9 通訳
ンッフ。
お初にお目にかかります。外交官——ではなく、その補佐となる通訳をしているマルヴル・ドアン・セルシェフです。
一応貴族ではありますが、言語の才能以外はあまり見るところもない、低位貴族です。
今日は、ンフ族の首長と対面して、自治権の交渉に向かいます。外交官の補佐と言っていましたが、相手との交渉日時があらかじめ決められておりそう長引くわけではなく、旅程も楽ではないために訪問頻度も低いため、実際それ以外の時間はこうして国の内々の他言語を喋る人種との交渉を行うのです。
ンフ族は髪が長ければ長いほど美人とされており、ズルズルと引きずるような艶やかな長い髪を持っています。色は多種多様ですが、それぞれに美しさがありますね。相手の髪を踏む、切るなどの行為は以ての外、加えて髪に口づけをするのが求婚の行動だそうです。
で、私が呼ばれたのは、今回のンフ族の言語なのです。
ンフ族は、全ての意味をイントネーションだけに詰め込んで、発する言葉は全てが『ンフ』。おかげで聞き取れなかった交渉団の通訳の一人が途中でその使節の一人をうっかり口説いてしまったようで、私が呼ばれたようです。
どうもそこそこ髪が短い子で顔も可愛らしく、口説いた方もまんざらではないとか。惚気はいらないです。独身の私への当てつけでしょう!
くぅっ、妬ましい!
さて、交渉現場に到着すると、相手のンフ族が、「ンフ!ンッフ!!」と叫んでいました。
「出て行け!余所者が!!」というニュアンスですね。
何をしたらそんなに激昂させることができるのですか。基本的には丁寧な行動を心がけていたはずではないのですか。
心の中で突っ込みますが、私は穏やかな笑みを浮かべて、「ンフンフンフ、ンフフ?」と尋ねます。私はいま到着したのですが、一体どう言うことでしょうかという意味です。
「ンッフ……ンフンフ、ンフンフンフンフ、ンッフ」
どうやら護衛として雇われていた冒険者の一人が、無理やり交渉のテーブルについている首長の娘を手篭めにしそうになったと言うことです。
なんということをしてくれたのですか、とため息をつきながら、その旨を通訳すれば、全員が真っ青になって、その冒険者の呼び寄せを行いました。どうもすでに罰を与えられていたのか、腕が焼き切られています。
その割に上に連絡が来なかったことを不思議に思っていたのですが……。
即刻冒険者協会に連絡を取り、その男を即刻除名させて、加えて犯罪奴隷として自由市民の証書を剥奪します。
男は泣き喚いていましたが、相手を怒らせるとろくなことにならないので、解放することもできません。
「実に申し訳ないことをした。同行者といえど、我々の監督不行き届きであった」
幸い未遂であったものの、それを防いだちゃんとした冒険者もいたらしいです。それで冒険者達の内々で処理したことになって、上まで連絡が来なかったのでしょう。ようやく納得がいきました。
腕を切りとばしながらその断面を焼き切ったらしく、出血で死ぬことはありませんでした。
……慈悲深そうに見えますが、普通に切れた方が治療が可能ですから、ひどい目に合わせていた方がいい今回に限り、大変に素晴らしい判断です。
よくやってくださいました。
「ンッフ……ンフンフ、ンフフ?」
「ンフフ、ンッフ」
どうやらその冒険者に礼を言いたかったらしく、そのお嬢さんがさっと出てきました。金色のツヤを持った美しい髪の隙間から、真っ白な肌をした幼げな顔立ちが覗きます。
庇護欲をそそられ、かつ妙な色気のある顔、体つきも影響しているのでしょう。首長の家で歓待されていた者が、……言ってはなんですが……娼婦の類なのだと勘違いしていても迂闊には責められません。酒が入って理性を飛ばしていれば、そのこともうなずけます。
私は即刻、助けた側——セディアという冒険者をここにと叫びます。彼の名前は聞いたことがありますね、街の英雄とか、ひよっこ英雄だとか。
先だって大きな強い魔物を倒したという情報が入ってきた時には、驚くほどに貴族の間でも話題になりました。実際に出てきて暴れられれば、中心の貴族街の方にも影響が出ていたでしょうしね。
今回のことでも、きっと名をあげるのでしょうと思いながら、私は通訳のお仕事を続けます。
「ンフフ、ンフフ、ンッフ」
「この度は、娘の件誠に感謝しております」
「ンッフ……ンフフ、ンッフ?」
「つきましては……娘など、いかがで——しょうか?」
一瞬訳し間違えてしまったのかと思い、確認を取るように他の通訳を見回すと、どうも他の通訳もびっくりしたように私を見ます。
ぴきりと固まった冒険者を尻目に、私もため息をつきます。この少年は非常にウブなようで真っ赤になってしどろもどろになりながら、あのとかそのとか言いながらプルプル震えております。
ですが、娘さんからの反応もまた良いようですね。父親を真っ赤になりながら張り飛ばしております。
『言葉が通じないのよ!?いくら親切そうでも無理でしょ!そりゃあ気になりはするけど……ってなに言わせるのよバカ!!』
意訳すればこのような感じでしょうか?
あ、そろそろ解放してあげてください。顔を殴ってうっかり怪我でもしたら、話が通じにくくなってしまいますので。
はっきり言って通訳は相手の言うこと言うこと全てがわかってしまうために、大変にハラハラする職でもございます。
あとはうっかり訳し間違えて、このあいだの口説いた男のようになることもございますから……。
「ンッフ……ンフンフ、ンフンフ、ンフフ」
「セディアさん。そちらのお嬢様がおっしゃるには、私がそちらの言葉を覚えるまで、結婚は待っててね、だそうです」
「……えぇ!?押しかけ嫁ですか!?」
「そういうことですね」
娘さんがほっぺたを押さえたまま体を左右に揺らしいやいやと照れています。セディア少年は……赤くなっている顔を両手で覆って、プルプル震えています。耳が真っ赤なので、モロバレでしょうが。
なんでしょうか、この心の中にくすぶっていくモヤモヤは。このほんのり甘ったるい空気に当てられただけでしょうか、いえそれだけではなさそうですね。何か見ていると机でも叩きたくなるような、繋いでいる手を手刀ですぱっとやりたくなるような……。
恋人が欲しいです。切実に。
「……そういうわけですので、急いで交渉に移りましょうか」
「あ、ああ」
「ンッフ」
その場に集まった冒険者と娘さん以外の目が遠くを見つめていたのに気づいて、この空気にあてられたのは自分だけではないと気づいて話をなんとか方向修正することができました。
交渉の方も、娘さんがこちらの味方についてくれたためになかなかうまく進んでくれました。お偉方の荒んだような目つきが、ひどく気にかかりましたが。
その後、冒険者とその娘さんの仲がどうなったかは詳しくは存じ上げませんが、とりあえずこれだけは言わせてください。
その昔、この大陸に現れた異世界転移者が語った、あまりに熱い恋人たちに対して言った、金言です。
それでは、言わせていただきます。
「リア充、爆発しろ!」
お耳汚し、失礼いたしました。
もしンフ族の言語を学びたいのであれば、私達の部署においでください。我々の部署は人手がかなり不足していますので、いつでも歓迎いたします。
……ただし、部署内に恋愛関係を持ち込むのだけは禁止ですからね。やるなら見えないところでしてください。頼みますから。
お読みくださりありがとうございます!