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財布を拾った男がおまわりさんに会うまでのちょっとだけ長い道のり

作者: きら幸運

 朝九時から大きな会議がある。

 

 俺がいつもより二時間早く出勤した理由だ。

 サラリーマンたるもの、会議に備えなければならない。


 七時少し前、俺は会社の最寄り駅に到着した。

 真夏の太陽は朝も()よから俺の背中を焦がす。

 夏とはいえ会議にのぞむ日はスーツ着用が必須だ。

 おかげで余計に暑い。

 日頃のクールビズのありがたみがよく分かる。


 会社へ向かうかよいなれた道はいている。

 いつもと異なる時間帯だからだろうか、犬と散歩する老婦人は馴染なじみのない顔だ。

 いくさに臨むサムライの心境の俺だが、人間観察をする余裕はあった。


 そうとも、俺は何も恐れてはいない。


 車道よりも一段高い歩道を進む。

 歩道の幅は狭く、自転車と歩行者が並び立つことはできない。

「オラオラどけよー!」的に突っ込んでくる高校生の自転車を避けるべく、(あわ)てて車道に飛び降りた経験は数知れない。ちくしょう。


 歩道のはしにラメラメと桃色に光る物体が落ちている。

 お立ち台の上で踊るお姉さまの衣装みたいなピンク色に、俺は興味を覚える。

 無意識のうち、俺はその物体を拾い上げてしまう。


 その物体は財布だった。

 長方形でずしりと重い。

 朝日に照らされてギラギラと淫靡いんびに輝いている。

 てか、こんなに自己主張してるのに、なんで誰も拾わないんだろう?

 気づいてもわざわざ拾わないのか?

 ド派手な財布に、いや、ド派手な財布の持ち主に関わりたくないのか?

 うん、そうかもね。

 でもまあ、俺、拾っちゃったしな。


 どうしよう……


 わずかに逡巡(しゅんじゅん)したあと、俺は決断する。

 交番に行き、財布をおまわりさんに届けることを。

 いやまあ、決断というほどでもないか。はは。


 くるりとUターンし、駅に戻る道を行く。

 交番は駅の反対側出口のそば、駅前ロータリー沿いにある。

 俺の足なら五分もかからない。

 そうとも。たいした寄り道ではない。

 拾得物の手続きも俺にかかればお茶の子さいさいだ!

 おっと、最近見ない表現だな。


 それはさておき、なぜ俺が自信満々かと言えば、俺が財布拾いのプロだからだ。

 いや、プロは少し言い過ぎたな。

 以前にも一度、財布を拾ったことがあるだけだ。


 半年前、俺が黒色の財布を拾ったのは交番の真ん前だった。


「どこに落ちていましたか?」

「そこです」


 なーんて感じで一秒もかからずに状況説明は終了した。

 おまわりさんが地図を持ち出す余裕さえ与えなかった。

 そう。俺はおまわりさんを瞬殺した男。

 うむ、誤解を招きそうな表現は危険な香りがするな。


 話がれた。

 元に戻す。


 真夏の太陽を真正面から受け止めながら、俺は駅を目指す。

 途中、会社の同僚と次々すれ違う。


「おはよう、き○さん、どうしたんですか?」

「いえ、ちょっと……」

「おはよう、○らさん、どうしたんですか?」

「まあ、ちょっと……」

「おはよう、きら○ん、どうしたんですか?」

「うん、ちょっと……」

 

 朝の挨拶をわしながら道を急ぐ。

 皆さん朝が早いですね。


 ていうか、我がグループの戦意は高いんじゃないかな?

 うむ、これなら今日の会議いくさは勝てる。勝てるぞ!!


 気になるのは、誰ひとり、俺の手にあるピンク色の財布の存在に触れようとしないことだ。


 この財布、実はステルス機能が付与されたマジックアイテムなのか?

 俺以外には見えない魔道具なのか?

 すると、俺はサラリーマンではなく、選ばれし勇者なのか!?

 なんてこった!? 会議になんか出ている場合じゃない!


 重要な会議の時刻が近づいているものの、おかしな妄想を楽しむ余裕が、俺にはまだあった。


 駅の反対側に出る。

 駅前ロータリーをぐるりと見回す。

 そこに交番はなかった。

 

 俺は呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす。

 気を取り直して、駅前ロータリーを囲む建物をしらみつぶしに確認する。

 コンビニ、牛丼屋、ラーメン屋、チェーン店の飲み屋、工事中の建物……


 ふははは! 明智君、分かったぞ!

 交番を壊した犯人は、工事現場のオッサンだ!


