破
夕日が差し込む教室。
周りの生徒たちが廊下へと消えていく中、猫塚は机の下でキーホルダーを眺めていた。
派手なピンク色の髪の男と視線が合う。
(……本当にあの子のものなのだろうか?)
机の下から顔を上げると、そこには友人と談笑する女子生徒。見間違えでなければ、昼休みにあの場所にいた女子生徒。
だが、どう考えても、校舎裏での叫んでいた彼女だとは思えない。
(ひとまず、聞いてみるしかないか)
キーホルダーをポケットに入れて立ち上がると、女子生徒の所まで歩く。
「ちょっといいですか」
「……え?」
教室で孤立している猫塚に、まさか話しかけられるとは思っていなかっただろう女子生徒がすごく驚いた表情を浮かべた。
「ちょっと渡したいものがあるんで、廊下に来てもらえますか?」
「あ、うん、別にいいですけど」
その返事を聞いた猫塚が先に廊下に出る。女子生徒も後に続いて廊下に出る。
スカートの裾を払う女子生徒の顔には、戸惑いと不安が混じっていた。
「猫塚くん、その渡したいものって?」
「これなんですけど」
猫塚がキーホルダーを見せると、女子生徒の表情が一瞬で固まる。
「校舎裏で落ちてたんですよ、これ」
「へ、へえー、そ、そうなんだ」
女子生徒が引きつった笑みを浮かべる。が、すぐに何かに気づいたような表情を浮かべた後、目前まで一気に詰め寄る。
あまりの勢いに、思わず猫塚が仰け反る。
「……見てませんよね」
「校舎裏のことですか?」
女子生徒の顔が青ざめる。
「見て、たんですか」
「まあ、不可抗力というか、偶然というか」
猫塚が言い淀んでいると、突然、ポケットから財布を取り出す。
女子生徒の顔は、まるで大事なものを差し出すかのように悲痛な表情をしていた。
「お金ですか?」
「……は?」
「何円ですか? 一万ですか、二万ですか?」
「いや、別にいらーー」
「まさか、五万円ですか?」
「だから、いらないんですけど」
「嘘です! 私は騙されませんよ」
女子生徒が鬼気迫る表情で叫ぶ。
次々に変わる表情に感心しながらも、猫塚はため息が出る。
下校を始めた生徒たちが、猫塚たちを避けながら廊下を歩いていく。近くを通るたびに、ちらちらと視線を向ける。
あらぬ方向に話が転がっていることを感じ、猫塚が落ち着くように手で制す。
「ひとまず落ち着いてください」
「落ち着いてられませんよ!」
猫塚は女子生徒の思い込みの激しさに、思わず頭を抱えたくなる。
このままでは会話が成り立たないと思った猫塚が、不意にある案が思いつく。
「分かりました。なら、ちょっと来てください」
「いいわよ! もう煮るなり焼くなり好きにして下さい!」
女子生徒の悲痛な叫び声が廊下に響き渡る。
周りの突き刺さる視線を背に、猫塚は足早に歩いて行った。
「……あの」
「何ですか?」
「私、何やってるんですかね?」
女子生徒が目前の光景を見ながら、力なく呟く。
「何って、猫の餌やりですけど」
「いや、それはわかるんですけど」
目前の光景ーー缶詰を大勢で囲む猫を見ていた女子生徒が、振り返る。
その先にいた猫塚は、隠れていた扉の蔭からわずかに顔を出す。
「猫アレルギーで餌がやれないから、手伝ってもらおうかなーと」
「いや、そういうことじゃなくて」
女子生徒が勢い良く立ち上がる。猫たちが驚き、四方に散らばる。
「お金とか要求しないんですか?」
「最初から言ってるんですけど、脅すつもりはないですって」
「……本当、だったんですね」
女子生徒が気の抜けた表情で立ち尽くす。猫たちは、女子生徒を警戒して中々缶詰に近づかない。
それに気づいた女子生徒が距離を離すと、猫たちは恐る恐る缶詰に近づき食べ始める。
