第四話 心外
ふんふんふーん。
今日も今日とて執事業じゃ。
あれから行成様の視線は更に厳しいものになったが、俺は何も疚しいことはしてないので今のところは平和だ。
ただ、前のお嬢様の付き人が起こした不祥事についてはさり気に調査をしている。お嬢様に訊いてみた時は「なんでかは分かりません」と言われてしまったので、メイドに訊いてみたところ
「それは……とにかくヤバいことです。あの方は開けてはいけない扉を開いていました」
と遠い目をして言われた。
なんだそれ。開けてはいけない扉?
にしても、やっぱりこの家の者はその「不祥事」についてはあまり話したがらないようだ。それ程にヤバい事なんだろうな。
やっぱり深く追求するのはやめた方がいいのだろうか。でもここまで来ちゃうとどうしても気になってしまう。
俺は仕事が一段落したので取り敢えず休憩室でお茶を飲みながら考えていると、同じく休憩室にいた社長の秘書、桜山今日子さんが話しかけてきた。
「吉岡さん、何か悩み事があるようですけど、どうしたんですか?」
「ん? ああ、ちょっと気になっている事がありまして」
「気になっている事?」
桜山さんは二十台前半で黒髪をしっかりまとめ、切れ長の目にでいかにも仕事が出来そうなキリッとした人だ。
社長は多忙で、その秘書である桜山さんはもっと多忙なので、こうして話をするのは珍しい。それに桜山さんは住み込みでもなんでもないので休憩室にいるのはかなりレアだ。
その桜山さんが、俺の悩み事に興味をもって不思議そうに俺のことを見ている。
「気になっている事ってなんですか?」
えーと、訊いちゃっていいかな。
「あー、えっとですね。どうやら俺は行成様に敵視されてるみたいで、理由が前の付き人の不祥事と関係してるみたいで……」
言うと、桜山さんはあからさまに軽蔑の目を向けてきた。
え? なになに、なんで?
と思っていると、桜山さんは冷たい声で俺に問うた。
「芹華様に何かしでかしたんですか?」
むむっ? これはまた誤解を招いているのか?
俺はまた慌てて否定した。
「いえいえ! そうではなくて、俺は何もしてないんですけど、なんか疑われてるというか……。俺もよくわからなくて困っているんです。それでその不祥事について知れば、行成様と和解するための糸口が見つかるかなと思っているのですが……」
必死の弁解に、桜山さんは納得してくれたようだ。
「ああ、なるほど。行成様は芹華様の事を大事にしていらっしゃいますから。警戒してるんでしょうね。いいですよ。不祥事について教えます」
おおっ? 意外とあっさり教えてくれるんだな。
桜山さんはそんな俺の心を読んだかのように言った。
「前の付き人が起こした不祥事のせいで嫌われるなど、不憫ですもんね」
その通りです。
俺が同意の意を示して頷くと、桜山さんは語り出した。
「前の付き人……名前は如月さんと言いました。その方は、一言で言うとロリコンでした」
ロリコン?
あのお嬢様に仕えるのは、ロリコンにとって至難の技だろうな。
俺が神妙な顔をしていると
「吉岡さんはロリコンではないですよね?」
と聞いてきた。
慌てて否定する。
「はい。幼女に対しての興味なんてこれっぽっちもありません」
桜山さんは話を続ける。
「ロリコン故に、あの愛らしく素直な芹華様への可愛がる気持ちが、付き人としての気持ちを上回ってしまったんでしょう」
それはアカンな。
「如月さんは、芹華様のお召し物をハムハムしてしまいました」
「ブハッ!?」
俺は思わず吹き出してしまった。
だって、服をはむはむだぜ? なんだそれ!
如月さん重傷すぎるぞ!
