じゅうさん
「え? あぁ……うん、おはよ」
ペナルティが下されるのは、思ったよりも早かった。朝の通学路で連日遭遇したしほちゃんに声をかけて、あたしは謝った。本来訪れるはずだった最後でも、あたしはこんな気持ちになってたのかな。そう考えて出てきた言葉は、謝罪の言葉だった。戸惑うしほちゃんにもう一度だけ声をかけて、学校に向かう。一つだけ確かめたいことがあったから。
「あれ、どうしたの?」
もしかして、って一瞬だけ、いや、今までずっと、頭から離れなかった。下足にはあたしの場所がない。履いてるのが上履きだから問題はないけど、嫌な予感は増幅していく。でも杞憂だったことがわかると少し、胸の奥が熱くなったような気がした。
「寂しかったのよ」
「……キャラ変わるのはお互いさまじゃない?」
「そうね。じゃ、放課後に」
先輩はあたしを忘れていなかった。それを確認できただけで、今は十分だった。先輩の返事を聞かないままに教室を飛び出したけど、行くあてなんかない。あるわけもない。あてもなくあたしはさまよう。小学生って身分がこんなにもどかしいものだって、こんな状況にならなかったら最後まで気づかなかったかもしれない。
一回、おじさんに歩みを止められてしまった。学校は? って聞かれて。それはなんですか? って答えて、一瞬怯んだ隙に、走って逃げた。追いかけられたら捕まってしまいそうな、年相応のスピード。でも警察のおじさんは追いかけてこなかった。それに安堵するあたしは、もうあたしじゃないとしか思えなかった。家に帰るのが正解なんだろうなって思ったけど、結局あたしは、公園のベンチに座って池を優雅に泳ぐ鯉を見続けていた。
放課後が迫り、再び学校へと向かう。放課後を知らせるチャイムを校門で聞く。ボーッと校舎を見つめていると、見知った人影が現れた。あたしと背丈の変わらない制服姿のその人はスーッとあたしの前を横切って、あたしと反対側に背を向け寄りかかった。……。
「あ、……お……姉ちゃん」
無性に言いたくなった言葉は、自分でも信じられないくらいに、震えてしまっていた。
「え?」
「……」
「え……? ……ええぇぇ!? 待って待って、どうしたの!?」
どうしたのって聞かれても、あたしにもわからない。ただ目の前にいる女性、あや先輩の姿が、妙に歪んでいる。
「ええぇー……? どうしよう、大丈夫……じゃないよね。お腹でも痛いの……?」
溢れ出る涙は何回拭っても止まらない。そんなあたしに、あや先輩は優しく宥めようとしてくれる。あぁ、やっぱり、ってあたしは思った。やっぱりこの人は優しかった。見ず知らずのあたしに対しても、こんな接し方ができるんだから。
「……何してるの?」
そして待ち人は来た。戸惑った声をしてるのはなんでだろう。もしかして、って事態が頭をよぎる。止まりかけていたはずの涙が、再びあふれ出してくる。脆弱な、矮小な存在だと思ってたのに。たったひとつの違いがなくなったら、こんなにも似通ってしまった。
「ゆーちゃん!? 違うよ、違うよ!? あたし泣かしてないよ!?」
「……もしかして、反対だった?」
「あたし泣かされてるの!? いや、厳密に言えばそうかもだけど!」
「ちっ、……が……う」
