急
「ねえ、いいじゃん。もうちょい付き合ってよー」
「門限が近いので遠慮します」
犬飼が足早に立ち去ろうとする。が、相手の男は、ピッタリと横に張り付いてくる。
こんなことになるならやっぱり合コンに来るんじゃなかったと、犬飼は激しく後悔する。
気分が悪くなるほど香水の匂いを纏ったこの男は、今日の合コンで潤が連れてきた中学時代の友人だった。
最初はよく喋りかけられると思うくらいだったのだが、完全に標的にされていたことに気づいた時には、鬱陶しいほど馴れ馴れしくなっていた。
合コンが終わって二次会になりそうになり、門限を理由になんとか帰ることができたが、この男だけは引き剥がすことができなかった。
「じゃあ、親御さんに連絡すればいいじゃん」
「明日も学校なので、早く帰りたいんです」
「ほんと、マジメだねー」
(もう、本当しつこい!)
笑顔が引きつっているのを自覚しながら、犬飼はひたすら歩き続ける。だが、このまま帰ると、家を知られて面倒なので、このまま帰るわけにも行かなかった。
「なあ、いつまで歩き続けるの。もう疲れたんですけど」
「……」
「ねえ、聞いてるー?」
「……」
黙々と歩き続けながらどうしたらいいか考えていると、
ーー突然、腕を掴まれる。
驚いて振り返ると、男が腕を掴んでいた。
「ちょ、ちょっと!」
「だから、もうちょい付き合ってって」
掴まれた腕を振り解こうと動かすが、男の力が強く、離れない。
男の掴んでいる手が、更に力が込められる。
「ちょっと、痛い! 離してください!」
「だって、離したら逃げるじゃん」
必死に腕を引っ張るが、全く抜け出せない。
周りに助けを求めようにも、いつの間にか人気がいない場所まで歩いていたことに、今になって気づく。
「ま、ひとまず、ちょっと話そうよ、ね?」
男に強く引っ張られ、来た道を戻っていく。下卑た笑みが恐ろしく見え、声が出せなくなる。
頭の中が不安に塗りつぶされ、合コンに来たことを後悔しーー
「す、すまん、犬飼さん。遅れた」
男の目前を、黒髪の少年が立ち塞がっていた。
肩で息をする少年の手にはレジ袋がある。
少年が見知った人物だとわかり、安心して、全身の力が抜ける。
「おそいですよ」
「携帯で送られたGPSだけだったから、結構走ったんだが」
「お前、誰?」
犬飼から手を離し、男が猫塚を鋭い目で見下ろす。まるで大人と子供のように見えた。
「ただの通りすがりですが」
「だったら、どいてくんない。俺たち、今から遊びに行くんだからさ」
猫塚が男の肩越しに、犬飼を見る。
「嫌がっているみたいですけど」
「違う違う。ちょっとあれよ、恥ずかしがってるだけだよ」
猫塚が、男を見上げる。
「嫌がってるの、見ただけでわかるんですけど」
「だから、嫌がってないって言ってんじゃん。それに、あんたには関係ないでしょ?」
「関係はある」
猫塚の目が鋭くなる。
「高校でたった一人の友達だから」
「何カッコつけてんの、ダッサ」
「あ、そうだ。ひとつ言い忘れてた」
猫塚がポケットから携帯から出して、男に見せる。
「さっき犬飼さんから連絡もらった時に、警察に連絡したんだった」
「はあ⁉︎」
「いや、なんか事件だったらやばいと思って」
猫塚の視線にまっすぐに射抜かれて、男がわずかにひるむ。
「う、うそだ。うそに決まってる」
「だったら、勝手にそう思えばいい。もしこの状況で警察が来たら、どっちが悪いかはすぐにわかると思いますよね?」
「……クソ!」
男が足元にある空き缶を蹴る。静寂な夜に、カランと間抜けな音が響く。
怒りの視線が浴びせられるが、猫塚はどこ吹く風のように澄ました顔だった。
「てめえ、覚えとけよ」
「あんまり覚えるのは得意じゃないんで」
男が猫塚の横を通り過ぎ、遠くへと消える。
僅かに息を吐くと、猫塚が犬飼へと歩み寄る。
「大丈夫?」
「うん、ちょっと腕が痛いけど」
猫塚が犬飼の腕を見る。そこには、手を掴まれた赤い跡がついていた。
「でも、警察まで呼ばなくてよかったのに」
「ああ、嘘だよ」
「え?」
犬飼の間の抜けた顔をみて、猫塚が僅かに笑う。
「何があったのかもわからないのに、警察なんて呼べないだろ」
「じゃ、じゃあ、もし嘘だってバレたらどうするつもりだったの」
「そんなの考えてる余裕なかったんだって」
真顔の猫塚を尻目に、犬飼は重い溜息を吐く。
「本当にバレなくてよかった」
「ともかく帰ろう。送る」
猫塚が犬飼に手を伸ばす。
「今日の自己紹介の時もやりましたね」
「そうだな」
犬飼が猫塚の手を掴んだ。
「ごめんね、ナオちゃん」
「いいよ、別に」
頭を下げる女子生徒に、犬飼が首を振っていた。
そんな二人を盗み見ながら、猫塚が席に座って、欠伸をする。
犬飼を無事に家へ送った後、あの男に付きまとわれていないか心配だったが、今の様子を見るに特になかったようだ。
それなら別にいいかと思いながら、腕を枕にして寝ようとして、人影が現れる。
頭を上げると、犬飼が立っていた。
「お友達はいいの?」
「うん、もういいの。なんとかしてくれるみたいだし」
「そっか、なら安心だな」
犬飼が素直に頷く。
「なら、寝る」
「あ、もしかして邪魔しちゃった」
「別に、大丈夫だ」
猫塚が顔を机に伏せ、目を閉じる。
「じゃあ、また後でね」
犬飼が立ち去った気配を感じ、猫塚は意識を手放した。