「更にその行為の第一発見者は行成様です」
ああ、なんとなく行成様が俺を敵視している理由が分かったぞ。
「行成様にとってその事実はきっとトラウマ級のものだったんでしょう。それは旦那様や奥様にとっても。お嬢様には知らされてないようですが。きっと事実を知ったら大変なことになるでしょうね」
「はい……」
思った以上にやらかしたことが酷すぎて、俺は返事をするのがやっとだった。
でも分かるぞ、如月さん。
お嬢様の可愛さは殺人級だ。そういう事したくなっちゃっても仕方ないよな。うん、有り得ないけどさ。
桜山さんは補足を付け加えるように言った。
「行成様は吉岡さんを敵視というより、新しい付き人がやらかさないか監視してるといった方が正しいのかもしれませんね」
それは確かに……。
しかも俺は男だし、そのせいで余計に警戒心が増してもはや敵視になっているんだろうな。
やっと理由が分かったよ。
にしても、それだと増々付き人は女性の方がよかったんじゃないかと思う。
するとまたもや桜山さんは俺の心を読んだかのように言った。
「旦那様は気が動転していました。信頼していた『女性』がそのような奇行をしでかしたのですから。それで普通なら付き人は女性にするところを男性にしてしまったんだと思います。丁度執事を雇おうともおもっていらっしゃいましたし。何よりあなたは天才執事ですから」
あ、何気に褒められた。
にしても、これで謎が解けた。あーすっきり。
後は行成様に俺はそんなことしませんよーってことをしっかり伝えれば万事解決だな。
早速行成様と話をしてみよう。
そろそろ学校から帰ってくる頃だし、話をしてみるか。
ちなみにお嬢様は今家庭教師の方と勉強タイムだ。
「桜山さん、貴重な情報ありがとうございました。俺、これから話をしてみます」
俺はそういって休憩室を後にした。
「おかえりなさいませ、行成様」
お出迎えをすると、行成様は一瞥をくれただけで自室へと向かおうとした。いつもの事だ。しかし今日は俺からの話がある。
「行成様」
「あ?」
呼び止めると、行成様は鋭くにらみつつ振り返った。もはやチンピラだ。
怖いけど、今後のために頑張るんだ、俺!
「お嬢様の事で少し伝えておきたいことがあります。この後、少しだけお時間いただけないでしょうか」
俺は眼差しに決意を込めて行成様を見据える。
行成様はしばらく厳しい目で見つめた後
「いいだろう。俺の部屋までついて来い」
と言って歩き出した。俺は「ありがとうございます」と言いながら後をついていく。
ふう、第一関門突破だ。
正直話すら聞いてもらえないかと思ったけど、行成様はちゃんと話は聞いて下さるようだ。
行成様の部屋へと足を踏み入れる。行成様は瑞宮学園高等科の制服、そのブレザーを脱いでネクタイを緩め、その長い足を組んで悠々とソファに座った。
仕草が一々様になっている。
なんて考えていると、行成様が「早く話せ」と顎で催促してきた。
俺はもう一度気を引き締めて口を開いた。
「私は今まで、何故行成様が私の事を敵視しているのか、理由が分かっていませんでした。しかし、如月さんの話を聞いて、その理由が判明しました」
行成様は「如月」という名前が出ると、微かに顔を顰めた。
俺は構わず話を続ける。
失礼なんて承知の上だ。
「私は、この西園寺家に、芹華お嬢様に仕える執事です。この忠誠心が揺らぐことはありません。この身は最後までこの西園寺家のために使います」
行成様は表情を変えずに、しかししっかりと俺の話を聞いてくださっている。
「私にとって、西園寺家の人間に、行成様に敵視されているというのは恥になります。信頼を得られないのは私の技量不足なのは承知しております。しかし如月という人物が起こした不祥事のせいで私まで敵視されるのは納得がいきません」
行成様は俺の言葉に、片眉をピクリと上げた。
それがどういう意味なのかは考えている余裕は俺にはない。
「失礼を承知の上で言わせていただきます」
俺は声に力を込めて言った。
「行成様に敵視されるのは心外です」
言った……!
行成様の反応は……?
行成様は少し驚いたような顔をしたが、すぐに表情を引き締めて仰った。
「そうか」
そしてしばらく考え込む素振りを見せる。
怒ってはいないようだ。安心した。
しばらくお互いに無言のまま時が過ぎていく。
やがて行成様が口を開いた。
「分かった。今まで疑って悪かった。これからは吉岡の事を少しは信頼してみるよ」
そう言って行成様はいつもよりかは幾分優しい表情で俺を見た。
よ……よかったあ!
俺は慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます!」
行成様は一転、厳しい表情になって「ただし」と付け加えた。
「それだけ決意を表明しといてないとは思うが、芹華に妙な事したら容赦しないからな」
「は、はい。承知しております」
まだ完全に心を許してもらったわけでは無さそうだが、とりあえず第一歩を踏み出すことには成功したかな。
にしても、俺はつくづく執事失格かもしれない。
忠誠心が本物なのは本当だし、本当に西園寺家にこの身を捧げるつもりだ。
そこは腐っても執事養成学校の首席卒業生だし嘘じゃない。
でも、詮索したり今回みたいに失礼なことを言ったり、執事としてなってなさすぎる。
天才執事なんて俺にはなんとも不釣り合いな言葉なのかもしれない。
これからは今以上にこの西園寺家に尽くそう。
寛大な心で許して下さった行成様のためにも。