「あ、この子にね! 待って待って、ゆーちゃん、知ってる子なら助けてよ! どうしたのこの子、いじめられてるの!?」
今のあたしに言ってたの? 反対、って……。あぁ、あたしと先輩が好き合ってるって話ね。そんなわけないでしょ。後押ししてくれたのはあや先輩だったんだから。
「知ってるっていうか……。彼女?」
「……えええぇぇぇーーーーーーっ!?」
でも、だからこそすごく悲しい気持ちになってしまう。
「うそっ! いつの間に!? どこでどうやって!? っていうかこの子―――」
だって、そんなあや先輩はもう……。
「この子誰なの!?」
「……え?」
あたしを繋ぎ止めていた留学生って称号がなくなった今、この世界にあたしの居場所なんかない。それがこんなに悲しいことだって、なってみるまで気づかなかった。
「いやだから……僕の彼女」
「……えええぇぇぇーーーーーーっ!?」
「驚き方も同じなんだね……」
先輩の表情も、少しだけ歪んだ気がした。なんだろう。もしかして、先輩も忘れちゃうのかな。でもそれは仕方のないこと。もうあたしは受け入れることしかできないんだから。
「っていうかきみ、そういうことだったんだね」
「……そうよ」
「カンニングでどうにかならないの?」
……カンニング? ……あぁ。そう言えばそんな風にしか教えてなかったっけ。でも、よく覚えてるわね。言ったあたしが忘れてたのに。
「手遅れね」
試してないからわからないけど、使えるのはあと一回。失敗までカウントするのかわからないから、むやみやたらには使えないし、最後の一回は決まってる。だから無理。
「そっか……。でも、いいんじゃない?」
「……何がよ」
「だって言ってたでしょ? ずっと一緒にいてくれるって」
「……言った」
「なら大丈夫だよ」
「だから、何が……」
「忘れてもまたきっときみを好きになるから」
ま、忘れないと思うけど、って……こいつは、先輩は、笑顔でそう言った。やっぱりまだ陰鬱さを醸し出すような影は残ってるけど、それなのに……。なんでこんなに、安心しちゃうのかな。
「……え? あたし、来ない方が良かった?」
「察しなさいよ」
先輩にぽんぽんって頭を撫でられながら、呆然と立ち尽くしてるあや先輩に返事をする。……もう、大丈夫だから。
「はっきりすぎーー!! もうちょっとオブラートに包んでよ!」
「仕方ないわね……あや先輩」
「えっ……?」
「そうそう。別に見られたところで、だよね」
知らないはずの子どもに馴れ馴れしく、知らないあだ名で呼ばれる。そんな事態に困惑するあや先輩に、あたしはほくそ笑んでいた。でもなんか、肩を掴まれた。両方。へ? って言ったつもりの声は、ぶっ、って声になる。目の前に迫った顔は、特に普段と変わりない先輩の顔だった。
「……あんたね」
「え? 僕?」
「あんた以外誰がいるのよ……変態」
「だって察せって言ってたし、したかったんじゃないの?」
「……」
バカなの? っていう気にすらならなかった。なんとなく、目と目を合わせてたらまたされそうな気がしたから、視線を外す。……口は閉じたまま、目を見開いたあや先輩がいた。……やばい。かける言葉が見つからない。いやいっそ……かけなくてもいい?
