性が一日の中で、色々な年代の自分を通して『今』を見る物語。
ーいたい
体がいたい。
首から背中から…コシまでいたい…どうしちゃったの、わ・た・し。
身じろぎしただけなのに、いたくて思わず声が出た。その声もガラガラの変な声。
まぶたを開けると、うす暗い部屋。白っぽい天上。…もやもやしてよく見えない。
(ウチじゃない…ここ、どこ?)
薄緑っぽいカーテン、ここ…病院みたい。でも、いつもの細川病院じゃない。もっときれいで大きな病院?…もしかして、わたし…ケガしたの?
昨日、どうしたっけ。…昨日?昨日は…空襲だったっけ?もう、忘れちゃった。それでケガした?…お母さんは?ゆっこは?よっちゃんは?
「失礼シマス」
コンコンと音とともに声がした。
「オハヨウゴザイマス、◯◯サン」
知らない女の人が顔をのぞかせた。看護婦さん?
「ヨク眠レマシタカ?カーテン開ケマスネ。ホラ、今日ハイイ天気デスヨ」
声がうまく出ない。おばあちゃんみたいなうなり声が出ただけ。カーテンがゆっくりと引かれ、うす暗かった部屋がぱあっと明るくなった。
でも、まぶしい。わたし、目が開けられない。
キツく目をつぶったら、
「スミマセン、マブシカッタデスカ。半分ダケ二シマショウネ」
そう言って看護婦さんは半分閉めてくれた。この看護婦さん、優しい。子どものわたしにも敬語で話す。ちゃんとした職業婦人だ。怖くて乱暴な細川病院の看護婦さんとはちがう。
わたしの顔をのぞきこんで、にっこりと笑う。わたしも笑おうとしたけど、うまくいかない。
「◯◯サン、今日ノ体調ハ、イカガデスカ?気二ナルトコロハ、アリマスカ?」
(体が痛いの)
わたしは答えようと、頑張ってみる。でも、出たのはやっぱりうめき声。悔しいので金魚みたいに口をぱくぱくさせた。それでも看護婦さんはわかってくれたみたい。優しく体をさすってくれた。少し、痛みがやわらぐ。
「カラダヲ、少シ起コシマショウネ」
看護婦さんがいうと、魔法みたいに寝床の頭の方が持ち上がってきた。すごい。わたしの頭を抱くように支えながら枕を直す。少しづつ痛みが楽になって、体が少しづつ動かせるようになったけど、力は入らない。でも、ケガはないみたい、良かった。
部屋の中を見わたす。ひとりだった。ぼやけてしか見えないけど、開け放された入口には長いのれん。廊下を行きかう人の足が見える。音もしているけど、よく聞こえない。近くに爆弾が落ちた時みたいに、音がこもる。
「オ顔拭キマショウネ。熱クナイデスカ」
タオルで顔と手を拭ってもらう。温かくて、気持ちがいい。
ー何だろう。ふと見た自分の手が茶色い。うす汚れた手ぶくろをいる。
(ああ、だから手が変だったんだ)
納得する。どおりでさわっても鈍いはずだ。でも、手に力が入らないのは同じ。しびれてるみたい。
(わたしはどこが悪いのかしら)
着替えも歯みがきもひとりでできない。看護婦さんに手伝ってもらってやっとだ。こんなんじゃ、学校には行けないよね。夕べの宿題の綯わない、やらなかったから、休みたいな。
こんなに手をわずらわせているのに、この看護婦さんはイヤな顔をしない。わたしも、こんなやさしい看護婦さんになりたい。
でも、この看護婦さんのカッコウは…どうなのかな。こんな綺麗なキミドリ色、久しぶりに見た。うらやましいけど、このご時世に非国民って言われないかな。
「モウ少シデ朝ゴ飯デスカラネ。」
明るくそう言い残して、看護婦さんは部屋を出て行った。
「ねえ、ちょっと聞いてる?」
何だろう、このおばさん。
おこった顔でわたしを見る。イライラしてるみたい。
(ちょっとコワい。)
となりにすわるおじさんが、おばさんのソデをひっぱって、大声だすなよと耳言ってくれた。おばさんはおこった顔のまま、そっぽをむいた。