微笑ましい光景を眺めていると、女子生徒が猫塚の元まで戻り、コンクリートの床に腰を下ろす。
「いつも、叫んでるのか?」
「え?」
「昼休みのやつ」
猫塚が尋ねると、女子生徒は気まずそうに苦笑する。
「たまにだけですよ。いつもはしません」
「なんで、叫んでるんだ?」
猫塚の疑問に、女子生徒が猫たちを眺めながら答える。
「私、中学まで友達いなかったんだよね」
「意外だな」
猫塚の言葉に対して、女子生徒が寂しげに笑みを浮かべる。
「だから高校に行ったら友達作ろうと思って、大好きな趣味を隠すことにしたの」
「趣味って?」
「いわゆるオタク趣味ってやつ」
女子生徒がポケットからキーホルダーを出す。
「でも、このキャラだけはどうしても家に置いておくことができなかったから、ポケットに入れてたの」
「それで落としたら、ダメだと思うが」
「うん、結構気をつけてたんだけどね」
猫塚の鋭い指摘に、女子生徒が肩を落とす。
「今日は行きたくない合コンに行かなきゃダメだから、余計ストレス溜まって」
「合コンに行きたくないのか?」
「三次元には興味ないからね」
「だったら、行かなきゃいいんじゃないか」
「そういうわけにはいかないでしょ。友達付き合いがあるし、それに……」
「それに」
女子生徒は立ち上がり、体を伸ばす。
「友達いないのって結構きついんですよね」
「……それ、俺に言うのか」
「あ、いや、猫塚くんはまだこれから友達できるかもしれないでしょ」
「取って付けたように言われても」
「あははは……あ、そうだ」
女子生徒が猫塚の方に振り返る。
「猫塚くんの友達作りに協力するよ」
「別にいい。自分でなんとかするし」
「いいからいいから。私も秘密を守ってもらってるんだし」
猫塚がため息を吐く。
「まあ、なんか手伝って欲しいことがあったら頼むよ」
「うん、よろしく」
女子生徒の笑顔を見て、猫塚が気づく。
「そういえば、名前知らないんだが」
「それってひどくない」
「仕方ないだろ。記憶力は悪いんだから」
「もう、仕方ないな」
女子生徒が、猫塚に手を伸ばす。
「私の名前は犬飼奈央。これからよろしく」
「こっちこそ」
猫塚が、犬飼の手を掴む。
久しぶりの手をつないだ感触に、猫塚は少し感動していた。
いつの間にか、窓の外は夜に変わっていた。
携帯をじっと眺めていた猫塚は、寝転んでいたベットから体を起こして伸ばす。手にある携帯の画面は、SNSのアプリを起動しており、そこには犬飼奈央の文字があった。
あれから猫の餌やりをやってもらった後、猫塚は犬飼奈央と連絡先を交換していた。
最後に分かれた時の、犬飼の言葉を思い出す。
『いつでも連絡していいからね』
「そう言われてもなかなか出来ないわ」
携帯をベッドに置いて、天井をなんとなく眺めていると、
「あ、猫缶買うの忘れた」
短くため息をついた後、ベッドにある携帯を持って立ち上がる。そして、机に置いた財布をポケットに入れ、部屋を出た。
「ありがとうございましたー」
店員の元気無い声を背に、猫塚は外に出た。
まだわずかに残った冬の寒さに体を縮ませて、猫塚は家へと戻っていく。
明日はどうやって猫に餌やりをしようと考えて、犬飼の顔が浮かぶ。が、すぐに頭を振ってかき消す。
(あんまり頼むと、なんか悪いしな)
猫缶が入ったレジ袋を揺らしながらしばらく歩いていると、ポケットが振動する。
振動元の携帯をポケットから取り出すと、犬飼からメッセージが来ていた。猫塚がSNSのアプリを開くと、携帯のGPSの情報と一言こう書かれていた。
『助けてください』