 いや、交番を改修しているおじさんたちはこれっぽっちも悪くないか。

 変なこと言って、えろうすんません。


 それにしても、困った。

 この財布、どうしたらよいのか。

 落ちていた場所に置き直すか。

 いやいや、そういうわけにはいかないな。

 乗りかかった船だ、最後まで面倒を見ようじゃないか。


 おまわりさんに会うべく、地理に詳しい親切な地元民を探す。


 急ぎ足のおじさんは目をあわせてくれない。

 駆け足のお姉さんも同様。

 スマホを見ながら歩く学生さんは論外だ。


 どうしましょう……


 なーんて感じで悩んでいると、神が(つか)わしたたすびとがご都合主義のようにあらわれる。


「お兄さん。なにか困ったことでも?」


 天使があらわれた。

 いや、天使と呼ぶにはよわいを七十くらい重ねすぎているかもしれない。

 それでも、天使と呼びたくなるような、かわいらしい老女がそこにいた。


 ちんまりした老女はニコニコしながら、ゴミ袋を持っている。

 地元の老人会のボランティアだろうか。

 よく見ると、お仲間もたくさんいる。

 ええもう。朝早くからご苦労様でございます。


 他人ひとの話をマジメに聞くふりをするのが得意な俺は、天使たちと会話する。


俺:「拾った財布を交番に届けに来たんですけど……」

天使たち:「あらあら偉いわね。それにしても暑いわね」「おーい、ごみ袋まだあったか?」「早くいっぺえ呑みてえなあ」

俺:「そしたら、交番は工事中で……」

天使たち:「あらあら大変ね。それにしても本当に暑いわね」「おーい、軍手はまだあったか?」「早く焼き鳥喰いてえなあ」

俺:「近くに警察署はありませんか?」

天使たち:「「「この道を進んで、二つ目の信号を右折して、少し行ったところ」」」


 突如、かなでられるハーモニー。(実際はちょっとバラけた)


 いやもう、助かります。


 にぎやかに話を続けようとする天使たちの輪からそっとフェイドアウトした俺は、さっそく警察署に向かう。


 さらに気温が上昇してきたので、俺はスーツの上着を脱ぎ、左手に抱える。右手にはピンク色の財布。

 俺はもりもり歩く。ひたすら歩く。

 結局、「少し行ったところ」は一キロ以上先だった。

 天使たちは健脚けんきゃくさんぞろいだと思った。


「拾得物ですか? ご苦労様です……ほう、こちらで拾ったんですか。わざわざ遠くまで来て頂いてご苦労様です」


 財布が落ちていた場所を地図で確認しながら、警察署のおまわりさんが俺に謝意を述べる。


 駅前の交番は工事中だったからここまで来たと、俺は理由を答える。


「駅前ロータリーから一本脇に入った道沿いに臨時の交番がありますよ? 気づきませんでしたか?」


 おまわりさんの言葉に、俺は固まる。


 もしや、道を教えてくれた天使たちは堕天使(だてんし)だったのか?

 適当に話を聞き流したのが、そんなに悪かったのか?

 自分の知りたいことだけ聞いて、サヨナラしたのがいけなかったのか?


 だが俺は、自分の考えが間違っていることにすぐ気づく。


 俺の質問は「近くに警察署はありませんか?」だった。

 交番の在り処は尋ねていない。


 そうとも。天使たちが教えてくれた「近くの警察署」への道案内は正確だった。

 もし、反省すべき人間がいるとしたら、質問の仕方が適切でなかった俺だ。

 仕事でも具体的な指示は大事だ。

 部長の言う「とにかく頑張れ」では、何から手をつけたら良いのか分からない!

 おっと、最後は愚痴になっちまったな。


 まあいい。

 この失敗は今日の会議に活かそう。

 スーパーポジティブな俺はそう結論付けた。


「あなたは拾得物の五分から二割のお礼を受け取る権利があります。どうされますか? 手続きの書類の作成に少々お時間はかかりますが……」

「いえ、結構です。おまわりさん、もう帰って良いですか?」

「はい、大丈夫です。お疲れ様でした」


 気づけば時刻は八時を過ぎている。 

 今日は九時から大きな会議がある。

 既に外の気温は夏真っ盛り。

 俺は急いで会社に向かって駆け出した。


<追記>


 その日、部長に急用ができて、会議は流れましたとさ。

 なんじゃそりゃ!


 おしまい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結局会議がなかった、という部分で笑いました。 財布を拾うために早起きしたようなものですね。 主人公の実直でユーモアのある性格が素敵でした(^^)
[一言] 実話かい!
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