さん
たがが外れるとか、歯車が狂うとか、そんな言葉って色々あるじゃん。まぁ要するに人では到底作れない乱数列によって現世は成り立ってるって話なんだけど。
「可愛いね、お嬢ちゃん」
あたしはどこで間違えた? そもそもあたしは間違えたの? いや、それだけは確かか。しほちゃんに着いて行ったあの時がすべて。
「俺たちヒマなんだけどさ」
「あーそうなんだ」
「付き合ってくんない?」
イライラしてくる。こいつらじゃない。あの先輩に。例えあたしが薄暗い中裏道に連れ込まれていようが、あたしより大きな男三人に囲まれていようが、矛先は常にあいつに向いている。
「あれ? ミホじゃん」
だから八つ当たりと称して微塵切りにしてやろうかなって思ってた。頭を下げて、左足に力を込める。その瞬間に声が聞こえた。……大丈夫。まだ使ってない。
「何してんだよ、待ちくたびれてんだぞ」
「は? お前誰?」
「お前って……」
声の方にいたのは、見たことない制服を着た男の人。……なんか、あや先輩のと似てる気がしないでもないけど。スタスタとあたしたちに近づいてくる。
「お前らこそガキだろ。敬え、先輩だぞ」
一番奥にいたあたしの前までスタスタと、さも当然のように歩いてくる。……まぁ、なんだかんだ言って、微塵切りにしようとしたやつらよりちょっと大きいし、先輩なんだろうね。
「ほら、行くぞ」
ガシッと右腕を掴まれた。力を込めようとしてたところだったからちょっと前のめりになってた右腕。それは力まかせに引っ張られる。
囲んでいた三人の間をスルスルとすり抜けていくあたしと男の人。ポカーンと口を開けて、虫を投げ入れてもそのまま飲み込みそうな顔を三人はしている。そして、それはあたしも。
「ミホって……誰?」
ズシャアァァッ!! って音がした。突然立てられたことに変わりはないけど、物事っていうのは物と事ってのがあって起きるもの。だから整理してみる。
あたしが聞いた。ミホって誰? って。だってあたしミホじゃないし。そうしたら、右腕から手が離れた。そして男の人は、顔面から地面へと滑りこんでいった。
「……何やってんの?」
正直ドン引きなんですけど。意味分かんないし。そもそもこいつも誰? あたしなんで見ず知らずの人に連れて行かれそうになってたの?
倒れた男の人は答えない。起き上がらない。嘘ごめん、起きた。傷だらけの顔であたしを見つめてくる。……いやちょっと、ドン引きなんですけど?
「後ちょっとだっだだろーーーーっ!!!」
「……何が?」
「……え、何? お前もしかして乗り気だったの?」
……だから何が? 今聞かれたのって何? 乗り気だったかって? そりゃ、乗り気といえば乗り気だったけど、イライラしてたし。でもやっぱり意味わかんない。
「面白いじゃないっすか、先輩さんよ」
あたしはまだわかんないままだけど、固まってた三人は理解できたみたい。あたしに言い寄っていた茶髪のちゃらちゃらしてる、リーダーっぽいやつがあたしたちに近づいてくる。
ちなみに今、三人に近い位置にいるのは倒れたまま顔を上げた男の人。進もうとする勢いのままに手を離されたから、軽く投げ飛ばされた感じ。
「舐めてんじゃねーぞ」
そしてそのリーダーっぽいやつは、胸元からナイフを取り出していた。……ああいうのって、自分が危ないんじゃないの? 別に知ったこっちゃないけど。
「わーお……」
あとの二人はその様子をニヤニヤと見ている。ようやく起き上がった男の人もそれを見て、絶句している。まぁ、仕方ないか。どうしようもないしね、この場合って。
だからまぁ、いっか。まだ使ってなかったし。使うことも……あたしが絡みに行かなかったら、多分もうないだろうし。今日はちょっと、精神状態が普通じゃなかった。
「え?」
起き上がろうとしていた男の人の前に出る。戸惑いの声は、傷だらけの顔から発されていた。
「……きみさー、見えてる? これ」
「そのナイフ?」
「いやいや、見えてるんだったらさ、なおさら逝っちゃってるでしょ」
頭を下げる。左足に力を込める。そして、今回は使った。
「……はぁっ!?」
力を込めた左足で地面を蹴飛ばすと、すぐそこには茶髪の顔がある。整っているようで整っていない、雰囲気だけの顔。その前に、右手をかざす。
戸惑いの声はきっと、あたしを見ていた視線が肌色に染まったから。かざした右手は、雰囲気顔の左耳をかすめていく。
そしてもう一つの手は、ナイフを持っている右手、じゃなくて右手首をつかんで、ぐいっとあたし側に引き寄せる。
……あっ、これって、片手でもできる? できない? ……ちょっと待って、ミスったんだけど!? まぁいいやもう、なんでもいいや!
