じゅう
「ここだよ」
あたしの肩を後ろから掴んでそう言ってくれたあや先輩は、ジャージ姿だった。あや先輩、もっと可愛らしい私服かと思ってたのに。
「あたしも久しぶりかなー」
「え、そうなの?」
「そうだよー。ゆーちゃん、あんまり家に来てほしくなさそうだったし」
「……先に言いなさいよ!!」
それ絶対今言うことじゃないでしょ!? あたしが先輩の家教えて、って言った時に言う以外のタイミングないわよ!?
「いやいや。それはあくまで、あたしとあいつに対してだからね」
飛びかかろうって勢いであや先輩に振り返ったあたしが見たのは、やっぱり笑顔のあや先輩だった。……いやいや、あんたたちに対してそうなら、あたしなんか絶対ダメでしょ。それとも、他の知り合い……いるの? ……しほちゃんが名前覚えてもらってたけど、あれってなんで? それ以外、あの先輩が人と接してるのを見たことないんだけど。
「はい、じゃー……ピンポーン!」
「ちょっ……!」
笑顔のままあたしから離れたあや先輩は、やっぱり笑顔のまま、山本って表札に書かれた家のインターホンを鳴らしていた。嘘でしょ!? ちょっと、あたしにもタイミングってやつが……。
「はい?」
「あ、えー……って、ええぇぇーーー!?」
助けなさいよ。そう思って背後に引っ込んだあや先輩を振り返った。そこには、道しかなかった。正確に言えば向かいの家もあったけど。でも、あたしが望んだ人影は影も形も存在してなかった。
「……どちら様?」
「え、あー……せんぱっ、あの、やま、……ゆー先輩は御在宅でしょうかー……」
うっわ、気っ持ち悪い……。何よ、ゆー先輩って……。山本先輩って言おうとして、あたしは先輩の家族構成を知らないことに気付いた。正直な話、今会話をしている相手がお母さんなのかお姉さんなのかすらわからない。だから、兄がいてもおかしくないなって思ったら、気持ち悪い言葉しか出てこなかった。あや先輩は何のために呼んだと思ってるのよ……。今度会ったら覚えておきなさいよ。
「あら、ゆーちゃんのお友達?」
「……まぁ、はい」
「はいはい、ちょっと待っててね〜」
友達? ……まぁそうなるか。……まぁいいか。間違いだったとして、多分これは大して重要じゃないから。会話が途切れ、トントンと家を駆け巡る音が近づいてくる間に浮かんできた違和感を、適当に納得させて収めておく。どちらかって言えば、奥に押し込んだって方が正しいと思うけど。
「……あら」
引き戸が引かれて中から出てきたのは、……お母さんね、これは。先輩のお母さん。第一声は挨拶でもなんでもない、戸惑ったような声だった。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。ゆーちゃんのお友達ね。こんな可愛らしい女の子とは思わなかったから、驚いちゃったわ」
「……まぁ、女の子ではありますけど」
「さ、入って入って。あの子の部屋、上がったところにあるわ。後でお菓子持っていくわね」
……ん? え? なんか、普通に招き入れられたんだけど……。お母さんがあんまり好んでないとかじゃないの? ってことは、……本人が嫌がってる!! 最悪じゃない!! でも、気付いたらあたしは階段を上っていた。上がったところが部屋っていうか、上がった先にはそこしかない。なんていうんだろ。屋根裏なのかな。ともかく、あたしは上りきってしまっていた。
「……おじゃまします」
見えた部屋は、案外普通だった。机がある。ゲームがある。本が転がっている。そして、畳の上では人間が転がっている。仰向けになっている先輩の胸は規則正しく動き、タオルケットが全身を覆っている。……ほんと、上手くいかないものね。
「……あら」
転がっていた漫画は普通の少年マンガ。誰でも知ってるようなタイトルだけど、あたしは興味もなかったから、存在しているって感覚でしかなかった。だから手に取ってみたら、お母さんの声が聞こえた。
「ごめんなさいねぇ、せっかく遊びに来てくれたのに」
……30分も経ってたのね。全然苦じゃなかったけど。そう思いながら、ぺこりと頭を下げておく。持ってきてくれたのはクッキーとオレンジジュースだった。
「嫌いじゃなかった?」
「嫌いじゃないです」
「よかった。適当に起こしてやってもいいわよ。ごゆっくりね」
先輩を指してそう言ったお母さんは、笑顔で一階へと降りていった。……やっぱり、普通のお母さんじゃない。拒絶する理由にはならない。そもそも、ほんとにあや先輩が正しいの? 確かに付き合いは長いんだろうけど。今日だって、ここに来る前に丘に寄って、いつもはここにいるんだけど〜とかなんとか言ってたし。当てにならないわね。
「ん……」
2枚目のクッキーをパリパリとかじっていると、喘ぎ声が聞こえた。
「……」
