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分割払い

作者: 京本葉一



「きみは、みてはいけないモノをみてしまったんだよ」


 放課後の教室で、彼女はいった。


 ぐにゃりとゆがんだ黒板から、小さな猿のようなモノが湧き出てくる。どいつもこいつも醜悪な面だった。見せつけるように開いた口の中は、鋭い牙がならんでいたり、乱杭歯であったり、いかにして人肉を噛み切るかで個性を表現している。


 逢魔が時とはいうけれど、見慣れた制服姿の女子高生が、幾多の霊符を操り飛ばして、醜悪なナニカを踏みつぶしている姿は、あまりにも非現実といえる。

 けれどそれは、痛みをともなった確かな現実で、見惚れるほどに美しかった。


「もう二度と、変なモノをみても追いかけたりしたらダメだよ」


 教室が日常を取り戻したあと、そんなふうに忠告する彼女の表情は、とても厳しくて、助けられた俺は、黙ったままうなずいていた。彼女の領域に踏み込んでしまった、場違いな俺は、雰囲気に飲まれていたのだろう。


 もっとも、かなり余分に飛ばしたらしく、散らばった霊府をちまちまと集める、小市民的な姿をながめていると、見慣れた地味な女子へと印象が変わる。

 俺も近くに落ちていた霊符を回収して、締まらない顔をした彼女に手渡した。


「……さっき噛まれてなかった?」

「右腕を少し。めっちゃ痛いんだけど、これ、感染とかしないよね?」

「流水で洗えばなんとかなるよ」


 傷の処置をしながら、彼女から話をきいた。


「このことは、あまり言いふらさないように」

「言わないよ。クラスの地味な女子が、退魔を生業とする一族の末裔だったんだよーとか、誰が信じる?」


 彼女の正体を知ったからといって、ペナルティがあるわけではない。「みてはいけないモノをみてしまった」という彼女の宣告は、魔の存在を疑いようもなく認識してしまうことを意味した。


「今回のあれは、数十年の周期で訪れる兇悪なやつ。あんなのは少ないけれど、あいつらは、そこらじゅうにいるから」


 人は認識していない存在に気づかない。

 どれだけ異様な存在がいても、それに気づくことができない。

 魔の存在を認識した俺は、ふつうの人にはみえないモノがみえてしまう。そして、それには危険がつきまとう。


「あいつらは契約をもとめてる。交渉が可能な人間、つまりきみのような、気づいている人間に近寄ってくる。たとえ弱みを握られても、けっして相手にしないこと。それができれば問題はないとおもうけれど……まあ、注意するにこしたことはないからね」


 魔が近寄らないよう、対策が必要だった。

 俺は彼女がつくった霊符を、一枚五千円という、彼女いわく相当リーズナブルな値段で購入することになった。





 退魔師であった同級生、御堂サクラがいったように、魔はいたるところにいた。人間の頭ほどの大きさで、不定形な雲のような存在であったり、昆虫に似ていたり、多種多様な姿をしている。人間に憑りついているモノも多く、そいつらは、声なき声により、人間を破滅の方向へと導いていた。


 俺は魔に憑りつかれた人間がわかる。つまり、自殺を考えている人間や、薬物など身体に悪いものを求める人間や、なにか犯罪をおかしそうな人間を見抜くことができる。

 他の人よりもトラブルを回避できるわけで、けっこう役に立っていたりする。


 あれから二十年。


 俺はとくに大きなトラブルもなく、高校を卒業して、大学を卒業して、社会人として、気ままな独身生活を楽しんでいる。


 それもこれも、御堂サクラから購入した霊符の恩恵が大きい。残念ながら、俺のもとに魔が近づきたくても近づけないのは、テキトーに書いたくせに一枚で五万と五千円もする霊符の効果なのだ。俺が見よう見まねで書いた霊符モドキでは効果が小さすぎる。仕方がないので、三ヵ月に一度は購入している。


 ときに魔に憑りつかれた人を助けることができるのも、御堂サクラのおかげといえる。まことに残念ながら、サクラの退魔師としての能力は本物であり、魔をみることのできる俺にはそれが理解できる。


 霊符一枚で片付くような簡単な仕事で二十万~五十万は要求してくる詐欺師のような女なのに、そのあとしっかり魔除けの霊符を売りつける女なのに、たしかに効果はあるので文句がいいづらい。不可思議なトラブルで悩む人に助けを乞われたなら、仕方ないので紹介もする。