くるっと体を回転させて、引っ張りこんだ右腕を右肩に乗せる。引っ張りこむのはそのままに、あたしも体を同じ方向へと突き出した。
「……」
「……」
「……」
「折れてないじゃない」
漫画だとこれで腕折れてたけど。何か足りない? まぁいっか、別に。仰向けになって遠くを見ている茶髪の手からナイフをもらう。そしてそれを、丁寧に制服の内ポケットに戻してあげた。
「……」
「……」
「ん? 何見てんのよ」
残った二人は、倒れた茶髪じゃなくて、あたしを見ていた。だから聞いてみた。まだ何か用があるのかって思って。でも答えはなかった。二人で顔を見合わせたかと思うと、走っていったから。
可哀想に。早く目が覚めるか、優しい人が通りかかるといいね。
「で、あんたは誰なのよ」
で、その逆。起き上がろうとしていた男の人は、起き上がろうとしていた状態で止まっていた。それって疲れない? 聞くまでもなく疲れるよね。何してんの?
「……俺、白坂章仁」
「何するつもりだったのよ」
「……女の子が男たちに裏道連れてかれてたから、見捨てておけなくて……」
「なるほど。ストーカーしてたと」
「後半まで聞けよ!!」
うわ、なんか起き上がった。血が流れる顔をあたしに寄せてきた。ドン引きなんですけど……。でもまぁ、動機は不純じゃない、か。
「ならありがとう」
「……立場逆じゃね?」
「え? かよわいあたしが欲望に迫られてるのが?」
「っ……」
「え? なんて?」
「ツッコミどころ満載だけど入れたら投げ飛ばされるだろ俺!!」
言葉やイントネーションは神経を逆なでするって書いてたけど、まさにその通りじゃない、これ。というか顔近い。
「いやいや、無理でしょ。かよわいって言ってるじゃない」
「……」
不満気に目を細めた男は、あたしの視線を誘導するかのように倒れている茶髪へと目を向ける。そしてまた目が合う。
こういう時に便利な言葉を知ってなかったら、あたしが使うわけないじゃない。
「火事場の力よ」
「……」
うわ、信じてない顔だ。どうでもいいけど、別に。やばいやつと思われることが、約束を破るってことにはつながらないから。
「……お前、門限は?」
「はい?」
「言ったろ、立場逆だって。ガキだろお前」
……言われてみて気付いた。元々薄暗く、赤焼に染まっていた空だったのに、もうそれは暗く染まり始めていた。最近じゃ補導って言葉もあるくらいだし、あたしそう言えば小五じゃない。
「だから?」
「送ってってやるよ」
……え? ……やっばーーーーーーーーーーい!!! 嘘、すごくやばいんだけど!? え、やばいやばいやばい! あたしやばいやつじゃないの!?
なんでそんなやばいやつを家に送るって発想出てくんの!? うわ、なんか近付いてくるし!! ちょっと待って、優しい人通ってよ!!
「むしろ送ってもらいたいんじゃないの? ガキに脅されて傷だらけになる先輩なんだし」
「……はいはい、わかったよ」
ちょっと芝居じみすぎたかな。そう思ったけど、……誰だっけ? この先輩。先輩は納得してくれた。苦虫を噛み潰したような苦痛でしかない表情だけど、納得してくれた。
ほっと胸をなでおろす。裏道から出て人通りも多くなり、一息つく。夕飯買おうとしてたのに、どれだけ時間食ったのよ……。
「まっすぐ帰れよ」
「もし怖かったら呼びなさいよ。助けてあげるから」
「……はぁ」
少ししつこかったかもしれないけど、それくらいで良かったと思う。初対面だし。そういうやつって認識されたら、……まぁ、会うこともないだろうけど。
ため息をついた先輩は、じゃあな、ってだけ言って手を振ってきた。見送るつもりなの? ……まぁ、すぐに曲がればいいだけの話か。
「じゃあねー」
くるりと回転して、先輩に背を向ける。そしてすぐに右へと曲がり、振り返る。……ついてきてないわね。よし、おっけー。
……っていうか、別に見られても、消せばよかったんじゃないの? ……ま、いっか。もうどうでもいいし。無駄遣いしなくてよかった。そう思い込んで、カップラーメンを買いに行くことにした。