起きたのね。別に声はかけないけど。起きなくてもよかったし。ただ、じっと見ていた。それはお互いに。あたしは見下ろしながら、先輩は見上げながら。
「……あぁ、そっか」
「何がわかったのよ」
「はねさん?」
寝ぼけ眼で仕方ないのかもしれないけど、順を追って喋らないと、理解してもらえないわよ。あたし以外には。
「丘に行ったんだけど、あんたいなかったでしょ」
「あぁ、うん。もう来ないからね」
「……何が?」
さすがにわからない。あたしでもこれはわからない。問いに対して答える、形だけ。中身はまるで意味のわからないものだった。
「きみと会えたから」
それ、タイムパラドックスってやつじゃないの? って言いたかったけど、我慢することにした。中途半端だったから。先輩の魂が同時に存在してるならまだしも、多分そうじゃない。あたしと後陣が鉢合わせとかならともかく、100年間も学生するわけないし。……もっと未来に行ったらよかったかな。
「あたしでよかったわけ?」
「そういうわけじゃないよ」
……なんか、イラッときたんだけど。貼り付けたような笑顔で言われたから特に。なら言わなくていいじゃない、きみと会えたから、なんて。
「というか、どうしたの? 僕の家まで来て」
「理由なんかないわよ」
だから言い返してやった。貼り付けたような笑顔で。あたしだって先輩じゃなくてもよかったし、みたいな。ほら、ポカーンってしてる。思い知ったか。自惚れないことね。あんたなんかに……って、何言ってんだあたしはぁぁーーーーーーっ!!
「僕に会いたかっただけ?」
「違う! ありえない! 自惚れんじゃない!!」
確実に勘違いされる言い方じゃない!!何言ってんのよあたしは! くそ、タチの悪い……。復讐にもならなかったじゃない……。
「……なんか、ゆーちゃん家には入れてくれないよ、って言われたから、意地でも入ってやろうかなって」
嘘だけど。順序を入れ替えただけ。先輩のこと、全然知らないじゃない。そう思ったからあや先輩を頼った。……なんて、今の流れで言えるわけないじゃない。
「あぁ……」
「親が狂人かって思ったけどすごくいい人じゃない。なんで? 見られたくないものでもあるの?」
「ないよ」
「ならなんでよ」
「実の息子でもないのに、面倒かけたくないでしょ」
「……ごめん、重い話?」
「ただ僕が、あの人の息子を殺したってだけの話だよ」
あの人だけじゃないけどね。そう言った先輩の顔に、笑顔は貼り付いていなかった。比喩だってことはすぐに気付いた。たぶんこれが先輩の素の表情だって思ったら、もっとタチが悪い。こんな時にかける言葉をあたしは知らなかったから。
「それは違うわよ」
だからあたしは思ったことを言うことにした。
「なにが?」
「組み込まれてるはずよ。あんたが、この時代の、山本家のゆーちゃんとして生まれ変わることは」
因果律って言葉がある。原因があるから、結果が出るって意味なんだけど。今回に当てはめると、先輩の魂がさまよっているから、山本家に子供が生まれた。……まぁちょっと違うかもしれないけど。
「他人事だね」
「そりゃね、あたしじゃないし」
「……光がくすんでいくんだ。宝石みたいに輝いていた、淡く綺麗な光が、茶色く、黒く、くすんでいくんだよ」
思い返してみたら、いつでも先輩は抽象的な表現……どころか、何をしゃべるにも感覚的な表現でしかしゃべっていなかった気がする。だってあたし、こいつとしゃべった内容、星間留学制度しか覚えてないし。輪廻転生ってのも、あたしが勝手にそう思い込んだこと。
「動きも止まったそれに変わって、僕が器に入っていってね」
「まるで見てたみたいじゃない」
そんな事柄でも一連の流れのように説明されたら、なんとなくだけど、情景が目に浮かんでくるような気がする。器ってなんなのよ、って話だけどね。だからこれも、いつになく冗長なだけで、言ってることは比喩だらけのいつもの話。
「見てたからね」
……そう、思っていたかったんだけど、やっぱり先輩は笑っていなかった。
「行き場を失った光が砕け散っていくのを見届けたあとに、もう二度と輝けない僕に注がれる愛情って、どんなものだと思う?」
「そりゃ果てしないものでしょうね。自分の子供なんだし」
「痛いんだよ」
あたしの皮肉に対しても、乾いた笑みを浮かべることすらしない。何かが気に障ったんだとは思うけど、結果的にたがを外しちゃったのは間違いない。
「やっと会えるんだって、そう思ってたのに……。全然知らない環境で、見たこともない人が、俺じゃない僕に底のない愛情を注いでくる。何回も、何度でも。怖いよ」
ペナルティってそういうことなのね。無表情で徐々に迫ってくる先輩を受け止めながら、考えを改めておく。星に戻れなくなることがペナルティだと思ってたんだけど、嫌らしいわね。……誰が何のために作った制度なの?