「なにより腹が立つのは、お前の生活能力が潰滅的なところだ」

「うるさいなーもぉー」


 居酒屋でタダ酒を飲む、三十路を過ぎた、未婚の女が目の前にいる。

 ぼったくっているわりには、生活が安定しない女なのだ。


「仕方ないでしょー。退魔の仕事なんてそうそうないんだからさー」

「俺の紹介以外にも依頼はあるだろう?」

「だってさー、女子高生から数十万もとれないでしょーが」


 この女にも矜持はあり、お金のない相手からは良心価格を提示して、俺に穴埋めを要求する。この前も、おかしくなった友人を救うため、パパ活をしてお金を用意しようとした女子高生に、低額料金で話をつけていた。その子の友人ネットワークを利用して、魔除けの霊符を売りさばこうと企んでもいたが。


「金の使い方がルーズすぎるだけだろうが」

「ちーがーいーまーすー。あたしのおかげで出世してる社畜野郎とはぜんぜんちがいますー」


 たしかに俺は、がっつり憑りつかれていた相手との契約を見なおして大損を未然に防いだり、がっつり憑りつかれていた社員が企画した案件の深刻な欠点を見つけたり、がっつり憑りつかれていた社員が会社の金を横領しようとするのを未然に防いだり、トラブル回避の面で大いに貢献してきた。

 そしてまた、がっつり憑りつかれ、深刻な病に苦しんでいた社長と話をする機会があり、社長にサクラを紹介している。

 大金持ちに紹介するぶんには気楽であり、サクラもまた、一千万円という大金を得ていたはずだ。それでいて社長はご機嫌であり、俺も恩恵を授かっている。この女のいうことは正しいわけだが、高級賃貸マンションに移り住み、あっという間に大金を使いこんだ女に言われても、腹立たしいだけだ。


「霊符っていってもさー、一度売りつけたらおしまいじゃない? 女子高生相手だと割安だしー」

「……おい、ちょっと待て。三ヵ月で効果が薄まるとか、やっぱり嘘じゃねーか!?」

「あんたのは特別製だから」

「効果が強いのか?」

「効果は同じだけど、期限付きで調整してる」

「ふざけんなよ!?」

「うるさいなー。稼いでるんだから、けちけちすんなよー」

「けちじゃねーよ! こっちはお前のせいでインスタントラーメンの消費量が半端ないんだからな!?」

「はっ、チキン野郎にはぴったりじゃないの」

「おい、元祖を馬鹿にすんなよ? そして俺のキッチンには、ワンタンからなにから各種そろってんだよ」

「それ間違いなく好きなだけよね? っていうか、あたしのせいじゃないでしょ? あんたは飼い猫にお金を使いすぎ」

「おいおい、俺のエリザベスに文句でも?」

「やだー、気持ち悪いー」


 サクラはいつものように酔いつぶれた。俺は性質の悪い酔っ払い女をマンションまで護送したのち、愛しのエリザベス(雑種キジトラ推定五歳メス)が待つアパートに帰宅した。





「いますぐ部屋に来いって、なんだよ……」


 会社の帰り、御堂サクラから連絡がきた。いつもなら電話で居酒屋に呼び出すくせに、いつになく丁寧なメールで、部屋に来るよう指示してきた。


「なにかあるのは間違いない。きっと面倒なことがあるのは間違いないが、行かないと余計に面倒なんだろうな」


 俺は仕方なく指示にしたがった。サクラの部屋のベルを鳴らす。ドアが開くと、そこにいたのは、白髪の異国人だった。高級スーツを着こなした見知らぬ老紳士に、俺は気圧された。


「お待ちしておりました」

「あの、どちら様でしょうか?」

「話はなかでいたしましょう。彼女も待っておりますので」


 俺はサクラの部屋にあがり、乱雑に配置された衣類などを避けて座った。

 テーブルをはさんだ向かい側に老紳士がいる。

 部屋の主であるサクラは、両手両足をベルトで拘束され、ベッドから動けずにいる。


「……どういう状況でしょうか?」


 俺は異国の老紳士に問うた。

 サクラに意識はあるようだが、口を布で塞がれている。


「御堂サクラさんには、死んで償っていただこうかと」

「お前なにをした!?」


 俺はサクラに向かって叫んでいた。必死で首を振ってはいるが、マンションの家賃を滞納したとか、消費者金融に借金をしたとか、おもに金銭面でやらかした可能性を考えた。拘束する手段は暴力団を連想させる。しかし、相手は異国の老紳士。


