じゅうに
一人で帰る道のりは、少し心持ちが悪かった。確率が半々なのが特に。歩いていても気付かない人がいれば、通り過ぎた自転車から視線が向けられる。声が聞こえることもある。あれ、上履きじゃね? って。そうよ、上履き。あたしは上履きを履いたまま家に帰ってるのよ。
「あと10回使えたら……」
独り言は宙へと溶けていってしまう。心からの言葉なんだけど。秋物だと少し寒くなってきた季節。冬物を出すことと、あと二つは決まってる。だから実質あと3回。一昨日、ついつい、見たことのない能力を使ってしまった。いじめに気付かれない力。もちろん効果はなかったけど、それを数えるか数えないかは微妙なところ。半年で半分残ってたはずの力は、残り4ヶ月で3回になっていた。あたしのバカ。そしてもっとバカなこと。あたしと先輩の距離は、全然縮まっていない。
「ただいま」
むしろ遠ざかったなんて、どの口が任せなさい、なんて言ったのかな。まぁ正直どうしようもない状態なんだけど。こんなに難しいことだって、考えもしなかった。
投げ捨てたランドセルの代わりにやかんを取り出す。水を注いだそれを火にかけて、机の上に投げ出していた財布を手に取る。こっちはまだまだ余裕なんだけど。最近買ったパソコンを立ち上げて、ちょっとだけ迷った。あたしはどっちを買うべきだろう。でも迷うことなんかなかった。3回も2回も変わんないわね。そう考えて購入するのは、能力バトル物の漫画。明日から土日だし、タイミングとしては完璧ね。
さて、あいつのことだけど。その矢先、お湯が沸いたことを知らせる音が鳴り響く。あぁはいはい。ってあたし大してお腹空いてない。無意識って怖いわね。ぺりぺりとめくったラーメンにお湯を注ぐ。蓋を閉じて、適当にインターネットを閲覧する。で、なんだっけ。あぁ、そうそう。あいつのこと。思い出すと、アラームが鳴った。もう三分経ったの? お腹空いてないんだけど。ぺりぺりとめくって、ぽいぽい入れて、かき混ぜる。ふーふーって冷ましてから、一口すすってみる。……まぁ、食べれないことはないか。
「……はぁ」
話が一向に進まない!! っていうか進めようって思わないのが問題なんだけど。だってどうすればいいのかわかんないし。そもそも無理。いじめられてるあたしを見たあいつがどう思うかなんて決まりきった話。自分と関わったからとかいって、自己嫌悪に陥る。だから進まないっていうか、近づくことすらできない。どうしろっていうのよ。気付いたらラーメンは食べ終えてしまっていた。スープまでバッチリと飲み干して。……お風呂、入ろっか。お湯を沸かし、湯船に浸かる。もうさすがに、シャワーだと寒かった。身体中がポカポカと、すごく暖かな気持ちになる。それは体だけじゃなく、心まで……。
「ぼぶばぶ、べぇ……」
わかってるのよ。前に進むしかないってのは。あたしとあいつが、揃って幸せになるにはどうするか。告白して付き合っちゃえばいい。でもそれも簡単な話じゃない。告白って好きになった人同士がするものでしょ? あたしとあいつ、違うし、それはなんか、ルール違反な気がする。あや先輩によろしくお願いされた時一言断っておけばよかった。何が任せなさいよ。バカ。
何も浮かばないまま土日は過ぎていった。上履きを履いて家を出る。今日はもう、今日からはもう、奇異の目で見られることはない。あと2回か……。……これ隠されたらどうすんの!? 考えてなかったんだけど!?
「おはよー」
「おはよ」
「いやいや、寒いねー」
珍しく登校中にしほちゃんと会った。ほんとに珍しい。っていうか初めてじゃない?
