小物の愉悦、大物の重さ(卅と一夜の短篇第13回)
ある太った元独裁者がこの上なく正確な、この上なく巨大な天秤の天秤皿に乗っている。皿の直径は50メートル。巨大な雪花石膏を切り出したような皿で、見ているだけでも清廉で、すがすがしい気分にさせてくれる。
彼の国を『解放』した大国はまだしばらくは彼を殺すつもりはないらしく、その点で彼はホッとしている。今、元独裁者の乗っている天秤皿は彼の重みで目一杯下がっている。彼の国を『解放』した大国の科学者たちはもう一方の皿にどんなものを乗せれば、天秤が釣り合うかを話し合っていた。
科学者の一人が言った。
「富を乗せよう。この世の全てを買えるできるだけの富を」
もう一方の天秤皿に札束、金塊、宝石、有価証券がどっさり乗った。
だが、天秤は少しも動かない。元独裁者の乗った皿は相変わらず下がっている。
別の科学者が言った。
「知識を乗せよう。この世の全てを理解できるだけの知識を」
羊皮紙の書物、巻物、古代の石版、大容量記憶デバイスがさらに乗せられた。
だが、天秤は動かない。
さらに別の科学者が言った。
「武器を乗せよう。この世の全てを征服できるだけの武器を」
刀剣や大砲、機関銃、元独裁者があれだけ欲しがったがついに得られなかった核爆弾が乗せられた。
だが、天秤は動かない。
科学者たちは頭をかかえた。もう何を乗せればいいのか、さっぱり分からなかった。
一方、元独裁者はというと、上機嫌。何せ、巨万の富や膨大な知識、大量の武器よりも重い存在なのだ。つまり、元独裁者はまだ重要人物なのだ。こそばゆい心地よさを感じずにはいられない。
そのとき、一匹の蝿がやってきた。透明な羽をぶんぶん鳴らしながら、蝿は科学者たちの上を旋回し、そのうち金と本と武器が山積みにされた天秤皿に止まった。
その途端、元独裁者の乗っている天秤皿がぐぐっと上がり始めた。
科学者たちは目を丸くし、元独裁者も多少驚いた。
ちっぽけな蝿も凶悪で醜悪な元独裁者も一つの命という点では同じ。
この実験の教訓はそんなところなのかもしれない。
元独裁者の皿と蝿の乗った皿が同じ高さにそろった。
ところが、皿は動くのをやめず、蝿の皿が沈み、元独裁者の皿は上っていく。
最初は蝿の皿に乗っている札束だの銃だののせいだと思っていたが、それでは説明がつかないくらいの速度で元独裁者の皿がぐんぐん上がり始めた。
科学者たちがまた騒ぎ始めた。
ついにとうとう元独裁者の皿は天秤から外れて、見えない巨大な手に持ち上げられるように空高く上っていった。
おれの命は蝿より軽いのか、と憤っている場合ではない。元独裁者の皿はもう青い空のなか、巨大な雲のなかに飲み込まれようとしている。
ああ。そうだ。あの蝿は蝿の王だったのだ。元独裁者は今更になって気づいた。
だが、手遅れ。
影が複雑に連なった入道雲のなかで雷が轟いている。頭上から迫る、うっすら光る白い空間に裁きの予兆を見た元独裁者はなすすべもなくただただ震える。