「海外か!? 海外の金融資本に何かしたのか!」

「いえ、そういうわけではありませんが、とにかく払うものを払っていただかないと、わたくしとしても困ってしまうのですよ」


 老紳士は渋面をつくった。

 凶暴さは感じられないが、温かみもない。

 得体の知れない怖さがあった。

 陽のあたるカフェでお茶をしていても違和感はないが、陰湿な地下室で死体を切り刻んでいてもおかしくはない。

 そういう老人だった。


「私を呼び出したのは、つまり、彼女の代わりに償いをしろ、ということでしょうか?」

「そういったら、どうされますかな?」


 俺が断れば、彼はサクラを殺すだろう。

 いまここで、俺の目の前で殺す気がした。

 サクラの血で染まった、赤黒い光景が目に浮かぶ。


「わかりました。いくらかは存じませんが、なんとか、分割払いでお願いします」


 サクラの命は大事だが、こちらの経済状況も考慮してほしい。

 俺は頭をさげた。

 老紳士の返答があるまで、深々と頭を下げつづける。


「……誠意は伝わりましたが、分割払いですか……」


 頭を下げつづける俺に、老紳士は答えた。


「まあ、いいでしょう。こちらも体裁が整えば文句はありませんので、あなたから少しずつ支払っていただくことにしましょう」

「ありがとうございます。それでは、どういった段取りで──」

「すでにいただいておりますよ」

「はい?」

「お手間はとらせませんので、あなたは気にすることなく生活をつづけてください」


 老紳士は立ちあがる。質問に答える気はないらしい。俺は低姿勢を貫いて、玄関まで老紳士を見送った。ドアが閉まると、その場に座りこんだ。しばらくして、ベットに拘束されたままの、バカヤローな女のところにいく。サクラは泣きそうな表情で俺を待っていた。


「お前、ほんとに何をした?」


 サクラの拘束を解いた。

 言い訳を待ちかまえていた俺に、サクラは告げる。


「全力で殺しにかかった」

「おい!?」

「あいつ、人間じゃないから」

「はあ?」

「魔のなかでも、永く生きた個体は成長して、人の形をとっている奴がいる。そういうのは、かなりヤバイ奴」


 俺が知っている魔は、形はいろいろあっても、人間の頭くらいの大きさだ。あの日、放課後の学校で遭遇した兇悪な奴だって、似たようなものだった。


「あたしが返り討ちとか、どれだけの強さって話よ」

「いや、お前はそんな強くないだろう?」

「あたしめっちゃ強いんですけど!? あれが別格に強かったの! 千年単位で人の世にいそうな伝説の魔物とかだから負けたの!」


 サクラは負けた。相手にされないくらい、完封で負けた。


「本気で死ぬかとおもった」

「挑む前に気づけよ」

「向こうが巧妙に実力を隠してたの!」

「言い訳がひどいな。にしても、よく殺されなかったな」

「……全然、本気じゃなかったからよ」


 脅威ではなく、殺す気もしないが、なにもせず放置するのも、魔としての体裁を欠く。そんな気まぐれのような理由で、契約を迫られた。殺さない代わりの償いを求められた。


「あたしが拒んだら、あんたが標的にされた」

「……マジで?」

「どちらかの目の前で、どちらかを殺す気でいた」

「……もしかして、分割払いとか言わなかったら、俺、死んでた?」

「あたしの目の前でね」


 完全にお金の話だとおもっていたのに、トラウマ製造の話だったらしい。魔としての体裁を整え過ぎだろう。あの老紳士が怖すぎる。感じた印象は正しかった。サクラが殺されるという予感も当たっていた。いや、それらもまた、あの老紳士によるものかもしれない。


「で、俺はこれからどうなるわけ?」

「わからない。死ぬことはないと思うけど」

「そうか」


 なにかを支払いつづけることになる。

 寿命?

 健康?

 あの恐ろしい老紳士が奪うもの。

 殺さない代わりに求めるもの。


「なにか大切なもの……まさか!?」


 その可能性に気づいた俺は、アパートに戻るべく立ちあがった。


「待って!!」


 俺の背中に向かい、サクラが叫んだ。

 俺は振り返り、懇願する、女の瞳を見すえた。


「ガス代を払わないとお湯が出ないの!!」

「お前だいぶ余裕だな!?」


 手持ちの三万円を叩きつけて、俺は駆けだした。





 俺にとって大切な存在!!

 愛しのエリザベス!!


 俺は勢いよくドアを開け放ち──


「エリザベス!!」

「みゃ~」

「あぁー、エリザベスー!!」


 玄関で待ちかまえていた、かしこかわいい愛猫を抱きしめて泣いた。


 人生で最高に嬉しかったかもしれない感動とともにエリザベスを可愛がり、エリザベスの健康状態を細かく丹念に調べたのち、サクラに愛猫の無事を伝えた。


『諸々の生存を祝って、乾杯!!』

「お前自宅でどれだけ飲んだ!? ガス代残ってるだろうな!?」


 通信が切れた。どっと疲れが押しよせてきて、空腹であることに気づいた。キッチンに向かい、冷蔵庫をあさった。缶ビールと納豆、それに玉子がみつかった。次いで棚を調べる。


「…………いやいや」


 元祖インスタントラーメンの、最後の一袋だけがどこにもなかった。

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