「そうね」
「あんたよくスカート履けるねー」
「そう?」
「寒くないの?」
「そうね」
「……お似合いのひとはー?」
「山本先輩」
「話聞いてたの!?」
「答えてたじゃない……」
なんで朝からそんなに元気なのよ……。あたしは穏やかに過ごしていたいのよ。今もこれまでもこれからも。でもありがたい存在に変わりはない。友だちって存在は、穏やかに日常を過ごすための重要な存在だから。口の止まらないしほちゃんに相槌をうちながら学校に着く。久しぶりに楽しい時間だった。靴箱で、あたしは一応上履きを脱ぐ。それを自分の名前が書かれた場所に入れ、同じものを取り出して履く。
「ん、なーにー?」
気付いたらあたしは隣で同じ動作をするしほちゃんを見つめてた。なにもないよ、ってあたしは返す。ほんとになんでもないことだから。それはあたしが望んだ反応。見れたあたしはそこで満足してた。だって気づくわけないじゃない。予知能力なんて、もう使えないんだから。
「わぷっ」
教室前であたしの背中にぶつかるしほちゃん。どっちでもよかったけど、気持ち的に楽だから、結果的にはよかったんだと思う。
「ちょっとー……って、なになに? なんで私の席に集まってるの?」
「なんでって……あれ? なんで?」
「吉沢の机があれだよ……どれ?」
「私が知るわけなーーーーい!!」
あたしは知ってる。言わないけど。自分の机が切り刻まれてたって、しほちゃんは知らなくてもいいことだから。とっさになかったことにしちゃったけど、あと1回かー……。……やるしかない、のね。
眠たくてたまらないことに気付いたのは、無意識に目をこすっていた時だった。なんで? と考えてみる。それはすぐに、なんで早起きしたの? と考えなければならなくなっていた。
そして結局何も思い出せない。ただひとつだけ、朝はあんなに気分がよかったのに、という感覚を残しながら。言いようのないストレスにむしゃくしゃする気持ち。発散の意味も込めて、トイレに行きたい旨を先生に伝えた。
カチカチと刃を伸ばし、机の前に立つ。目標は、相沢有紀の机。あれは、あいつは、頭がおかしい。だから仕方がない。あの女を止めるためには、何の恨みもないけれど……。そう考えながら刃を机に押し付けた時ーー。
「なにしてるの?」
聞きなれない、聞きたくない声が、耳に届いた。
「な、ん……で」
「あたし? 筆箱忘れたのよ」
ほらほら、って見せびらかしてみる。これもほんとはここにないはずのものだけど。だって燃えてたし。また燃やされるかと思って隠してたんだけど、崎谷さんの顔を見る限り大正解ね。カッターをゆきちゃんの机に押し当てる崎谷さんの顔は、青くなっていたから。
「で、崎谷さんはなにしてるの?」
思えば、面と向かって……向かわなくても、話すの初めてじゃない? あたし崎谷さんの一人称すら知らないんだけど。曲がりなりにも半年くらいクラスメイトだったのに。
「……」
ごくり、って唾を飲む音が聞こえたような気がした。聞こえるわけないのに。青くなった崎谷さんは、あたしとカッターとを見比べて、何も言葉を返してくれない。
「別にやってもいいけど。あたしのにしてくれない?」
だからもう直球を投げ込んでいく。あたしが言いたかったのは、ただそれだけ。人に迷惑をかけないでほしい。あたしにはいくらでもいい。だってあたしは人じゃないから。
「……はぁ?」
「っていうか、あの先輩、どこがいいの? 別にイケメンでもないし。性格いいわけでもないし」
「……でよ」
「え?」
何かをつぶやいたのだけは聞こえた。そしてそれをあたしは聞き取れなかった。ただそれだけのことだったのに。いつの間にか、机に押し当てていた刃は、あたしへと向けられていた。
「あー……、興奮してるところ悪いんだけど、さ」
「なら見せつけんな!!」
……見せつけるな? って……どういうこと? 何を? 誰が誰に? 何か、勘違いしてない? って、答えたかった。馬乗りになられて、カッターナイフを手に覆いかぶさってきた崎谷さんの手を押し返しながらだと、答えられるわけがなかった。
「ずっと、待ってたのに……。ずっとずっと、待ってたのに……! なんで、どうしてっ!」
何がよ……。言いたいけど、言えない。ちょっと、わりと……力強くない!? 何これ、ちょっ……と! やばいやばいやばい!!
「……そっか。殺したら、私になるのか」
血走った表情が穏やかな表情に戻るけど、力は抜けないからあたしは抜け出せない。でもあたしも、冷静になれた。殺す、って言葉を聞いたから。あたしが死んで崎谷さんになるのなんか、一つしかないから。
「なら、殺してみる?」
「え……?」
力を抜く。穏やかだった表情は戸惑いに変わる。左手はあたしの右胸に。そして右手はあたしの左胸に。
「え……、ばっ……!」
上がった血しぶきが崎谷さんの顔に降りかかる。いや、降り上がる……? どっちにしろ崎谷さんの顔は、あたしの胸から上がった血で染まっていた。
「あ、わ、……わたし……」
カッターナイフから手を離した崎谷さんはあたしの上からおろおろと動き出す。それを見てあたしは、立ち上がった。
「……!?」
「残念だけど、崎谷さんには無理だから」
っていうかあたし以外誰も無理だから。あいつが追い求めたものになるのは、人には無理なことだから。
「あー、痛い……」
へたり込んで口を開いてあたしを指差す崎谷さん。何かおかしい? そりゃ痛いよ。胸に、心臓に、カッターナイフが突き刺さってるんだから。