「ゆーちゃんもだれ……?」
「……誰だっけ?」
……噛み合ってるんだか、噛み合っていないんだか。まぁ一生噛み合わないわね、この話題は。どうでもいいことだけど。
「っていうかあや先輩なんで来たの?」
「え? あ、あたし暇だったから、ゆーちゃんとケーキでも食べに行こうかなって……」
「そうなの? いいよ」
「……いやよくないよ!? 彼女いるじゃん! あたし誘えないよ!?」
「……え? あたし行っちゃダメなの?」
「いやいやいや! お二人でどうぞっ! あたしが要らないの!!」
「なんでよ……。一緒に行ったらいいじゃない」
彼氏彼女って言ってもあたしたち小学生よ? 入れないでしょ、そういう店。っていうか、あや先輩と一緒に行きたい。包み隠さず伝えた。だってあたしたちは友達だったから。
「……まぁいいけどさ」
「安心しなさいよ、一番安いのにするから」
「えぇーーー!? あたしが払うのーーーー!?」
だからまた、友達になろう? 恥ずかしいから口には出さないけど……。しほちゃんやいっちゃん、ゆきちゃんも某先輩とも、また仲良くなれたらいいな。そう思いながら、あたしは足を踏み出した。
「よぉ」
「よお」
挨拶から始めるなんていつ以来だっけ。一緒に暮らしてた時でも、朝の挨拶を交わした覚えなんかない。だから変な言葉でしか表現できなかった。
「……」
「なんだよ、元気じゃないのか?」
「……まぁ、そこそこね」
そしてやっぱり会話はできそうもなかった。ずっと着信拒否してたから。久しぶりの会話が照れくさかったから。
「あ、の……さ」
「ん? なんだよ」
そんな理由じゃないことは重々わかってる。たぶん、気づかれてもいる。
「……ごめん」
だからあたしは、謝ることしかできなかった。謝ろうって思ってた。謝るために電話をかけた。
「……何がだ?」
「約束、破っちゃった」
お父さんとの約束。無事に家に帰ること。こんな簡単なことを約束にするなんて、ボケ始めたの? って思ってたけど。
「決めたお前が謝ってどうすんだよ」
「……今日の朝思い出したし。厳密に言ったら、お父さんの存在だけを忘れてた。約束も破っちゃったな、とか、ペナルティなんか乗り切ってやる、とか、それは普通に覚えてた」
「……目の前にしてよく喋んな」
「……え? 声に出てた?」
「わざとだろ!!」
……何やってんだろ、あたし。照れ隠し、って言えたら可愛いかな。言えないけど。だって違うし。
「ねぇお父さん」
「なんだよ」
「今、どんな顔してる?」
あたしは通話を始めてからまだ、モニターに映るお父さんの顔を見れていない。
「どんなって、普通としか言いようねーだろ」
「……あたしは?」
「……笑ってんぞ、お前」
笑ってる? あたしが? 何言ってるのこのおっさん。そんなわけないじゃない。心の中で思っただけのはずなのに、掠れた声と一緒にしっかり言葉に出ちゃってた。さっきのはわざとだけど、今回は完璧に無意識のうちに。
「自分で選んだんだろ」
なら笑っとけよ。ぶっきらぼうに、でも優しく、あたしを包んでくれるような声色で、お父さんはそう言った。そんなの、無理に決まってるのに。
「……ごめんなさい」
でも、吹っ切れたような気がした。久しぶりに見たお父さんの顔は、なんか歪んでる。あたしの両頬にも違和感がある。本当はお父さんの言う通り、目と目を合わせて笑顔で言うべきなんだと思うけど、無理。あたしはもう、二度とお父さんと会えない。そう考えたら、やっぱり笑うことなんかできなかった。
「泣くなって。お前、そんな泣き虫だったか?」
「そう、なっちゃった……」
人って不思議なのね。たぶんこれは能力の弊害だから。
「これでお別れね」
「そうだな。ま、元気に過ごしてくれるなら、それで十分さ」
「あと、着信拒否しててごめん」
「やっぱりあれはわざとかてめええぇぇぇーーーーーっ!!!」
どさくさにまぎれて謝っておくと、やっぱり怒られた。ずっと湿っぽいのは嫌だったから。
「今までありがとう」
「……力は、あと一回だからな」
気丈に、淀みなく答えてくれていたお父さんだけど、最後の最後に、揺らいだような気がした。残るはひとつ。数え間違ってなかったことに安堵するし、やっぱりお父さんも親だったんだな、って思えた。
「うん。……じゃあね」
「……じゃあな」
その言葉を最後に、あたしを故郷と繋げていた唯一のモニターは役割を終えた。きっと、使えばあたしは星に帰れる。……ま、使わないけど。最後の力は決まってる。
あたしはこの星で生きる。さっきまでお父さんの顔を映していた場所はもうただの壁でしかないけど、あたしはもう一度頭を下げる。ありがとうとごめんなさい。そうつぶやいて上げた顔からは、もう涙は流れてこなかった。