「せめて記憶がなかったらよかったのよね」
「……そんな問題じゃないよ」
「割り切れないの? 俺は僕なんだー、って」
「……わかるわけないか。そもそもきみたち、人間じゃないもんね」
「わかるわけないわよ」
拗ねたような表情を見せる先輩に同意すると、先輩は少し目を見開いてあたしを凝視してきた。だってその通りだし。あたしにわかるわけがない。でも理解してやることはできる。きっとこんなことを話せる相手はあたしが初めてなんだと思うから。縋れる相手を見つけて甘えているだけ。
「人間だとしてもわかるのは先輩だけでしょ。あや先輩とか、……あの先輩とか、わかってくれたの?」
「……」
無言は否定の証。まぁ知ってたけど。そもそもしゃべってなかったでしょ、あの2人には。年上の、肉体的にも精神的にも年上なはずの先輩が、上目遣いであたしを睨んでくる。気持ち悪いって思わなくなっているあたしが、ここにいた。
「ほら」
「……なに? それ」
「甘えたいんでしょ? どうぞ? 頑張りまちたね〜。偉いでちゅね〜」
両腕を広げただけだったら睨んでいた視線は怪訝な表情に変わったから、言葉も交えて受け入れてみた。あたしは別に、縋られ、甘えられることに何の抵抗も感じなかった。むしろそのつもりで来たんだし。責任を取るために。あたしに非は一切ないはずだけど。見たこともない後輩さんの尻ぬぐふっ!!
「……え?」
お腹が痛い。そう思った瞬間、背中の方が痛くなった。見えていたはずの畳にあぐらをかいていた先輩は消えて、木製の天井をあたしは見ていた。……いや、別にいいけど。ちょっと想像以上だっただけ。大の字で広がっている腕が少し間抜けね。肩を震わせているわけもなく、先輩はあたしをぎゅーっと抱きしめている。胸のあたりに顔を押し当てて。人じゃないあたしから温もりが感じられるのかな。……ま、別にいいんだけど。
「……あのさ」
しばらくの間あたしは解放されなかった。先輩の背中に手を回して抱きしめ返すなんてこともなかったから、あたしはただ本当に抱きしめられていただけ。
「なに……?」
「重い」
まだお互いに体は小学生同士だけど、しばらくってわりと結構な時間だったわよ。苦しいんだけど。
「あ、ごめん」
案外すぐに先輩はあたしから離れてくれた。険しかった表情が少し緩んでいるあたり、あたしの体は温もりを持っていたみたい。
「お母さんが入って来なくてよかったわね」
「関係ないよ」
「次は叫んでやるから」
「いいよ。もう大丈夫だから」
「……何が?」
緩んでいた表情は少しずつ、今までと同じ気持ち悪い笑顔に変わっていく。違うのは、……まとっている雰囲気としか言えないけど。
「今周はこれまでで一番だったし、もう、いいんだよ」
そう言えばさ……って、先輩は無理矢理話題を変えてくる。あぁそうねとか返事はしておくけど、話なんか聞いてない。聞く気もない。今周が一番なのは、これまでで? 笑わせるじゃない。あたしがここまで身を張ってたってのに。ペナルティなんか知らない先輩が希望を持つのはおかしな話じゃないし、持っておかないとおかしくなるのはわかるけど、あたしは納得できない。願いはきっと叶わないし、あたしがいるのに。
「……そんなに面白いの?」
あたしが存在する今周が一番面白いと思わせてやる。そう決めたあたしは笑ってたみたい。指摘されて我に返ると、先輩と一緒に眺めていたものは、新聞の番組欄だった。