さっき、看護婦さんに連れられて、この部屋に来た。
部屋にはこの知らないおばさんとおじさんがいて、わたしに会いに来たという。ふたりは顔がにてる。兄弟かしら。
お菓子をもらった。大好きなようかんだ。看護婦さんが一緒におやつにしましょうねと、お茶をいれてくれたけど…このおばさんと一緒だなんていやだな。何か、おこったように、わたしをにらむんだもの。怖い。
ようかんだって、バクバク遠慮なく食べてるくせに「やっぱり、ようかんて甘過ぎて好きじゃないわ」だって。じゃあ、食べなきゃいいのに。いつも、ひと言多いのよね。
その点、おじさんは好き。今日は顔色がいいねとか、イワヤドウのようかんが好きだったよねとか、ゆっくりやさしく話してくれる。おばさんはそれも気に入らないみたいで、おじさんにガミガミ言う。
おばさんはさっきから大きな声でベラベラしゃべっているけど、早口で何を言ってるのかわからない時がある。時々、コワい目でわたしをみる。その目がイヤ。
でも、
(この目、わたし、知ってる)
白くなった髪を引っ詰めて、私を睨んだあの人。
ー義母さん、そっくり。
やだ、この人、義母さんに似てるんだ。
あの目つき。嫌味しか言わない人だった。あのひねくれた物言い、栄子も時々するのよね。嫌なところばかり似ちゃって本当、うんざり。
私がパートに出る時、経済的なことを理由にしてけど、本当は義母さんと一日中一緒に居たくなかったからよ。孝昭さんが賛成してくれたから外に出られたけど、散々嫌味も言われたわ。それでも子ども達の学資も出来たし、少しは自由になるお金も貯めることが出来た。義母さんも、子ども達の面倒をみる張り合いが出来たから、米寿まで元気で居たんじゃないかしらね。まあ、口が悪いのは一生変わらなかったけど。
あら、やだ、こんなに暗くなって。この人達とのんびりお茶してて、気がつかなかったわ。
…でもここ、どこかしら。私、何でこんなところに居るのかしら。知らない人ばっかり。身体も重い。疲れてる。こんなになるまで私、ここで何をしてたのかしら。
(とにかく、家に帰ろう)
そうよ、帰らなくっちゃ。玄関はどこかしら。
(急がなくちゃ、夕飯が遅くなる。店屋物は義母さん、嫌がるのよね)
後ろで誰か何か言ってたけど、構ってる暇はないわ。
部屋を出ると、長い廊下に出た。どっちへ行けばいいのかしら。
足が重い。よっぽど疲れてるのね。手すりに掴まらないと、よろけて進めない。
「加藤さん?」
前から歩いて来た人に呼び止められた。でも、やっぱり見覚えがない。
「あ、はい。私、帰ります」
「…そうですか、どちらまで?」
この人、何?『家』に決まってるでしょうに。
「家です」
彼女の脇を通り過ぎて玄関を探す。廊下の突き当たりがガラス戸みたいだ。外の街灯が着いている。もう、そんな時間!
「急がれてるようですが、どうかしました?」
いやだ、付いて来る。しつこいわね。イライラしてぶっきらぼうになる。
「ええ、夕飯の支度がありますので」
「あら、それは大変ですね。どなたか、待ってらっしゃるんですか?」
やっと彼女にもわかったようだ。隣りを歩きながら親身になってくれる。案外、良い人だ。
「ええ、息子と娘が」
「まあ、じゃあ急がないといけませんね。おいくつなんですか?」
少し子どもの話しをした。小学5年生と中学1年生。栄子は部活で帰りが遅いからいいとして、新吾は今頃お腹を空かせているわ。
「お住まい、どちらでしたっけ」
私は彼女を見た。ーお住まい?どこだったかしら…
「森下町です」
口からするりと出た。ああ、そうだわ。そうね。
その答えに彼女が思案顔になった。
「…森下町ですか。結構、遠いですね」
(遠い?)
