いち
お父さんとの約束だよって言われたけど、正直な話、意味がわからない。なんで、改まって言うの? って話。だからあたしは返事をしなかった。
無言で家を出たあたしは、一年っていう短いようで長いような旅行、……もとい、留学に出かけた。
留学先に選んだ理由は一応ある。ちっぽけな存在の営みが知りたかったから。ただそれだけの話。なんとなく浮かんだことだったけど、行き先を聞かれた時は即答してた。
「おーい、置いてくよー」
「あ、待って待ってー!」
でもそれはきっと正解だった。生を受けたものとしての生き方は、位の違いに関わらず一緒だったから。それはあたしのところでは生を受けることすらできないものですら。
だからあたしは結果的に、約束を守ることにも成功していた。……成功していたと、思ってたんだけど……。
「連れてきたよー」
会わせたい人がいる。そう言われて来た先には、男の子がいた。何この暗そうな子。いや暗そうじゃないな……。何この、暗い子。
「こんにちは」
しほちゃんの呼びかけに頷いたその子は、挨拶をしてきた。……何なの、この暗い雰囲気は……。
「こんにちは」
今あたし、どんな顔してるんだろ……。確かめたいけど、この場で鏡出して見るとか、非常識だったはず……。
「……」
「……」
「……」
「……何?」
「何が?」
「いや、なんであたし呼ばれたの?」
「誰に呼ばれたの?」
無言が嫌だったから声をかけてみたのに、会話にはならなかった。あれ? 会話ってどうやって会話になるんだっけ? あたしが声をかける。こいつが返事をする。……会話、だよね。
「あたし? しほちゃん」
「僕は吉沢さん」
吉沢さん? 吉沢、吉沢……詩帆。しほちゃんじゃない!! って、しほちゃんどこに……。……すごく遠い場所から、ニコニコ笑って手を振っている。……。
「同じね」
「そうなの?」
「そうなの」
なんか、どうでもよくなった。まぁでも、経験が大事とはよく聞くことだから。あたしは何でも受け入れてみせる。例えどれだけ面倒なことでも。
「なんで来たの?」
「え? 吉沢さんに呼ばれたからだよ?」
……うん。その通りだった。でも違った。あたし、ボケてるって思われてたりする? 同じ意味で聞くわけがない。バカじゃないの?
「なんて呼ばれたの?」
「なんか、放課後に屋上で待ってます、って」
「告白じゃない!!」
「そうだよ。だからどう断ろうかなって、ずっと悩んでたんだよ」
「……」
「あ、もしかして、君? ごめんね」
「どこの誰で何様なの!?」
しかも断るんかい!! って言葉を必死に飲み込んでたのに、結局大声を出してしまった。ツッコミどころ多すぎ!!
本当にこいつどこの誰なの!? どうやって普通の教室で授業うけれたの!? 中学生なら赤点連発だったでしょ……。
「もしかして、君も呼ばれたの?」
「なんであんたに言う必要があるの?」
「あはは、そうだね」
睨みつけてみるけど、効いてる気はしない。相手にするだけ無駄、ってやつね。ちょうどいい区切りもつけてくれたし、後は帰るだけ。嘘ごめん。しほちゃんを捕まえないと。
ニコニコと笑ってるそいつを放っておいて、ドアをガチャリと開ける。叩きつけるように閉めたはずのドアだったけど、そいつに受け止められて音は鳴らなかった。
上履きとかいうよくわからない靴の音が、二つ響く階段を駆け下りる。履き替えようと下足に駆け込むと、そいつは見えなくなった。安心感で心がいっぱいになる。
心地良さに支配されながら靴を履き替えて、外に飛び出す。……そいつは、横に立っていた。
「ねぇ」
「何?」
「下足室って二つ作れないの?」
「君はどっちに曲がる?」
「は? 左だけど」
「その次は?」
「右」
「次は?」
「まっすぐ」
「そこ、僕の家だから」
……理不尽だった!! こんなの初めてなんだけど!? 意味は知ってたけどあたしに振りかかるものだとは思ってもなかったんだけど!?
っていうかこいつ、振った相手の後ろにへばりついて歩くって、どういう神経してんの!? あたしでもそれくらいわかるわよ!?
「あっそ」
「だから気にしないで」
言われなくてもね。結局のところ、あたしが無視してればいいだけの話。視線と気配は感じるけど、無視してればいいだけの話。そう考えて歩き始める。
砂地を踏みしめる、ザッザッっていう音。耳障りだなってずっと思ってたけど、ザッザッ、ザッザッ、ザッザッ……って……。
「近いのよ!!」
振り返ったあたしの口は、危うくそいつの口と重なるところだった。どれだけ近く歩くの!? やっぱり神経おかしい!!
「歩幅似てるんだね」
「んなわけあるかーっ!!」
こんなストーカーみたいなやつと似た者同士にはなりたくない。その一心でつばを飛ばしまくったけど、それもそいつには無力だった。
かかったつばをハンカチで拭きながら、それでもあたしの後ろを歩くそいつ。せめて前歩けよ! なら近くても歩幅似てることにしてあげるから!!
「あっ、ゆーちゃんっ」
結局そのまま校門を出たところで、知らないお姉さんが親しげに声をかけながら迫ってきた。……え、この人も頭おかしい人?
でもその人は、若干引いていたあたしの横を通りすぎて、後ろにいたそいつに駆け寄っていた。
「え、早いね」
「木曜は六時間目が担任だから。でも会ったことなかったよね、ゆーちゃんはどうだったの?」
……こいつ、ゆーちゃんって言うんだ。……ま、どうでもいいけど。というか振った理由ってこれか。まぁ勘違いはされないと思うけど、おじゃま虫は退散しますね。末永くお幸せに。
「屋上に呼び出されてた」
「……え?」
「大丈夫。女の子だから」
大丈夫じゃないだろーーーーーっ!! ごくりと飲み込んだ言葉。口には出さない。
だってあの人のことなんか、あたしは一切知らないんだから。例え目の前で痴話喧嘩が起ころうとも。
他人の関係に口を挟むほど、あたしはお人好しじゃないしね。
「そっかー……。まだこーんなにちっちゃいと思ってたけど、来年から中学生だもんね、ゆーちゃんも」
「……え、先輩なの?」
考えるよりも先に言葉が出てしまっていた。来年から中学生って、今六年生ってことでしょ? あたし、五年生なんだけど……。……嘘でしょ?
「あ、吉沢さんと同級生なの?」
「……まぁ」
「うん。先輩」
……なんか、話し方までむかついてきた。イライラしてきた。なんでこいつこんなゆったりと喋ってんの? ……まぁいい。もうどうでもいい。
「あっそ。じゃーね、せ、ん、ぱ、いっ」
ここに於ける概念なだけで、あたしはただ呼び方を変えるだけなんだから。二度と会うかーーーーっ!! って言葉は、横の彼女に免じて言わないであげる。
顔を合わせなかったら気持ちも鎮まっていく。そう考えて走ってみたけど、一回浮かんだ感情って刺激は、夜になっても収まらなかった。