「ごめんね、死ねなくて」
たった今から不老不死になったの、とは言わない。まぁタイミングがズレただけで予定通りなんだけど。間違えたのは回数ね。あと一回あったら、ここに先輩を呼び出せてたのに。……来ないかな、先輩。
「……これ、なに?」
ガラガラとドアを開ける音が聞こえた。……あたしまた、やっちゃったわけね。授業中なのに、ごめん。こんな状態見せちゃって、ごめん。
「……血、が……」
いつもは憎たらしい顔なのに、こんな時だけ、年相応に見えてしまう。わかってるくせに、とは思うけど、体感として何百年、何千年って関わらなかったんだから、ちょっとは大目に見てあげる。
「これ?」
左胸に突き刺さるカッターナイフ。それを指すと、先輩はゆっくり頷いた。だからあたしはそれを掴んで、ずるずると抜いた。血しぶきが先輩にかからないように、ゆっくりと引き抜いた。
「死ぬわけないでしょ」
痛いけど。なんとなくだけど、言わないことにした。右手で左胸を覆う。実感は全然わかないけど、もう傷は塞がってるはずだから。
「ほら」
「……」
「あぁそっか、退化してたんだっけ」
「……」
息を飲む先輩は、あたしから視線を逸らさない。そういや、全然詳しく聞いてなかったわね。あたしの後輩のこと。今更聞く気もない。聞きたくもない。だから話はここで終わり。あたしはずっと勘違いをしていた。先輩に付き合ってるのは、贖罪の意識から。あや先輩の気持ちを踏みにじるって思ったのは、先輩のことなんかまるで考えずに、自分のことだけを考えて先輩と付き合おうとしてたから。
「ねぇ先輩」
でも違った。あたしは先輩に惹かれ始めていた。嫌い気にくわない気持ち悪いって罵りながら、一緒に遊びに行ったり家に行ったりしてたのは、少しずつ、先輩のことが好きになり始めていたから。
「……何?」
「あたしはいなくならないわよ」
そして先輩の頭をあたしで埋め尽くしたいのは、名前も知らない後輩に対しての嫉妬心だったから。
「……」
「……」
「……」
「……」
……あれ? なんで黙ってるの? っていうか、なんでぽけーっとあたしの顔を見つめてるの? あたし今告白したつもりだったんだけど。なんで返事してくれないの? ……わからない。なんか、イライラしてきた。あたしフラれたの? ……。
「……」
「……えぅっ」
ダンダンと音を立てて先輩に近づく。そんなこと、絶対に認めない。そう思った瞬間、体は動き始めていた。一瞬だけ見えたのは、ぽけーっとして困惑を絵に描いたような目が見開かれた状態。そこであたしは目をつむった。知ってるはずもないし、知る気もなかったけど、たぶん、そうするものだって思ったから。
「……」
「……」
戸惑いは目だけじゃなく、声にまで発展する。でも形にはならない。あたしが塞いだから。カチンって音を立てて、あたしたちは繋がったから。……勢い、あまりすぎたかな。初めてのキスは、痛みと血の味以外には何も感じないものだった。
「……」
「……はあっ」
「……」
「……今すぐはきっと、無理でしょ? だから待つわよ」
今年もそうだけど、送り出すのはあたしの役目だから。無理に追いかけて押し付けるなんて、邪な真似はしたくない。……キス迫っといて何言ってるの? って話だけど。アピールだけは続けていくけど、基本的にあたしは待っている。いつまでも、ずっと。先輩が何回生まれ変わっても、先輩の頭をあたしで満たす日を、ずっと待つ。……って、なんで泣いてんの?
「……」
「……なんで泣いてんのよ」
「……俺、いいのかな」
突然ぽろぽろと泣き出した先輩は、一人称が変わっていた。……声はきっと、まだかけない方がいい。そう思った。
「忘れちゃっても……いいのかな」
「いいのよ」
でもすぐに声をかけることになった。答えは出てたから。さっきから言ってたつもりなんだけど、伝わってなかったっぽい答え。伝わらないなら、直接言うしかない答え。
「あたしたちの楽しい思い出で埋め尽くせばいいのよ。ずっと、いつまでも、一緒にいてあげるから」
見つけるのは大変だけどね。そう続けようとした言葉は、声に出せなかった。息もしにくくなっていた。……目、瞑らなくてもよかったのね。目前に迫った先輩の顔を見ながらの味わいは、やっぱり血の味しかしなかった。
「こなれてるのね……」
「寂しさを紛らわせるのに一番手っ取り早い方法、知ってる?」
「……あたし、初めてと二回目なんだけど」
「……可愛いね」
「殺すわよ」
「きみが疲れるだけだよ」
「キャラ変わってるじゃない……」
段々と顔が赤くなっていくのを自覚しながら睨みつけてやると、先輩はしてやったりっていう表情で笑みを浮かべていた。誰よこいつ。誰だっていいけど。まだ屈託のないとまではいかない笑みは、あたしの決心を凝り固まらせるものだったから。思わず、声を出して笑ってしまう。それを見た先輩も笑っていた。そこでふっと思い出す。ごめんね、崎谷さん。見せつけちゃって。淡く抱いていた想いを打ち明ける機会も潰しちゃって。まだそこにへたり込んでいるのかどうかもわからないし、どうでもいいことだけど。ひとしきり笑いあったあと、チャイムが鳴り始める。……授業中だったっけ。まぁいいけど。名残惜しいのはお互いだったみたい。どちらかがってこともなく、あたしと先輩の距離はなくなる。今までで一番短かったキスは、やっぱり血の味しかしなかった。