ここはどこなの?そんな遠くまで何しにきたのかしら。
「とにかく、帰ります」
玄関はもうすぐだ。とにかく、家に帰らなければ。新ちゃんが待ってる。
「加藤さん、タクシー呼びましょうか?」
タクシー!そうだわ、その手があった。いつもならそんな贅沢しないけど、背に腹は代えられない。
「ええ、ええ、お願いします」
「わかりました。じゃあ、電話を掛けてきますね。ここ冷えてきましたし、あちらの食堂で待ってていただけますか?」
「いいえ、ここでいいです」
すぐ側にあったベンチに座る。ここならタクシーが来ればすぐにわかるし、何だかとても…とても疲れた。手足が重い。もう、一歩も歩きたくない。
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」
そう言って彼女は後ろにいた人に何やら話し掛けて、事務所のようなところへ入って行った。
声を掛けられた人が私の隣りに座る。同じぐらいの歳かしら。ちょっとキツい感じの女性ね。
それでも、その人は優しく笑いかけてきた。
(あら、少し栄子に似てる。)
化粧気のない疲れたような笑顔。少し涙ぐんでいる。
(何か悲しいことがあったのかしら。)
辛い事でもあったのだろうか。まあ、この年頃は色々あるわよね。姑のこととか、PTAのこと。町内会のこと。手がかかる旦那と子ども。本当、フル回転だもの。
だから、彼女の手を取って優しく撫でてあげた。それだけで、多分わかる。
(みんな、同じよ。大丈夫)
最初、びっくりしたみたいだけど、彼女にも通じたみたい。くしゃりと顔を歪める。よっぽど辛かったのね。
「お母さん」
男の声に顔を上げると、新吾が立っていた。隣りに栄子も座っている。
「加藤さん、お二人とも、そろそろお帰りになるそうですよ」
職員のマキさんが車いすを持って、新吾の後ろに立っていた。
「…そう」
握っていた栄子の手を見る。相変わらず、荒れてガサガサだ。店の切り盛りで大変なのだろう。それなのに、遠いところをわざわざ来てくれたんだ。
「栄子、無理しなくていいから」
(私のことは気にしなくていいから、大丈夫だから)
うんうんと、頷く。この子は疲れて来ると回りに当たるからね。我慢強いのもほどほどにしないと、いつか身体を壊してしまうよ。
新吾に促されて立ち上がる。
「じゃね、母さん。また来るよ」
「ありがとね」
二人の背中を見送った。
(ー寂しい)
本当は一緒に帰りたい。けど、もう帰れない。もう、一人暮らしは無理だもの。
(あの子達に迷惑がかかるもの)
危ないからここに入ろうと、新ちゃんが決めたもの。
車いすに乗って玄関で二人を見送った。マキさんと廊下を戻る。車いすを押しながら、マキさんはことさら明るく声をかけてきた。
「加藤さん、ようかん美味しかったですね。私までご相伴させていただいて、ごちそうさまでした。これからどうします?食堂に行きますか?それとも一度お部屋でひと休みしますか」
「…疲れた」
「じゃあ、お部屋に戻りましょうか。お夕食の準備が出来たら声かけますね」
頷く。もう、声を出すのも億劫だ。車いすがゆっくりと進む。自然と瞼が落ちて来る。
看護婦さんの声が遠くなって来た。知らないおばあさんが声をかけてきたけど、よく聞こえない。でも、笑いかけてきたから、笑ってうなずいた。
私のピンクののれんが見える。孫の◯◯ちゃんがくれたものだ。
早く部屋で横になりたい。夕飯の支度まで、まだ時間はあるもの。新ちゃんが帰って来るまで、一休みだわ。
最近は特に、すぐ眠くなるのよね。
ー本当、この眠気には逆らえない、わ・た・し…
<終わり>
誰にでも訪れるかもしれない「認知症」。頭の中を想像してみました。